コンテンツにスキップ

「D-デイ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
 
(7人の利用者による、間の9版が非表示)
1行目: 1行目:
{{redirect|D-DAY|Agust D([[SUGA]])のアルバム|D-DAY (アルバム)}}
'''D-デイ'''('''D-Day''')とは、戦略上重要な攻撃もしくは作戦開始日時を表す際にしばしば用いられた[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の軍事用語。語頭のDの由来については諸説あるが、一例として漠然とした日付を表すDayの頭文字という解釈がある<ref>{{Cite web|author=US Army|url=http://www.army.mil/cmh-pg/faq/ddaydef.htm|title={{lang|en|US Army FAQ: What does the "D" signify in D-Day, and the "H" signify in H-Hour?}}|date=|language={{en icon}}|accessdate=2008-06-18(JST)}}</ref><ref>{{cite encyclopedia| title = D-Day|encyclopedia=The Oxford Companion to World War II|pages = 220|date = 2005|accessdate=2007-09-07|publisher=Oxford University Press|location = Oxford|isbn = 0-19-280666-1}}</ref>。
'''D-デイ'''('''D-Day''')は、戦略上重要な攻撃、もしくは作戦開始日時を表す際にしばしば用いられた[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の軍事用語。


== 成り立ち ==
歴史上最も有名なD-デイは[[1944年]][[6月6日]]であり、これは[[第二次世界大戦]]中に[[ナチス・ドイツ]]占領下の[[ヨーロッパ]]に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍が侵攻を開始した「'''[[オーヴァーロード作戦]]'''」の開始日である。詳しくは'''[[ノルマンディー上陸作戦]]'''を参照のこと。
語頭のDの由来については諸説あるが、一例として漠然とした日付を表すDayの頭文字という解釈がある<ref>{{Cite web|author=US Army|url=http://www.army.mil/cmh-pg/faq/ddaydef.htm|title={{lang|en|US Army FAQ: What does the "D" signify in D-Day, and the "H" signify in H-Hour?}}|date=|language={{en icon}}|accessdate=2008-06-18(JST)}}</ref><ref>{{cite encyclopedia| title = D-Day|encyclopedia=The Oxford Companion to World War II|pages = 220|date = 2005|publisher=Oxford University Press|location = Oxford|isbn = 0-19-280666-1}}</ref>。


== ノルマンディー上陸作戦 ==
ノルマンディー上陸作戦のD-デイは当初1944年6月5日に設定されたが、悪天候により連合軍最高司令官[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]元帥は翌6月6日に作戦を延期した。それ以来、1944年6月6日は一般的に「D-デイ」フランス語ではJour-J(付そのまま)もしくはLe Choc(衝撃)と呼ばれると呼称されるようになった。これが一般に広く知れ渡ったため、その後の軍事作戦立案担当者は作戦開始の日付を「D-デイ」と呼称するのを避けるようになった。例えば、[[ダグラス・マッカーサー]]元帥指揮による[[レイテ島]]への侵攻作戦は「A-デイ」と呼称され、[[沖縄本島|沖縄]]侵攻作戦は「L デイ」と呼ばれた。マッカーサーは[[ダウンフォール作戦|日本本土侵攻作戦]]の開始日を「[[Xデー|X-デイ]]」([[九州]]、1945年11月に予定)「Y-デイ」(関東、1946年3月に予定)と提案していた。
歴史上最も有名なD-デイは[[1944年]][[6月6日]]であり、これは[[第二次世界大戦]]中に[[ナチス・ドイツ]]占領下の[[ドイツによるヨーロッパ占領|ヨーロッパ]]に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍が侵攻を開始した「'''[[オーヴァーロード作戦]]'''」の開始日である。詳しくは'''[[ノルマンディー上陸作戦]]'''を参照のこと。

ノルマンディー上陸作戦のD-デイは当初1944年6月5日に設定されたが、悪天候により連合軍最高司令官[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]元帥は翌6月6日に作戦を延期した。それ以来、1944年6月6日は一般的に「D-デイ」<ref>フランス語ではJour-J(jour=日)もしくはLe Choc(衝撃)と呼ばれる</ref>と呼称されるようになった。これが一般に広く知れ渡ったため、その後の軍事作戦立案担当者は作戦開始の日付を「D-デイ」と呼称するのを避けるようになった。例えば、[[ダグラス・マッカーサー]]元帥指揮による[[レイテ島]]への侵攻作戦は「A-デイ」と呼称され、[[沖縄本島|沖縄]]侵攻作戦は「L-デイ」と呼ばれた。マッカーサーは[[ダウンフォール作戦|日本本土侵攻作戦]]の開始日を「[[Xデー|X-デイ]]」([[九州]]・[[ダウンフォール作戦#オリンピック作戦|オリンピック作戦]]、1945年11月に予定)「Y-デイ」([[関東地方|関東]]・[[ダウンフォール作戦#コロネット作戦|コロネット作戦]]、1946年3月に予定)と提案していた。


同様の語法で作戦開始時刻を「H-アワー」(H-hour)と言うことも多い。これを基準に時間の経過を表現し、たとえば「H+2」は作戦開始2時間後の意味である。
同様の語法で作戦開始時刻を「H-アワー」(H-hour)と言うことも多い。これを基準に時間の経過を表現し、たとえば「H+2」は作戦開始2時間後の意味である。
12行目: 17行目:


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[ノルマンディー上陸作戦]]
* [[ノルマンディー上陸作戦]]
* [[Xデー]]


{{War-stub}}
{{War-stub}}
20行目: 26行目:
[[Category:軍事史]]
[[Category:軍事史]]
[[Category:6月]]
[[Category:6月]]
[[Category:西部戦線 (第二次世界大戦)]]
[[Category:西部戦線 (1944年‐1945年)]]

2024年7月6日 (土) 14:27時点における最新版

D-デイD-Day)は、戦略上重要な攻撃、もしくは作戦開始日時を表す際にしばしば用いられたアメリカの軍事用語。

成り立ち

[編集]

語頭のDの由来については諸説あるが、一例として漠然とした日付を表す「Day」の頭文字という解釈がある[1][2]

ノルマンディー上陸作戦

[編集]

歴史上最も有名なD-デイは1944年6月6日であり、これは第二次世界大戦中にナチス・ドイツ占領下のヨーロッパ連合国軍が侵攻を開始した「オーヴァーロード作戦」の開始日である。詳しくはノルマンディー上陸作戦を参照のこと。

ノルマンディー上陸作戦のD-デイは当初1944年6月5日に設定されたが、悪天候により連合軍最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワー元帥は翌6月6日に作戦を延期した。それ以来、1944年6月6日は一般的に「D-デイ」[3]と呼称されるようになった。これが一般に広く知れ渡ったため、その後の軍事作戦立案担当者は作戦開始の日付を「D-デイ」と呼称するのを避けるようになった。例えば、ダグラス・マッカーサー元帥指揮によるレイテ島への侵攻作戦は「A-デイ」と呼称され、沖縄侵攻作戦は「L-デイ」と呼ばれた。マッカーサーは日本本土侵攻作戦の開始日を「X-デイ」(九州オリンピック作戦、1945年11月に予定)「Y-デイ」(関東コロネット作戦、1946年3月に予定)と提案していた。

同様の語法で作戦開始時刻を「H-アワー」(H-hour)と言うことも多い。これを基準に時間の経過を表現し、たとえば「H+2」は作戦開始2時間後の意味である。

脚注

[編集]
  1. ^ US Army. “US Army FAQ: What does the "D" signify in D-Day, and the "H" signify in H-Hour?” ((英語)). 2008-06-18(JST)閲覧。
  2. ^ "D-Day". The Oxford Companion to World War II. Oxford: Oxford University Press. 2005. p. 220. ISBN 0-19-280666-1
  3. ^ フランス語ではJour-J(jour=日)もしくはLe Choc(衝撃)と呼ばれる

関連項目

[編集]