「JATO」の版間の差分
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[[File:First_JATO_assisted_Flight_-_GPN-2000-001538.jpg|thumb|300px|[[カリフォルニア州]]、[[:en:March Joint Air Reserve Base|マーチ飛行場]]で[[:en:GALCIT|GALCIT]]ブースターを装着した[[:en:ERCO Ercoupe|エルコ エルクーペ]]により行われた[[アメリカ合衆国|米国]]で最初のJATOを使用した離陸(1941年8月12日)]] |
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{{lang|en|'''JATO'''}}(ジャトー)は、{{lang|en|'''Jet-fuel Assisted Take Off'''}}(ジェット補助推進離陸)の[[頭字語]]で、補助用に追加した[[ジェット |
{{lang|en|'''JATO'''}}(ジャトー)は、{{lang|en|'''Jet-fuel Assisted Take Off'''}}(ジェット補助推進離陸)の[[頭字語]]で、補助用に追加した[[ジェットエンジン|ジェット推進]]機(ブースター)の推力を利用して航空機が本来必要な滑走距離よりも短距離で離陸すること、およびそのための[[ブースター]]を含む装置のことである。空気吸入型エンジンではない、[[ロケットエンジン]]を使用するものを特に[[RATO]]と呼び細分類とすることもあるが、この記事ではロケットエンジンを使用するものも含めた広義の意。 |
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空気吸入型エンジンではない、ロケットエンジンを使用するものを特に[[RATO]]と呼び、細分類とすることもある(英単語 jet は「噴流」の意であるからその意味ではロケットも含む。従って語義的に厳密にはRATOもJATOに含まれるとするのが正しく、「厳密には区別する」とするのは間違いである)。 |
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== 初期の実験と第二次世界大戦 == |
== 初期の実験と第二次世界大戦 == |
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[[File:Hawker_Hurricane_W9182_On_CAM_Ship.jpg|thumb|250px|[[CAMシップ]]に搭載された[[ホーカー ハリケーン]]]] |
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ロケットを使用して[[グライダー]]を離陸させる初期の実験は[[1920年代]]の[[ドイツ]]で行われており([[:en:Lippisch Ente|リピッシュ エンテ]])、後に[[イギリス空軍|英空軍]]と[[ドイツ空軍]]の双方で[[第二次世界大戦]]中にこの装置が導入された<ref >「{{lang|en|For operations from small flight decks with heavy loads, rocket-assisted take-offs were necessary.}}」 http://uboat.net/allies/aircraft/swordfish.htm</ref>。英国の装置は、ドイツの[[偵察機]]に対するある程度の防衛のためにかなり大型の[[固体燃料ロケット]]を使用して航空機(典型的な機種は[[ホーカー ハリケーン]])を[[CAMシップ|{{lang|en|CAM}}シップ]]として知られる商船の船首に据え付けた短い[[斜路|ランプ]]から射出するというものであった。燃焼後にロケットは機体後部から投棄され、海面に落下後に沈んだ。任務が終了すると操縦士は可能であれば友軍占領地まで飛行するか、護衛艦船の1隻に拾い上げられることに望みを託して[[パラシュート]]で脱出した。2年にわたる期間でこの装置は僅か9回しか使用されなかったが、ドイツ軍機の8機撃墜を記録し1名の搭乗員を失った。 |
ロケットを使用して[[グライダー]]を離陸させる初期の実験は[[1920年代]]の[[ドイツ]]で行われており([[:en:Lippisch Ente|リピッシュ エンテ]])、後に[[イギリス空軍|英空軍]]と[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の双方で[[第二次世界大戦]]中にこの装置が導入された<ref >「{{lang|en|For operations from small flight decks with heavy loads, rocket-assisted take-offs were necessary.}}」 http://uboat.net/allies/aircraft/swordfish.htm</ref>。英国の装置は、ドイツの[[偵察機]]に対するある程度の防衛のためにかなり大型の[[固体燃料ロケット]]を使用して航空機(典型的な機種は[[ホーカー ハリケーン]])を[[CAMシップ|{{lang|en|CAM}}シップ]]として知られる商船の船首に据え付けた短い[[斜路|ランプ]]から射出するというものであった。燃焼後にロケットは機体後部から投棄され、海面に落下後に沈んだ。任務が終了すると操縦士は可能であれば友軍占領地まで飛行するか、護衛艦船の1隻に拾い上げられることに望みを託して[[パラシュート]]で脱出した。2年にわたる期間でこの装置は僅か9回しか使用されなかったが、ドイツ軍機の8機撃墜を記録し1名の搭乗員を失った。 |
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[[File:Arado_234B_1.jpg|thumb|left|主翼下に[[ヴァルター HWK 109-500]]ポッドを装着した[[アラドAr234]]]] |
[[File:Arado_234B_1.jpg|thumb|250px|left|主翼下に[[ヴァルター HWK 109-500]]ポッドを装着した[[アラドAr234]]]] |
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ドイツ空軍もこの手法を自軍の小型爆撃機と[[1940年]]の[[アシカ作戦|英国侵攻作戦]]用に用意され、[[独ソ戦|東部戦線]]への補給にも使用された巨大な[[Me 321 (航空機)|メッサーシュミット Me 321]]「ギガント」グライダーの補助推進離陸に使用した。Me 321は3機の爆撃機に曳航されて離陸していたが、貨物を搭載した場合その離陸距離は非常に長くなっていた。戦争後期になり連合国軍の攻撃により使用可能な滑走路の長さがかなり短いものになってくると航空機の離陸距離の問題は特に重要になってきた。ドイツが使用した装置の典型的なものは、本質的にはほぼ純粋の[[過酸化水素]]である[[:en:T-Stoff|T液]]の燃焼で稼動するヴァルター HWK 109-500 「シュタルトヒルフェ」({{lang|de|''Starthilfe''}})ロケットエンジンであった。離陸後に投棄されるとロケットエンジンの前部に取り付けられたパラシュート・パックが開傘し、ロケットエンジン自体は再利用することができた。[[1937年]]に[[ベルリン]]の東70 kmの[[:en:Neuhardenberg|ノイハルデンベルク]]にある戦時には予備飛行場だった広大な飛行場で最初の実験が[[テストパイロット]]の[[エーリヒ・ヴァルジッツ]]の操縦で[[ハインケル He111|ハインケル He 111]]を使用して行われた<ref >Warsitz, Lutz: [http://www.pen-and-sword.co.uk/?product_id=1762 {{lang|en|''THE FIRST JET PILOT - The Story of German Test Pilot Erich Warsitz''}} (45ページ)、{{lang|en|Pen and Sword Books Ltd.}}、イギリス、2009年]</ref>。ドイツのその他の実験的な{{lang|en|JATO}}の利用は、「ハイマートシュッツァー」({{lang|de|''Heimatschützer''}})と呼ばれるより短時間で敵爆撃機編隊の高度まで上昇できるように改造された特別製の[[メッサーシュミット Me262]]のような迎撃戦闘機を補助推進する目的のものであった。これには3タイプのRATOがあり、全てが[[液体燃料ロケット|液体燃料]]を使用するものであった。3タイプの中から2タイプの「ハイマートシュッツァー」版Me 262の試作機が製作され、飛行テストを行った。 |
ドイツ空軍もこの手法を自軍の小型爆撃機と[[1940年]]の[[アシカ作戦|英国侵攻作戦]]用に用意され、[[独ソ戦|東部戦線]]への補給にも使用された巨大な[[Me 321 (航空機)|メッサーシュミット Me 321]]「ギガント」グライダーの補助推進離陸に使用した。Me 321は3機の爆撃機に曳航されて離陸していたが、貨物を搭載した場合その離陸距離は非常に長くなっていた。戦争後期になり[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍の攻撃により使用可能な滑走路の長さがかなり短いものになってくると航空機の離陸距離の問題は特に重要になってきた。ドイツが使用した装置の典型的なものは、本質的にはほぼ純粋の[[過酸化水素]]である[[:en:T-Stoff|T液]]の燃焼で稼動するヴァルター HWK 109-500 「シュタルトヒルフェ」({{lang|de|''Starthilfe''}})ロケットエンジンであった。離陸後に投棄されるとロケットエンジンの前部に取り付けられたパラシュート・パックが開傘し、ロケットエンジン自体は再利用することができた。[[1937年]]に[[ベルリン]]の東70 kmの[[:en:Neuhardenberg|ノイハルデンベルク]]にある戦時には予備飛行場だった広大な飛行場で最初の実験が[[テストパイロット]]の[[エーリヒ・ヴァルジッツ]]の操縦で[[ハインケル He111|ハインケル He 111]]を使用して行われた<ref >Warsitz, Lutz: [http://www.pen-and-sword.co.uk/?product_id=1762 {{lang|en|''THE FIRST JET PILOT - The Story of German Test Pilot Erich Warsitz''}} (45ページ)、{{lang|en|Pen and Sword Books Ltd.}}、イギリス、2009年]</ref>。ドイツのその他の実験的な{{lang|en|JATO}}の利用は、「ハイマートシュッツァー」({{lang|de|''Heimatschützer''}})と呼ばれるより短時間で敵爆撃機編隊の高度まで上昇できるように改造された特別製の[[メッサーシュミット Me262]]のような迎撃戦闘機を補助推進する目的のものであった。これには3タイプのRATOがあり、全てが[[液体燃料ロケット|液体燃料]]を使用するものであった。3タイプの中から2タイプの「ハイマートシュッツァー」版Me 262の試作機が製作され、飛行テストを行った。 |
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[[1939年]]の初めに[[米国科学アカデミー]]は、ロケット補助推進による航空機の離陸に関する研究のために[[セオドア・フォン・カルマン]]と[[:en:Guggenheim Aeronautical Laboratory|グッゲンハイム航空研究所]]のロケット研究グループに対し1,000[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]を支給した。このJATO研究は、 |
[[1939年]]の初めに[[米国科学アカデミー]]は、ロケット補助推進による航空機の離陸に関する研究のために[[セオドア・フォン・カルマン]]と[[:en:Guggenheim Aeronautical Laboratory|グッゲンハイム航空研究所]]のロケット研究グループに対し1,000[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]を支給した。このJATO研究は、アメリカ政府から資金援助を受けた最初のロケット研究であった<ref >{{cite web |
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|title={{lang|en|Memoir on the GALCIT Rocket Research Project}} |
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|date=1989 |
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== 第二次世界大戦後 == |
== 第二次世界大戦後 == |
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第二次世界大戦後に{{lang|en|JATO}}は、当時の[[ターボジェットエンジン]]の低速時の低推力特性のお陰で一般的なものとなり、離陸時に[[:アームストロング・シドレー ヴァイパー]]を使用した[[アブロ シャクルトン]]のような大重量の航空機を離陸させるための手段として利用されるようになったが、ジェットエンジンの離陸時推力が増加するようになると{{lang|en|JATO}}は廃れていった。しかし、積載重量が大の航空機を短距離で離陸させる場合や「[[:en:Hot and high|高地/高温]]」環境下での運用では現在でも使用され続けている。 |
第二次世界大戦後に{{lang|en|JATO}}は、当時の[[ターボジェットエンジン]]の低速時の低推力特性のお陰で一般的なものとなり、離陸時に[[:アームストロング・シドレー ヴァイパー]]を使用した[[アブロ シャクルトン]]のような大重量の航空機を離陸させるための手段として利用されるようになったが、ジェットエンジンの離陸時推力が増加するようになると{{lang|en|JATO}}は廃れていった。しかし、積載重量が大の航空機を短距離で離陸させる場合や「[[:en:Hot and high|高地/高温]]」環境下での運用では現在でも使用され続けている。 |
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類似した2つの[[ゼロ距離発進]]の実験計画が[[1950年代]]遅くのほぼ同時期に[[アメリカ |
類似した2つの[[ゼロ距離発進]]の実験計画が[[1950年代]]遅くのほぼ同時期に[[アメリカ空軍]]と[[ソ連空軍]]で実施された。アメリカ空軍は[[MGM-1 (ミサイル)|MGM-1 マタドール]][[巡航ミサイル]]の固定燃料ブースターを使用したEF-84G と命名された[[F-84 (戦闘機)|リパブリック F-84]]の改造型を用い、ソ連空軍はEF-84Gに使用されたものとほぼ同一の固定燃料ロケットブースターを使用し特製の発射台から射出されるSM-30と命名された[[MiG-19 (航空機)|MiG-19]]戦闘機の改造型を用いた。[[F-100 (戦闘機)|ノースアメリカン F-100]]と[[F-104 (戦闘機)|ロッキード F-104]]もゼロ距離発進の実験に使用された<ref >http://www.vectorsite.net/avzel.html</ref>。[[ベトナム戦争]]では、旧[[南ベトナム]]に展開した[[海兵隊航空団]]が、本格的な滑走路が建設されるまでの一時期、[[A-4 スカイホーク|A-4スカイホーク]]などにおいて離陸の補助としてJATOを(地上設置型[[カタパルト]]などと共に)使用している。 |
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[[:en:Operation Credible Sport|クレディブル・スポーツ作戦]]は、離陸用・逆噴射用といった多数のロケットエンジンを装着して短距離での離着陸を可能とした改造型の[[C-130 (航空機)|ロッキード C-130]]輸送機を使用して[[イラン]]に囚われている人質を救出するという[[1980年代]]末の |
[[:en:Operation Credible Sport|クレディブル・スポーツ作戦]]は、離陸用・逆噴射用といった多数のロケットエンジンを装着して短距離での離着陸を可能とした改造型の[[C-130 (航空機)|ロッキード C-130]][[輸送機]]を使用して[[イラン]]に囚われている人質を救出するという[[1980年代]]末のアメリカの軍事作戦であった。この作戦は、テスト着陸中に逆噴射用として装備されたRATO装置が早く点火し過ぎたために機体が地面に叩きつけられた事故が発生したため中止された。これについては[[イーグルクロー作戦#第二の救出作戦|イーグルクロー作戦]]の項も参照。 |
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大型の[[爆撃機]]を保有していない[[アメリカ海軍]]では核攻撃に対する独自の報復攻撃手段として、中型の爆撃機をJATOにより強制発艦させる計画が存在した。アメリカ海軍の艦 |
大型の[[爆撃機]]を保有していない[[アメリカ海軍]]では核攻撃に対する独自の報復攻撃手段として、中型の爆撃機をJATOにより強制発艦させる計画が存在した。アメリカ海軍の[[艦上攻撃機]]は航続距離が短く発艦前に[[航空母艦|空母]]が危険にさらされるため、攻撃機より積載量と航続距離に優れ爆装が可能な[[対潜哨戒機]][[P-2 (航空機)|P-2]]から対潜機材を撤去し、[[リトルボーイ|Mk.1]]と投下に必要な装備に変更した艦上核爆撃型『P2V-3C』を少数配備していた。実戦ではP2V-3Cの作戦行動半径まで空母に艦載し洋上を移動、JATOの補助により離艦して目標に報復爆撃を行った後、空母の周辺に不時着水して乗員を回収する予定であった(着艦は不可能)。[[冷戦]]中は定期的に訓練が行われていたが実戦がないまま冷戦が終結、機体も老朽化し後継の[[P-3 (航空機)|P-3]]が大型で艦載できない事に加え、[[弾道ミサイル]]や[[原子力潜水艦]]が発達したことから、P-2の退役に合わせ終了となった。 |
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[[1961年]]、[[ジョン・F・ケネディ]]が待避する[[防空壕]]を[[ナンタケット]]に建設する際、偽装のため[[アメリカ海軍]]のJATO保管庫と公表していた。 |
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== JATOの必要性 == |
== JATOの必要性 == |
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航空機の総重量に対して滑走距離が短い場合や短時間で高空まで上昇させるなど、推進力が足りない場合にJATOが必要とされる。 |
航空機の総重量に対して滑走距離が短い場合や短時間で高空まで上昇させるなど、推進力が足りない場合にJATOが必要とされる。 |
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{{Main|RATO#ロケット補助の必要性}} |
{{Main|RATO#ロケット補助の必要性}} |
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[[垂直離着陸機]]には滑走離着陸より大幅に高推力が必要となる。これを得るための、水平巡航用の主エンジンと別に推力離陸に使用するリフトエンジンを備えるものは、内蔵固定のJATO装備とも言える。 |
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== JATOの欠点 == |
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補助推進器を備えることで機体の部品点数は増加しコスト増となる。固体ロケットのような消耗品だとさらにコストが嵩む。 |
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効果を高めるには推力で機体を持ち上げるよう噴射を下向きに装備することになり、滑走路に与えるダメージが大きい。大戦後の機体規模の大型化に比例したJATO推力の増大と共にこの問題は深刻化した。噴射で路面が高温に炙られ後続機の速やかな発着が妨げられることにもなる。 |
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推力の大負荷が加わるため高信頼が必要にもかかわらず、飛行性能の観点から上空で切り離し可能な構造とする矛盾がある。仮に噴射中のブースターが脱落すると機体その他に衝突し大事故となるリスクがある。 |
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このように運用上の問題が大きいため、機体規模も補助推力も小さい[[UAV]](無人機)あるいはミサイルならともかく、有人機スケールでJATOの常用を前提とした機体は非常に少ない。 |
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== JATOの都市伝説 == |
== JATOの都市伝説 == |
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|publisher=snopes.com |
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|accessdate=2010年12月16日 |
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}}</ref>。この伝説は[[ディスカバリーチャンネル]]の番組『''[[怪しい伝説]]''』で3回検証された。最初の検証は[[2003年]]のパイロット放送版の中で番組制作メンバーが商用販売されているアマチュア向けのロケットモーターを入手してこの場面を再現した。車は恐ろしく速く走り、追跡撮影用の[[ヘリコプター]]を置き去りにするほどであったが、元の話で語られる300 mph (500 km/h) 辺りの速度には達せずに離陸するまでは至らなかった。この伝説は再度[[2007年]]に車を離陸させようという意図で前回と異なる構造のロケットを使用して検証されたが、車は発射台の先端に到達する前に爆発してしまった。[[2013年]]の検証では、元の話通りの速度に達し一度舞い上がったがすぐに回転して落ち、飛行はできないことが検証された。また、発射台を用いた実験で一度高く上がったが、数秒で地面に激突し、離陸して山腹に激突はできないことが確認された。 |
}}</ref>。この伝説は[[ディスカバリーチャンネル]]の番組『''[[怪しい伝説]]''』で3回検証された。 |
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最初の検証は[[2003年]]のパイロット放送版の中で番組制作メンバーが商用販売されているアマチュア向けのロケットモーターを入手してこの場面を再現した。車は恐ろしく速く走り、追跡撮影用の[[ヘリコプター]]を置き去りにするほどであったが、元の話で語られる300 mph (500 km/h) 辺りの速度には達せずに離陸するまでは至らなかった。この伝説は再度[[2007年]]に車を離陸させようという意図で前回と異なる構造のロケットを使用して検証されたが、車は発射台の先端に到達する前に爆発してしまった。 |
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[[2013年]]の検証では、元の話通りの速度に達し一度舞い上がったがすぐに回転して落ち、飛行はできないことが検証された。また、発射台を用いた実験で一度高く上がったが、数秒で地面に激突し、離陸して山腹に激突はできないことが確認された。 |
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File:Boeing_B-47B_rocket-assisted_take_off_on_April_15,_1954_061024-F-1234S-011.jpg|RATOを使用して離陸する[[B-47 (航空機)|ボーイング B-47]] |
File:Boeing_B-47B_rocket-assisted_take_off_on_April_15,_1954_061024-F-1234S-011.jpg|RATOを使用して離陸する[[B-47 (航空機)|ボーイング B-47]] |
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File:Lockheed P2V-3C Neptune takes off from USS Franklin D. Roosevelt (CVB-42) on 2 July 1951 (80-G-629296).jpg|[[フランクリン・D・ルーズベルト (空母)|空母フランクリン・D・ルーズベルト]]からJATOを使用して発艦するP2V-3C(1951年7月2日) |
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File:North_American_F-100D_Zero_lenght_launch_060922-F-1234S-008.jpg|[[ゼロ距離発進]]で離陸する[[F-100 (戦闘機)|ノースアメリカン F-100]] |
File:North_American_F-100D_Zero_lenght_launch_060922-F-1234S-008.jpg|[[ゼロ距離発進]]で離陸する[[F-100 (戦闘機)|ノースアメリカン F-100]] |
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File:Jato3.jpg|{{lang|en|RATO}}を使用して離陸する[[スイス空軍]]の[[ミラージュIII (戦闘機)|ダッソー ミラージュ III]]([[:en:Payerne|パイェルヌ]]にて) |
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File:Mirage IVP (17017214482).jpg|RATOを使用して離陸する[[フランス空軍]]の[[ミラージュIV (航空機)|ミラージュIV P]] |
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File:US_Navy_040206-N-9222M-001_One_of_five_BQM-74_test_drones_launches_from_the_amphibious_assault_ship_USS_Essex's_(LHD_2)_flight_deck_during_a_missile_firing_exercise.jpg|{{lang|en|JATO}}を使用する[[:en:BQM-74E Chukar|BQM-74E チャカ]] 標的機 |
File:US_Navy_040206-N-9222M-001_One_of_five_BQM-74_test_drones_launches_from_the_amphibious_assault_ship_USS_Essex's_(LHD_2)_flight_deck_during_a_missile_firing_exercise.jpg|{{lang|en|JATO}}を使用する[[:en:BQM-74E Chukar|BQM-74E チャカ]] 標的機 |
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File:Rocket_Engine_BS605-001.JPG|[[ブラックバーン バッカニア]] S.50で使用された[[ブリストル・シドレー BS.605|BS.605]] |
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File:RI502_rockets.jpg|RI 502 {{lang|en|JATO}}ロケット |
File:RI502_rockets.jpg|RI 502 {{lang|en|JATO}}ロケット |
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File:JATO Bottle.jpg|{{lang|en|RATO}}ボトル |
File:JATO Bottle.jpg|{{lang|en|RATO}}ボトル |
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== 関連項目 == |
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== 外部リンク == |
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* [http://www.erichwarsitz.com {{lang|en|Video (Archive) of the Heinkel He 111 fitted with Walter's rocket boosters}}] |
* [http://www.erichwarsitz.com {{lang|en|Video (Archive) of the Heinkel He 111 fitted with Walter's rocket boosters}}] |
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[[Category:ジェットエンジン|*JATO]] |
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[[Category:航空機の構成要素]] |
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[[Category:航空機の離着陸]] |
2024年1月21日 (日) 01:19時点における版
JATO(ジャトー)は、Jet-fuel Assisted Take Off(ジェット補助推進離陸)の頭字語で、補助用に追加したジェット推進機(ブースター)の推力を利用して航空機が本来必要な滑走距離よりも短距離で離陸すること、およびそのためのブースターを含む装置のことである。空気吸入型エンジンではない、ロケットエンジンを使用するものを特にRATOと呼び細分類とすることもあるが、この記事ではロケットエンジンを使用するものも含めた広義の意。
イギリス空軍ではRATOG(Rocket-Assisted Take Off Gear)と呼び、アメリカ合衆国においては「ジェイトー」に近い発音をする。
初期の実験と第二次世界大戦
ロケットを使用してグライダーを離陸させる初期の実験は1920年代のドイツで行われており(リピッシュ エンテ)、後に英空軍とドイツ空軍の双方で第二次世界大戦中にこの装置が導入された[1]。英国の装置は、ドイツの偵察機に対するある程度の防衛のためにかなり大型の固体燃料ロケットを使用して航空機(典型的な機種はホーカー ハリケーン)をCAMシップとして知られる商船の船首に据え付けた短いランプから射出するというものであった。燃焼後にロケットは機体後部から投棄され、海面に落下後に沈んだ。任務が終了すると操縦士は可能であれば友軍占領地まで飛行するか、護衛艦船の1隻に拾い上げられることに望みを託してパラシュートで脱出した。2年にわたる期間でこの装置は僅か9回しか使用されなかったが、ドイツ軍機の8機撃墜を記録し1名の搭乗員を失った。
ドイツ空軍もこの手法を自軍の小型爆撃機と1940年の英国侵攻作戦用に用意され、東部戦線への補給にも使用された巨大なメッサーシュミット Me 321「ギガント」グライダーの補助推進離陸に使用した。Me 321は3機の爆撃機に曳航されて離陸していたが、貨物を搭載した場合その離陸距離は非常に長くなっていた。戦争後期になり連合国軍の攻撃により使用可能な滑走路の長さがかなり短いものになってくると航空機の離陸距離の問題は特に重要になってきた。ドイツが使用した装置の典型的なものは、本質的にはほぼ純粋の過酸化水素であるT液の燃焼で稼動するヴァルター HWK 109-500 「シュタルトヒルフェ」(Starthilfe)ロケットエンジンであった。離陸後に投棄されるとロケットエンジンの前部に取り付けられたパラシュート・パックが開傘し、ロケットエンジン自体は再利用することができた。1937年にベルリンの東70 kmのノイハルデンベルクにある戦時には予備飛行場だった広大な飛行場で最初の実験がテストパイロットのエーリヒ・ヴァルジッツの操縦でハインケル He 111を使用して行われた[2]。ドイツのその他の実験的なJATOの利用は、「ハイマートシュッツァー」(Heimatschützer)と呼ばれるより短時間で敵爆撃機編隊の高度まで上昇できるように改造された特別製のメッサーシュミット Me262のような迎撃戦闘機を補助推進する目的のものであった。これには3タイプのRATOがあり、全てが液体燃料を使用するものであった。3タイプの中から2タイプの「ハイマートシュッツァー」版Me 262の試作機が製作され、飛行テストを行った。
1939年の初めに米国科学アカデミーは、ロケット補助推進による航空機の離陸に関する研究のためにセオドア・フォン・カルマンとグッゲンハイム航空研究所のロケット研究グループに対し1,000USドルを支給した。このJATO研究は、アメリカ政府から資金援助を受けた最初のロケット研究であった[3][4]。1941年にはアメリカ海軍との契約でJATOを生産するためリアクション・モーターズが設立された。
第二次世界大戦後
第二次世界大戦後にJATOは、当時のターボジェットエンジンの低速時の低推力特性のお陰で一般的なものとなり、離陸時にアームストロング・シドレー ヴァイパーを使用したアブロ シャクルトンのような大重量の航空機を離陸させるための手段として利用されるようになったが、ジェットエンジンの離陸時推力が増加するようになるとJATOは廃れていった。しかし、積載重量が大の航空機を短距離で離陸させる場合や「高地/高温」環境下での運用では現在でも使用され続けている。
類似した2つのゼロ距離発進の実験計画が1950年代遅くのほぼ同時期にアメリカ空軍とソ連空軍で実施された。アメリカ空軍はMGM-1 マタドール巡航ミサイルの固定燃料ブースターを使用したEF-84G と命名されたリパブリック F-84の改造型を用い、ソ連空軍はEF-84Gに使用されたものとほぼ同一の固定燃料ロケットブースターを使用し特製の発射台から射出されるSM-30と命名されたMiG-19戦闘機の改造型を用いた。ノースアメリカン F-100とロッキード F-104もゼロ距離発進の実験に使用された[5]。ベトナム戦争では、旧南ベトナムに展開した海兵隊航空団が、本格的な滑走路が建設されるまでの一時期、A-4スカイホークなどにおいて離陸の補助としてJATOを(地上設置型カタパルトなどと共に)使用している。
クレディブル・スポーツ作戦は、離陸用・逆噴射用といった多数のロケットエンジンを装着して短距離での離着陸を可能とした改造型のロッキード C-130輸送機を使用してイランに囚われている人質を救出するという1980年代末のアメリカの軍事作戦であった。この作戦は、テスト着陸中に逆噴射用として装備されたRATO装置が早く点火し過ぎたために機体が地面に叩きつけられた事故が発生したため中止された。これについてはイーグルクロー作戦の項も参照。
大型の爆撃機を保有していないアメリカ海軍では核攻撃に対する独自の報復攻撃手段として、中型の爆撃機をJATOにより強制発艦させる計画が存在した。アメリカ海軍の艦上攻撃機は航続距離が短く発艦前に空母が危険にさらされるため、攻撃機より積載量と航続距離に優れ爆装が可能な対潜哨戒機P-2から対潜機材を撤去し、Mk.1と投下に必要な装備に変更した艦上核爆撃型『P2V-3C』を少数配備していた。実戦ではP2V-3Cの作戦行動半径まで空母に艦載し洋上を移動、JATOの補助により離艦して目標に報復爆撃を行った後、空母の周辺に不時着水して乗員を回収する予定であった(着艦は不可能)。冷戦中は定期的に訓練が行われていたが実戦がないまま冷戦が終結、機体も老朽化し後継のP-3が大型で艦載できない事に加え、弾道ミサイルや原子力潜水艦が発達したことから、P-2の退役に合わせ終了となった。
1961年、ジョン・F・ケネディが待避する防空壕をナンタケットに建設する際、偽装のためアメリカ海軍のJATO保管庫と公表していた。
JATOの必要性
航空機の総重量に対して滑走距離が短い場合や短時間で高空まで上昇させるなど、推進力が足りない場合にJATOが必要とされる。
垂直離着陸機には滑走離着陸より大幅に高推力が必要となる。これを得るための、水平巡航用の主エンジンと別に推力離陸に使用するリフトエンジンを備えるものは、内蔵固定のJATO装備とも言える。
JATOの欠点
補助推進器を備えることで機体の部品点数は増加しコスト増となる。固体ロケットのような消耗品だとさらにコストが嵩む。
効果を高めるには推力で機体を持ち上げるよう噴射を下向きに装備することになり、滑走路に与えるダメージが大きい。大戦後の機体規模の大型化に比例したJATO推力の増大と共にこの問題は深刻化した。噴射で路面が高温に炙られ後続機の速やかな発着が妨げられることにもなる。
推力の大負荷が加わるため高信頼が必要にもかかわらず、飛行性能の観点から上空で切り離し可能な構造とする矛盾がある。仮に噴射中のブースターが脱落すると機体その他に衝突し大事故となるリスクがある。
このように運用上の問題が大きいため、機体規模も補助推力も小さいUAV(無人機)あるいはミサイルならともかく、有人機スケールでJATOの常用を前提とした機体は非常に少ない。
JATOの都市伝説
JATO装置を装着した車が加速のあまり離陸し、山腹に激突しているのが発見された―という有名な話があり、しばしばダーウィン賞の一例として紹介される。ただし、このJATOカーをめぐる物語に根拠は無く、事実かどうかは不明な都市伝説である[6]。この伝説はディスカバリーチャンネルの番組『怪しい伝説』で3回検証された。
画像
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RATOを使用して離陸するボーイング B-47
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空母フランクリン・D・ルーズベルトからJATOを使用して発艦するP2V-3C(1951年7月2日)
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ゼロ距離発進で離陸するノースアメリカン F-100
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JATOを使用するBQM-74E チャカ 標的機
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ブラックバーン バッカニア S.50で使用されたBS.605
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RI 502 JATOロケット
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RATOボトル
出典
- ^ 「For operations from small flight decks with heavy loads, rocket-assisted take-offs were necessary.」 http://uboat.net/allies/aircraft/swordfish.htm
- ^ Warsitz, Lutz: THE FIRST JET PILOT - The Story of German Test Pilot Erich Warsitz (45ページ)、Pen and Sword Books Ltd.、イギリス、2009年
- ^ Malina, Frank J. (1967年). “Memoir on the GALCIT Rocket Research Project”. l'Observatoire Leonardo pour les Arts et les Techno-Sciences. 2010年12月16日閲覧。
- ^ “Orders of Magnitude - A History of the NACA and NASA, 1915-1990, Ch. 2”. NASA (1989年). 2010年12月16日閲覧。
- ^ http://www.vectorsite.net/avzel.html
- ^ “Carmageddon”. snopes.com. 2010年12月16日閲覧。