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「ジェイコブ・ロスチャイルド (第4代ロスチャイルド男爵)」の版間の差分

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| 各国語表記 = Jacob Rothschild<br/>4th Baron Rothschild
| 各国語表記 = Jacob Rothschild<br/>4th Baron Rothschild
| 家名・爵位 = [[ロスチャイルド男爵]][[ロスチャイルド家]]
| 家名・爵位 = [[ロスチャイルド男爵]][[ロスチャイルド家]]
| 画像 = Jacob Rothschild Amana nli (cropped 2).jpg
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像サイズ = 180px
| 画像説明 =
| 画像説明 = 2008年4月18日のロスチャイルド卿
| 続柄 =先代の長男
| 続柄 = 先代の長男
| 称号 = 第4代[[ロスチャイルド男爵]]、第5代準男爵、第6代ロートシルト男爵<small>([[オーストリア帝国|オーストリア]])</small>、[[メリット勲章]](OM)、[[大英帝国勲章]]ナイト・グランド・クロス(GBE)、[[イギリス学士院]][[フェロー]](FBA)
| 称号 = 第4代[[ロスチャイルド男爵]]、第5代準男爵、第6代ロートシルト男爵<small>([[オーストリア帝国|オーストリア]])</small>、[[メリット勲章]](OM)、[[大英帝国勲章]]ナイト・グランド・クロス(GBE)、[[イギリス学士院]][[フェロー]](FBA)
| 全名 =
| 全名 =
| 身位 =
| 身位 =
| 敬称 = My Lord(呼びかけ)
| 敬称 = My Lord(呼びかけ)
| 出生日 = {{生年月日と年齢|1936|4|29}}
| 出生日 = {{生年月日と年齢|1936|4|29|no}}
| 生地 =
| 生地 = {{ENG}} [[バークシャー]]
| 死亡日 =
| 死亡日 = {{死亡年月日と没年齢|1936|4|29|2024|2|26}}
| 没地 =
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| 埋葬日 =
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| 配偶者1 = {{仮リンク|セレナ・ドン・ロスチャイルド|label=セレナ(旧姓ドン)|en|Serena Dunn Rothschild}}
| 配偶者1 = {{仮リンク|セレナ・ドン・ロスチャイルド|label=セレナ(旧姓ドン)|en|Serena Dunn Rothschild}}
| 配偶者2 =
| 配偶者2 =
| 子女 = {{仮リンク|ナサニエル・フィリップ・ロスチャイルド|label=ナサニエル・フィリップ|en|Nathaniel Philip Rothschild}}[[#家族|他]]
| 子女 = 第5代ロスチャイルド男爵{{仮リンク|ナサニエル・ロスチャイルド (第5代ロスチャイルド男爵)|label=ナサニエル・ロスチャイルド|en|Nathaniel Rothschild, 5th Baron Rothschild}}[[#子女|他]]
| 父親 = [[ヴィクター・ロスチャイルド (第3代ロスチャイルド男爵)|3代ロスチャイルド男爵ヴィクター]]
| 父親 = [[ヴィクター・ロスチャイルド (第3代ロスチャイルド男爵)|3代ロスチャイルド男爵ヴィクター]]
| 母親 = バーバラ(旧姓ジュディス)
| 母親 = バーバラ(旧姓ジュディス)
| 役職 =[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員([[1990年]][[3月20日]]-[[1999年]][[11月11日]])<ref name="HANSARD">{{Cite web |url= http://hansard.millbanksystems.com/people/mr-nathaniel-rothschild-1/ |title= Mr Nathaniel Rothschild |accessdate= 2013-12-23 |author= [[イギリス議会|UK Parliament]] |work= [http://hansard.millbanksystems.com/index.html HANSARD 1803-2005] |language= 英語 }}</ref>
| 役職 = [[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員([[1990年]][[3月20日]]-[[1999年]][[11月11日]])<ref name="HANSARD">{{Cite web |url= https://api.parliament.uk/historic-hansard//people/mr-nathaniel-rothschild-1/ |title= Mr Nathaniel Rothschild |accessdate= 2013-12-23 |author= [[イギリス議会|UK Parliament]] |work= [https://api.parliament.uk/historic-hansard/index.html HANSARD 1803-2005] |language= 英語 }}</ref>
}}
}}
'''第4代[[ロスチャイルド男爵]]ナサニエル・チャールズ・ジェイコブ・ロスチャイルド'''({{lang-en|Nathaniel Charles Jacob Rothschild, 4th Baron Rothschild}}, {{Post-nominals|post-noms=[[メリット勲章|OM]], [[大英帝国勲章|GBE]], [[イギリス学士院|FBA]]}}、[[1936年]][[4月29日]] - )は、[[イギリス]]の[[貴族]]、[[銀行家]]、[[政治家]]、[[慈善家]]、[[イギリス陸軍|陸軍]]軍人。
'''第4代[[ロスチャイルド男爵]]ナサニエル・チャールズ・ジェイコブ・ロスチャイルド'''({{lang-en|Nathaniel Charles Jacob Rothschild, 4th Baron Rothschild}}, {{Post-nominals|post-noms=[[メリット勲章|OM]], [[大英帝国勲章|GBE]], [[イギリス学士院|FBA]]}}、[[1936年]][[4月29日]] - [[2024年]][[2月26日]])は、[[イギリス]]の[[世襲貴族|貴族]]、[[銀行家]]、[[政治家]]、[[慈善家]]、[[イギリス陸軍|陸軍]]軍人。


ロンドン・[[ロスチャイルド家]]の当主(6代目)として家全体を代表する1人。[[嫡流]]にあたるが、[[分家]]の[[エヴェリン・ロバート・ド・ロスチャイルド|エヴェリン]]が経営権を握る[[N・M・ロスチャイルド&サンズ]]から独立し、{{仮リンク|RIT・キャピタル・パートナーズ|en|RIT Capital Partners}}を創設して独自の金融業を行っている。[[1990年]]に[[ロスチャイルド男爵]]の爵位を継承し、[[1999年]]まで[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員を務めた。
ロンドン・[[ロスチャイルド家]]の当主(6代目)。[[嫡流]]にあたるが、[[分家]]の[[エヴェリン・ロバート・ド・ロスチャイルド|エヴェリン]]が経営権を握る[[N・M・ロスチャイルド&サンズ]]から独立し、{{仮リンク|RIT・キャピタル・パートナーズ|en|RIT Capital Partners}}を創設して独自の金融業を行っている。[[1990年]]に[[ロスチャイルド男爵]]の爵位を継承し、[[1999年]]まで[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員を務めた。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[1936年]][[4月29日]]、第3代[[ロスチャイルド男爵]][[ヴィクター・ロスチャイルド (第3代ロスチャイルド男爵)|ヴィクター・ロスチャイルド]]とその先妻バーバラ・ジュディス(Barbara Judith)の長男として生まれる<ref name="thepeerage.com">{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p5338.htm#i53379 |title= Nathaniel Charles Jacob Rothschild, 4th Baron Rothschild |accessdate= 2013-11-24 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
[[1936年]][[4月29日]]、第3代[[ロスチャイルド男爵]][[ヴィクター・ロスチャイルド (第3代ロスチャイルド男爵)|ヴィクター・ロスチャイルド]]とその先妻バーバラ・ジュディス(Barbara Judith)の長男として[[バークシャー]]で生まれる<ref name="thepeerage.com">{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p5338.htm#i53379 |title= Nathaniel Charles Jacob Rothschild, 4th Baron Rothschild |accessdate= 2013-11-24 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name=died/>。


[[イートン・カレッジ]]を経て[[オックスフォード大学]][[クライスト・チャーチ (オックスフォード大学)|クライスト・チャーチ]]を卒業する<ref name="thepeerage.com"/>。これまでロスチャイルド家は[[ハーロー校]]を経て[[ケンブリッジ大学]]へ進学するのが伝統だったので異例のことであった<ref name="池内(2008)193">[[#池内(2008)|池内(2008)]] p.193</ref>。
[[イートン・カレッジ]]を経て[[オックスフォード大学]][[クライスト・チャーチ (オックスフォード大学)|クライスト・チャーチ]]を卒業する<ref name="thepeerage.com"/>。これまでロスチャイルド家は[[ハーロー校]]を経て[[ケンブリッジ大学]]へ進学するのが伝統だったので異例のことであった<ref name="池内(2008)193">[[#池内(2008)|池内(2008)]] p.193</ref>。
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しかしN・M・ロスチャイルド&サンズの経営権は株式の60%を持つ分家の[[エヴェリン・ロバート・ド・ロスチャイルド|エヴェリン]]が握っており、ジェイコブの父である第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターは20%の株しか持っていなかったから、やがてジェイコブの大胆なM&A路線は堅実経営を好むエヴェリンから独断にすぎると批判されるようになり、N・M・ロスチャイルド&サンズの内部対立は深刻化した。この争いを仲裁するために[[1975年]]に父ロスチャイルド卿が頭取に就任する。しかし結局父は筆頭株主エヴェリンを支持したので、ジェイコブは[[1980年]]にRITを率いてN・M・ロスチャイルド&サンズを飛び出した<ref name="横山(1995)129-130">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.129-130</ref><ref>[[#池内(2008)|池内(2008)]] p.194-195</ref>。エヴェリンからは5本の矢を商標として使用するのを止めるよう求められたが、5本の矢は商標登録されていなかったので、ジェイコブはその要請を拒否し、N・M・ロスチャイルド&サンズの「下を向く5本の矢」に対する当て付けで「上を向く5本の矢」を商標にした<ref name="横山(1995)131">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.131</ref>。
しかしN・M・ロスチャイルド&サンズの経営権は株式の60%を持つ分家の[[エヴェリン・ロバート・ド・ロスチャイルド|エヴェリン]]が握っており、ジェイコブの父である第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターは20%の株しか持っていなかったから、やがてジェイコブの大胆なM&A路線は堅実経営を好むエヴェリンから独断にすぎると批判されるようになり、N・M・ロスチャイルド&サンズの内部対立は深刻化した。この争いを仲裁するために[[1975年]]に父ロスチャイルド卿が頭取に就任する。しかし結局父は筆頭株主エヴェリンを支持したので、ジェイコブは[[1980年]]にRITを率いてN・M・ロスチャイルド&サンズを飛び出した<ref name="横山(1995)129-130">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.129-130</ref><ref>[[#池内(2008)|池内(2008)]] p.194-195</ref>。エヴェリンからは5本の矢を商標として使用するのを止めるよう求められたが、5本の矢は商標登録されていなかったので、ジェイコブはその要請を拒否し、N・M・ロスチャイルド&サンズの「下を向く5本の矢」に対する当て付けで「上を向く5本の矢」を商標にした<ref name="横山(1995)131">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.131</ref>。


この後、N・M・ロスチャイルド&サンズはエヴェリンの方針のもと、堅実経営に戻り、対するRITはジェイコブの方針のもと積極的な投資・企業買収を推進するという対照的な道へ進んでいくことになった。RITはオークション会社[[サザビーズ]]や投資信託銀行[[ノーザン]]などに投資しつつ、事務機器、リース業、保険関連会社などの買収を進めて事業を拡大していった。[[1983年]]にはニューヨーク・マーチャント銀行の株50%を買い、さらにチャーターハウス銀行と合併し「チャーターハウス・J・ロスチャイルド銀行」を創設した。独立から4年にして[[資本金]]を4倍にした恰好であり、[[シティ・オブ・ロンドン|シティ]]でも有数の銀行として注目されるようになった<ref name="横山(1995)132">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.132</ref>。しかしこの直後から、これまで買収した企業の株を次々と売却し、現金化して貯め込むようになった。ちょうど[[1987年]]にアメリカのウォール街が暴落し、[[1990年]]からはイギリスでも[[マーガレット・サッチャー|サッチャー]]政権の金融緩和によって発生していた[[バブル]]が弾けたので、これは見事なタイミングでの撤退となった(ロンドン・ロスチャイルド家の祖[[ネイサン・メイアー・ロスチャイルド|ネイサン]]は「早すぎると思うほど早く売ってしまうことです」という遺訓を残していた)<ref name="横山(1995)132-133">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.132-133</ref><ref name="池内(2008)195-196">[[#池内(2008)|池内(2008)]] p.195-196</ref>。{{-}}
この後、N・M・ロスチャイルド&サンズはエヴェリンの方針のもと、堅実経営に戻り、対するRITはジェイコブの方針のもと積極的な投資・企業買収を推進するという対照的な道へ進んでいくことになった。RITはオークション会社[[サザビーズ]]や投資信託銀行[[ノーザン]]などに投資しつつ、事務機器、リース業、保険関連会社などの買収を進めて事業を拡大していった。[[1983年]]にはニューヨーク・マーチャント銀行の株50%を買い、さらにチャーターハウス銀行と合併し「チャーターハウス・J・ロスチャイルド銀行」を創設した。独立から4年にして[[資本金]]を4倍にした恰好であり、[[シティ・オブ・ロンドン|シティ]]でも有数の銀行として注目されるようになった<ref name="横山(1995)132">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.132</ref>。しかしこの直後から、これまで買収した企業の株を次々と売却し、現金化して貯め込むようになった。ちょうど[[1987年]]にアメリカのウォール街が暴落し、[[1990年]]からはイギリスでも[[マーガレット・サッチャー|サッチャー]]政権の金融緩和によって発生していた[[バブル経済|バブル]]が弾けたので、これは見事なタイミングでの撤退となった(ロンドン・ロスチャイルド家の祖[[ネイサン・メイアー・ロスチャイルド|ネイサン]]は「早すぎると思うほど早く売ってしまうことです」という遺訓を残していた)<ref name="横山(1995)132-133">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.132-133</ref><ref name="池内(2008)195-196">[[#池内(2008)|池内(2008)]] p.195-196</ref>。{{-}}


[[File:House overlooking Green Park - geograph.org.uk - 1500941.jpg|250px|thumb|RITが[[スペンサー伯爵]]家から賃借している{{仮リンク|スペンサー・ハウス (ロンドン)|label=スペンサー・ハウス|en|Spencer House, London}}(2009年撮影)]]
[[File:House overlooking Green Park - geograph.org.uk - 1500941.jpg|250px|thumb|RITが[[スペンサー伯爵]]家から賃借している[[スペンサー・ハウス]](2009年撮影)]]
[[1985年]]にRITは[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ妃]]の父である[[エドワード・スペンサー (第8代スペンサー伯爵)|スペンサー卿]]から{{仮リンク|スペンサー・ハウス (ロンドン)|label=スペンサー・ハウス|en|Spencer House, London}}を96年契約で賃借し、2000万ポンドの巨費を投じてその内装を[[18世紀]]の状態に復元した<ref name="横山(1995)23">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.23</ref>。この修復作業はダイアナ妃からも高く評価された<ref name="モートン(1992)291">[[#モートン(1992)|モートン(1992)]] p.291</ref>
[[1985年]]にRITは[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ妃]]の父である[[エドワード・スペンサー (第8代スペンサー伯爵)|スペンサー卿]]から[[スペンサー・ハウス]]を96年契約で賃借し、2000万ポンドの巨費を投じてその内装を[[18世紀]]の状態に復元した<ref name="横山(1995)23">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.23</ref>。この修復作業はダイアナ妃からも高く評価された<ref name="モートン(1992)291">[[#モートン(1992)|モートン(1992)]] p.291</ref>


1990年に父ヴィクターが死去し、第4代ロスチャイルド男爵位を継承する<ref name="横山(1995)22">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.22</ref>。同時に[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員に列し、貴族院改革のあった[[1999年]][[11月11日]]まで在職している<ref name="HANSARD"/>{{#tag:ref|[[トニー・ブレア]]政権による貴族院改革により、[[1999年]][[11月11日]]に世襲貴族の議席は92議席を残して削除され、ロスチャイルド卿を含む大半の世襲貴族が議席を失った。以降の貴族院は、爵位を世襲できない[[一代貴族]]が議員の大半を占めている<ref>[[#田中(2009)|田中(2009)]] p.229/241</ref>。|group=注釈}}。しかし政党には所属せず、[[クロスベンチャー|中立派]]の議員として行動していた<ref name="横山(1995)22">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.22</ref>。
1990年に父ヴィクターが死去し、第4代ロスチャイルド男爵位を継承する<ref name="横山(1995)22">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.22</ref>。同時に[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員に列し、貴族院改革のあった[[1999年]][[11月11日]]まで在職している<ref name="HANSARD"/>{{#tag:ref|[[トニー・ブレア]]政権による貴族院改革により、[[1999年]][[11月11日]]に世襲貴族の議席は92議席を残して削除され、ロスチャイルド卿を含む大半の世襲貴族が議席を失った。以降の貴族院は、爵位を世襲できない[[一代貴族]]が議員の大半を占めている<ref>[[#田中(2009)|田中(2009)]] p.229/241</ref>。|group=注釈}}。しかし政党には所属せず、[[クロスベンチャー|中立派]]の議員として行動していた<ref name="横山(1995)22">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.22</ref>。


資金がだぶついていたロスチャイルド卿は、[[1993年]]から投資管理会社RITキャピタル・パートナーズと投資、会社セント・ジェイムズ・プレイス・キャピタルを創設して、投資事業を再開した。さらに[[アメリカ合衆国|アメリカ]]にもロスチャイルド・ウォルフェンソン投資会社を創設する<ref name="横山(1995)134">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.134</ref>。[[ソビエト連邦]]が崩壊して市場が自由化した[[ロシア]]にも関心を持ち([[ホドルコフスキー]]を参照)、[[1992年]]にはロシア・アメリカ投資会社の創設に協力した<ref name="横山(1995)134">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.134</ref>。[[1994年]]からは投資会社ロスチャイルド・アセット・マネジメントを創設してバイオ産業に投資を開始した<ref name="横山(1995)134">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.134</ref>。
資金がだぶついていたロスチャイルド卿は、[[1993年]]から投資管理会社RITキャピタル・パートナーズと投資、会社セント・ジェイムズ・プレイス・キャピタルを創設して、投資事業を再開した。さらに[[アメリカ合衆国|アメリカ]]にもロスチャイルド・ウォルフェンソン投資会社を創設する<ref name="横山(1995)134">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.134</ref>。[[ソビエト連邦]]が崩壊して市場が自由化した[[ロシア]]にも関心を持ち、[[1992年]]にはロシア・アメリカ投資会社の創設に協力した<ref name="横山(1995)134">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.134</ref>。[[1994年]]からは投資会社ロスチャイルド・アセット・マネジメントを創設してバイオ産業に投資を開始した<ref name="横山(1995)134">[[#横山(1995)|横山(1995)]] p.134</ref>。


[[2002年]]、[[メリット勲章]]の叙勲を受けた<ref name="thepeerage.com"/>。
[[2002年]]、[[メリット勲章]]の叙勲を受けた<ref name="thepeerage.com"/>。
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など錚々たるものである<ref>Mara M Vilcinskas ''Trust Yrbk Who's Who 1986'', Springer, 1986, [https://books.google.co.jp/books?id=oLSuCwAAQBAJ&pg=PA74&lpg=PA74&dq=j.+rothschild+holding&source=bl&ots=JTOSWeCAUb&sig=CFRsFfgQr1loGhq1ZQxmpvBlcAI&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwi8zMekqL7MAhUGHKYKHRlwD-wQ6AEIVTAJ#v=onepage&q=j.%20rothschild%20holding&f=false p.74.]</ref>。
など錚々たるものである<ref>Mara M Vilcinskas ''Trust Yrbk Who's Who 1986'', Springer, 1986, [https://books.google.co.jp/books?id=oLSuCwAAQBAJ&pg=PA74&lpg=PA74&dq=j.+rothschild+holding&source=bl&ots=JTOSWeCAUb&sig=CFRsFfgQr1loGhq1ZQxmpvBlcAI&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwi8zMekqL7MAhUGHKYKHRlwD-wQ6AEIVTAJ#v=onepage&q=j.%20rothschild%20holding&f=false p.74.]</ref>。


{{仮リンク|コーンウォール公領|en|Duchy of Cornwall}}の統治を行う[[コーンウォール公|公爵]]([[チャールズ (プリンス・オブ・ウェールズ)|チャールズ皇太子]])諮問会議の議員も務めている<ref name="Duchy of Cornwall">{{cite web|url=http://web.archive.org/web/20110726005328/http://www.duchyofcornwall.org/managementandfinances_structure_princescouncil.htm|title=Duchy of Cornwall - Management and Finances |date=15 November 2011 |work=[http://www.duchyofcornwall.org/ The Official Website for the Duchy of Cornwall] |publisher={{仮リンク|コーンウォール公領|en|Duchy of Cornwall}} |accessdate=2013年9月2日}}</ref>。
[[コーンウォール公領]]の統治を行う[[コーンウォール公|公爵]]諮問会議の議員も務めている<ref name="Duchy of Cornwall">{{cite web|url=https://web.archive.org/web/20110726005328/http://www.duchyofcornwall.org/managementandfinances_structure_princescouncil.htm|title=Duchy of Cornwall - Management and Finances |date=15 November 2011 |work=[http://www.duchyofcornwall.org/ The Official Website for the Duchy of Cornwall] |publisher=[[コーンウォール公領]] |accessdate=2013年9月2日}}</ref>。

[[2024年]][[2月26日]]に家族(ロスチャイルド財団)が訃報を発表<ref>{{Cite web |和書|title=ジェイコブ・ロスチャイルド氏死去 英金融・慈善事業家 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR26BSN0W4A220C2000000/ |website=日本経済新聞 |date=2024-02-26 |accessdate=2024-02-27 }}</ref>。{{没年齢|1936|4|29|2024|2|26}}<ref name=died>{{Cite web |title=Lord Jacob Rothschild: Financier dies aged 87 |url=https://www.independent.co.uk/news/uk/home-news/lord-jacob-rothschild-dead-dies-b2502502.html |website=The Independent |date=2024-02-26 |accessdate=2024-02-26 |language=en}}</ref>。

長男の{{仮リンク|ナサニエル・ロスチャイルド (第5代ロスチャイルド男爵)|label=ナサニエル・フィリップ・ヴィクター・ジェームズ・ロスチャイルド|en|Nathaniel Rothschild, 5th Baron Rothschild}}が第5代ロスチャイルド男爵位を継承した<ref name="thepeerage.com"/>。
{{-}}
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== 栄典 ==
== 栄典 ==
=== 爵位・準男爵位 ===
=== 爵位・準男爵位 ===
[[1990年]][[3月20日]]の父[[ヴィクター・ロスチャイルド (第3代ロスチャイルド男爵)|ヴィクター・ロスチャイルド]]の死去により以下の爵位・準男爵位を継承した<ref name="thepeerage.com"/><ref name="CP BR">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/rothschild1885.htm|title=Rothschild, Baron (UK, 1885)|accessdate= 2015-11-21 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。
[[1990年]][[3月20日]]の父[[ヴィクター・ロスチャイルド (第3代ロスチャイルド男爵)|ヴィクター・ロスチャイルド]]の死去により以下の爵位・準男爵位を継承した<ref name="thepeerage.com"/><ref name="CP BR">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/rothschild1885.htm|title=Rothschild, Baron (UK, 1885)|accessdate= 2015-11-21 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。
*'''ハートフォード州におけるトリングの第4代ロスチャイルド男爵''' <small>(4th Baron Rothschild, of Tring in the County of Hertford)</small>
*'''ハートフォード州におけるトリングの第4代ロスチャイルド男爵''' <small>(4th Baron Rothschild, of Tring in the County of Hertford)</small>
*:([[1885年]][[6月29日]]の[[勅許状]]による[[連合王国貴族]]爵位)
*:([[1885年]][[6月29日]]の[[勅許状]]による[[連合王国貴族]]爵位)
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*第2子(次女)ベス・マチルダ・ロスチャイルド閣下 {{small|(Hon. Beth Matilda Rothschild, [[1964年]]-) アントニオ・トマシニー(Antonio Tomassini)と結婚}}
*第2子(次女)ベス・マチルダ・ロスチャイルド閣下 {{small|(Hon. Beth Matilda Rothschild, [[1964年]]-) アントニオ・トマシニー(Antonio Tomassini)と結婚}}
*第3子(三女)エミリー・マグダ・ロスチャイルド閣下{{small|(Hon. Emily Magda Rothschild, [[1967年]]-):ユリアン・フリーマン=アトウッド(Julian Freeman-Attwood)と結婚}}
*第3子(三女)エミリー・マグダ・ロスチャイルド閣下{{small|(Hon. Emily Magda Rothschild, [[1967年]]-):ユリアン・フリーマン=アトウッド(Julian Freeman-Attwood)と結婚}}
*第4子(長男):{{仮リンク|ナサニエル・フィリップ・ロスチャイルド|label=ナサニエル・フィリップ・ヴィクター・ジェームズ|en|Nathaniel Philip Rothschild}}閣下 {{small|(Hon. Nathaniel Philip Victor James Rothschild, [[1971年]]-) ロスチャイルド男爵位の[[法定推定相続人]]}}
*第4子(長男):第5代ロスチャイルド男爵{{仮リンク|ナサニエル・ロスチャイルド (第5代ロスチャイルド男爵)|label=ナサニエル・フィリップ・ヴィクター・ジェームズ・ロスチャイルド|en|Nathaniel Rothschild, 5th Baron Rothschild}} {{small|(Hon. Nathaniel Philip Victor James Rothschild,5th Baron Rothschild [[1971年]]-) }}

==参考文献==
*{{Cite book|和書|author=[[池内紀]]|date=2008年(平成20年)|title=富の王国ロスチャイルド|publisher=[[東洋経済新報社]]|isbn=978-4492061510|ref=池内(2008)}}
*{{Cite book|和書|author=[[田中嘉彦]]|year=2009|title=英国ブレア政権下の貴族院改革 第二院の構成と機能|url=http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/17144/2/hogaku0080102210.pdf|format=PDF|publisher=[[一橋大学]]|ref=田中(2009)}}
*{{Cite book|和書|author={{仮リンク|アンドリュー・モートン (作家)|label=アンドリュー・モートン|en|Andrew Morton (writer)}}|translator=[[入江真佐子]]|date=1992年(平成4年)|title=ダイアナ妃の真実|publisher=[[早川書房]]|isbn=978-4152035240|ref=モートン(1992)}}
*{{Cite book|和書|author=[[横山三四郎]]|date=1995年(平成7年)|title=ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡|publisher=[[講談社]]|isbn=978-4061492523|ref=横山(1995)}}
* {{Cite book|和書|author=[[エドムンド・ド・ロスチャイルド]]|date=1999年(平成11年)|title=ロスチャイルド自伝 実り豊かな人生|publisher=[[中央公論新社]]|isbn=978-4120029479|ref=エドムンド(1999)}}


== 脚注 ==
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=== 出典 ===
=== 出典 ===
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==参考文献==
* {{Cite book|和書|author=横山三四郎|authorlink=横山三四郎|date=1995年(平成7年)|title=ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡|publisher=[[講談社現代新書]]|isbn=978-4061492523|ref=横山(1995)}}
* {{Cite book|和書|author=エドムンド・ド・ロスチャイルド|authorlink=エドムンド・ド・ロスチャイルド|translator=古川修|date=1999年(平成11年)|title=ロスチャイルド自伝 実り豊かな人生|publisher=[[中央公論新社]]|isbn=978-4120029479|ref=エドムンド(1999)}}
* {{Cite book|和書|author=池内紀|authorlink=池内紀|date=2008年(平成20年)|title=富の王国ロスチャイルド|publisher=[[東洋経済新報社]]|isbn=978-4492061510|ref=池内(2008)}}
* {{Cite book|和書|author={{仮リンク|アンドリュー・モートン (作家)|label=アンドリュー・モートン|en|Andrew Morton (writer)}}|translator=[[入江真佐子]]|date=1992年(平成4年)|title=ダイアナ妃の真実|publisher=[[早川書房]]|isbn=978-4152035240|ref=モートン(1992)}}
* {{Cite journal|和書|author=田中嘉彦 |title=英国ブレア政権下の貴族院改革 : 第二院の構成と機能 |journal=一橋法学 |ISSN=13470388 |publisher=一橋大学大学院法学研究科 |year=2009 |month=mar |volume=8 |issue=1 |pages=221-302 |naid=110007620135 |doi=10.15057/17144 |url=https://hdl.handle.net/10086/17144 |ref=田中(2009)}}


== 関連項目 ==
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2024年4月21日 (日) 02:06時点における最新版

第4代ロスチャイルド男爵
ジェイコブ・ロスチャイルド
Jacob Rothschild
4th Baron Rothschild
ロスチャイルド男爵ロスチャイルド家
2008年4月18日のロスチャイルド卿
続柄 先代の長男

称号 第4代ロスチャイルド男爵、第5代準男爵、第6代ロートシルト男爵(オーストリア)メリット勲章(OM)、大英帝国勲章ナイト・グランド・クロス(GBE)、イギリス学士院フェロー(FBA)
敬称 My Lord(呼びかけ)
出生 (1936-04-29) 1936年4月29日
イングランドの旗 イングランド バークシャー
死去 (2024-02-26) 2024年2月26日(87歳没)
配偶者 セレナ(旧姓ドン)英語版
子女 第5代ロスチャイルド男爵ナサニエル・ロスチャイルド英語版
父親 3代ロスチャイルド男爵ヴィクター
母親 バーバラ(旧姓ジュディス)
役職 貴族院議員(1990年3月20日-1999年11月11日)[1]
テンプレートを表示

第4代ロスチャイルド男爵ナサニエル・チャールズ・ジェイコブ・ロスチャイルド英語: Nathaniel Charles Jacob Rothschild, 4th Baron Rothschild, OM, GBE, FBA1936年4月29日 - 2024年2月26日)は、イギリス貴族銀行家政治家慈善家陸軍軍人。

ロンドン・ロスチャイルド家の元当主(6代目)。嫡流にあたるが、分家エヴェリンが経営権を握るN・M・ロスチャイルド&サンズから独立し、RIT・キャピタル・パートナーズ英語版を創設して独自の金融業を行っている。1990年ロスチャイルド男爵の爵位を継承し、1999年まで貴族院議員を務めた。

経歴

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1936年4月29日、第3代ロスチャイルド男爵ヴィクター・ロスチャイルドとその先妻バーバラ・ジュディス(Barbara Judith)の長男としてバークシャーで生まれる[2][3]

イートン・カレッジを経てオックスフォード大学クライスト・チャーチを卒業する[2]。これまでロスチャイルド家はハーロー校を経てケンブリッジ大学へ進学するのが伝統だったので異例のことであった[4]

ニューヨークモルガン・スタンレーに勤務して財務を学んだのち[5]1963年から銀行N・M・ロスチャイルド&サンズに共同経営者として勤務する[6]1971年にはライフガーズ少尉として入隊している[2]。また1971年から1996年にかけてはセント・ジェームズ・プレイス英語版の社長も務めた[2]

ジェイコブはN・M・ロスチャイルド&サンズ内では投資部門「RIT英語版」を主導した[6]。ジェイコブはリスクを恐れない積極的なM&Aを好んだ。彼の主導でN・M・ロスチャイルド&サンズには外部からの資金が大量に流れ込むようになり、それを元手に積極的な企業買収が行われた[5]。その買収の1つがグランド・メトロポリタン英語版だった。当時イギリス史上最大のお金が動いたといわれている[4]。ジェイコブの企業買収でN・M・ロスチャイルド&サンズの業績は急速に伸びた[5]

しかしN・M・ロスチャイルド&サンズの経営権は株式の60%を持つ分家のエヴェリンが握っており、ジェイコブの父である第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターは20%の株しか持っていなかったから、やがてジェイコブの大胆なM&A路線は堅実経営を好むエヴェリンから独断にすぎると批判されるようになり、N・M・ロスチャイルド&サンズの内部対立は深刻化した。この争いを仲裁するために1975年に父ロスチャイルド卿が頭取に就任する。しかし結局父は筆頭株主エヴェリンを支持したので、ジェイコブは1980年にRITを率いてN・M・ロスチャイルド&サンズを飛び出した[7][8]。エヴェリンからは5本の矢を商標として使用するのを止めるよう求められたが、5本の矢は商標登録されていなかったので、ジェイコブはその要請を拒否し、N・M・ロスチャイルド&サンズの「下を向く5本の矢」に対する当て付けで「上を向く5本の矢」を商標にした[9]

この後、N・M・ロスチャイルド&サンズはエヴェリンの方針のもと、堅実経営に戻り、対するRITはジェイコブの方針のもと積極的な投資・企業買収を推進するという対照的な道へ進んでいくことになった。RITはオークション会社サザビーズや投資信託銀行ノーザンなどに投資しつつ、事務機器、リース業、保険関連会社などの買収を進めて事業を拡大していった。1983年にはニューヨーク・マーチャント銀行の株50%を買い、さらにチャーターハウス銀行と合併し「チャーターハウス・J・ロスチャイルド銀行」を創設した。独立から4年にして資本金を4倍にした恰好であり、シティでも有数の銀行として注目されるようになった[10]。しかしこの直後から、これまで買収した企業の株を次々と売却し、現金化して貯め込むようになった。ちょうど1987年にアメリカのウォール街が暴落し、1990年からはイギリスでもサッチャー政権の金融緩和によって発生していたバブルが弾けたので、これは見事なタイミングでの撤退となった(ロンドン・ロスチャイルド家の祖ネイサンは「早すぎると思うほど早く売ってしまうことです」という遺訓を残していた)[11][12]

RITがスペンサー伯爵家から賃借しているスペンサー・ハウス(2009年撮影)

1985年にRITはダイアナ妃の父であるスペンサー卿からスペンサー・ハウスを96年契約で賃借し、2000万ポンドの巨費を投じてその内装を18世紀の状態に復元した[13]。この修復作業はダイアナ妃からも高く評価された[14]

1990年に父ヴィクターが死去し、第4代ロスチャイルド男爵位を継承する[15]。同時に貴族院議員に列し、貴族院改革のあった1999年11月11日まで在職している[1][注釈 1]。しかし政党には所属せず、中立派の議員として行動していた[15]

資金がだぶついていたロスチャイルド卿は、1993年から投資管理会社RITキャピタル・パートナーズと投資、会社セント・ジェイムズ・プレイス・キャピタルを創設して、投資事業を再開した。さらにアメリカにもロスチャイルド・ウォルフェンソン投資会社を創設する[17]ソビエト連邦が崩壊して市場が自由化したロシアにも関心を持ち、1992年にはロシア・アメリカ投資会社の創設に協力した[17]1994年からは投資会社ロスチャイルド・アセット・マネジメントを創設してバイオ産業に投資を開始した[17]

2002年メリット勲章の叙勲を受けた[2]

2003年から2008年までBスカイBの副社長を務めた[18]。同じく2008年までRHJインターナショナルの取締役を務めた[19]

2010年11月には、ジェニー・エナジー英語版の株5%分を1000万ドルで購入した[20]。同社は2013年ゴラン高原南部に石油採掘権を獲得した[21]。太平洋にもJ. Rothschild Investment Management Ltd. という事業をもっている。役員の顔ぶれはGilbert de Botton, John Hodson, Peter Howard, Peter Oppenheimer, David Wood, Richard Wilkins, Nils Taube, Eva Schloss の夫Zvi Schloss ,Nicholas Roditi, David Montagu[注釈 2] など錚々たるものである[22]

コーンウォール公領の統治を行う公爵諮問会議の議員も務めている[23]

2024年2月26日に家族(ロスチャイルド財団)が訃報を発表[24]。87歳没[3]

長男のナサニエル・フィリップ・ヴィクター・ジェームズ・ロスチャイルド英語版が第5代ロスチャイルド男爵位を継承した[2]

慈善事業

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ロスチャイルド卿がかつて理事長を務めていたナショナル・ギャラリー

芸術家の保護に熱心であり、年間50万ポンドの寄付を行っている[15]ナショナル・ギャラリーの理事長や国家遺産記念財団英語版の会長[15]アシュモレアン博物館の外部委員会の委員[25]コートールド美術研究所の理事及び名誉フェロー[26]などを歴任している。

国外でも活躍し、ロシアエルミタージュ美術館の理事[27]アメリカプリツカー賞の会長[28]などを歴任した。1995年にはニューヨークワールド・モニュメント財団よりハドリアヌス賞(Hadrian Award)を受けた[2]

イスラエルでは、イスラエルのクネセト(国会)や最高裁判所の建物を寄贈した財団「ヤド・ハナディヴ」の議長を務めている[29]ユダヤ人政策研究所英語版の名誉会長も務めている[30]。この他、叔母であるドロシー・ド・ロスチャイルドが存命時代に設立した通信制大学「イスラエル・オープン大学」の総長代理として大学運営にあたっている[31]

栄典

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爵位・準男爵位

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1990年3月20日の父ヴィクター・ロスチャイルドの死去により以下の爵位・準男爵位を継承した[2][32]

  • ハートフォード州におけるトリングの第4代ロスチャイルド男爵 (4th Baron Rothschild, of Tring in the County of Hertford)
    (1885年6月29日勅許状による連合王国貴族爵位)
  • (グローヴナー・プレイスのロスチャイルド)第5代準男爵 (5th Baronet "Rothschild of Grosvenor Place")
    (1847年1月12日の勅許状による連合王国準男爵位)
  • 第6代ロートシルト男爵 (Freiherr von Rothschild)
    (1822年9月20日創設のオーストリア貴族爵位)

勲章

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その他

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子女

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1961年にセレナ・ドン英語版と結婚。彼女はカナダの投資家の初代準男爵英語版サー・ジェームズ・ハメット・ドン英語版の娘であった。 彼女との間に以下の4子を儲けている[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ トニー・ブレア政権による貴族院改革により、1999年11月11日に世襲貴族の議席は92議席を残して削除され、ロスチャイルド卿を含む大半の世襲貴族が議席を失った。以降の貴族院は、爵位を世襲できない一代貴族が議員の大半を占めている[16]
  2. ^ 特にデヴィッドのキャリア全体像を書いたソースを添えておく。Standard Telephones and Cables 社長を経験している。
    NA NA Investment Trust Year Book & Who's Who 1985, Springer, 2015, p.512.

出典

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  1. ^ a b UK Parliament. “Mr Nathaniel Rothschild” (英語). HANSARD 1803-2005. 2013年12月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Lundy, Darryl. “Nathaniel Charles Jacob Rothschild, 4th Baron Rothschild” (英語). thepeerage.com. 2013年11月24日閲覧。
  3. ^ a b Lord Jacob Rothschild: Financier dies aged 87” (英語). The Independent (2024年2月26日). 2024年2月26日閲覧。
  4. ^ a b 池内(2008) p.193
  5. ^ a b c 横山(1995) p.129
  6. ^ a b エドムンド(1999) p.263
  7. ^ 横山(1995) p.129-130
  8. ^ 池内(2008) p.194-195
  9. ^ 横山(1995) p.131
  10. ^ 横山(1995) p.132
  11. ^ 横山(1995) p.132-133
  12. ^ 池内(2008) p.195-196
  13. ^ 横山(1995) p.23
  14. ^ モートン(1992) p.291
  15. ^ a b c d 横山(1995) p.22
  16. ^ 田中(2009) p.229/241
  17. ^ a b c 横山(1995) p.134
  18. ^ Rothschild to act as BSkyB buffer “Rothschild to act as BSkyB buffer”. ガーディアン. (3 November 2003). http://www.guardian.co.uk/media/2003/nov/03/citynews.rupertmurdoch Rothschild to act as BSkyB buffer 2013年9月2日閲覧。 
  19. ^ Annual Shareholders’ Meeting notice”. RHJインターナショナル (2008年8月14日). 2013年9月2日閲覧。
  20. ^ PRELIMINARY INFORMATION STATEMENT OF GENIE ENERGY LTD”. 証券取引委員会 (2011年10月6日). 2013年9月12日閲覧。
  21. ^ Kelley, Michael (February 22, 2013). “Israel Grants First Golan Heights Oil Drilling License To Dick Cheney-Linked Company”. ビジネス・インサイダー. http://www.businessinsider.com/israel-grants-golan-heights-oil-license-2013-2 2013年9月12日閲覧。 
  22. ^ Mara M Vilcinskas Trust Yrbk Who's Who 1986, Springer, 1986, p.74.
  23. ^ Duchy of Cornwall - Management and Finances”. The Official Website for the Duchy of Cornwall. コーンウォール公領 (15 November 2011). 2013年9月2日閲覧。
  24. ^ ジェイコブ・ロスチャイルド氏死去 英金融・慈善事業家”. 日本経済新聞 (2024年2月26日). 2024年2月27日閲覧。
  25. ^ Annual Report of the Visitors of The Ashmolean Museum - August 2006—July 2007 (PDF) (Report). アシュモレアン博物館. 14 January 2008. 2013年9月2日閲覧
  26. ^ Swallow, Dr. Deborah. “The Courtauld Institute of Art : Newsletter Spring 2008 - From the Director”. The Courtauld Institute of Art website. コートールド美術研究所. 2013年9月2日閲覧。
  27. ^ Interview in the magazine Russian Journal”. Interview with the Ditector. エルミタージュ美術館 (2011年7月4日). 2013年9月2日閲覧。、元々の記事はRussian Journal. (2004年1月13日). 
  28. ^ The Pritzker Architecture Prize - Jury”. プリツカー賞 (2011年9月14日). 2013年9月2日閲覧。
  29. ^ Yad Hanadiv (Report). ヤド・ハナディヴ. 2013年9月12日閲覧
  30. ^ Institute of Jewish Policy Research: Governance (Report). ユダヤ人政策研究所英語版. 2013年9月12日閲覧
  31. ^ イスラエル・オープン大学. “Dedication of the Campus” (英語). The Open University. 2014年3月6日閲覧。
  32. ^ Heraldic Media Limited. “Rothschild, Baron (UK, 1885)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月21日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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イギリスの爵位
先代
ヴィクター・ロスチャイルド
第4代ロスチャイルド男爵
1990年-2024年
次代
ナサニエル・ロスチャイルド英語版