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2017年7月14日 (金) 03:28時点における版
小室 哲哉(こむろ てつや、1958年11月27日 - )は、日本のミュージシャン、音楽プロデューサーである。東京都府中市出身、東京多摩振興特命武蔵国府中大使[1]。元尚美学園大学芸術情報学部教授。妻はglobeのボーカルのkco。愛称は「てっちゃん」「先生」「TK」など。身長167cm、体重57kg。
略歴
学生時代
3歳から東京芸術大学教授の下でヴァイオリンのレッスンを始めて、音感のベースを学ぶ。小学生の頃から既にクラシックのインストゥルメンタルの楽曲を作っていた[2]。小学5年生、母がエレクトーンを購入。これが鍵盤楽器との出会いとなる。母より先にコードを覚え、エレクトーンの先生を驚かせた。同じ頃、母方の親戚の叔父からギターコードを習い、マスターするのが速くて叔父を驚かせた[3]。
音楽の時間に50分で16小節を譜面に書く作曲のテストがあった際、教師が小室の作品を見て「誰かは言いませんけどこの中ですごく上手な人がいました」と言った後、その曲がピアノで披露されて、その曲を他のクラスメイトがリコーダーで吹いた。小室は当時を振り返り「目立ちたくない時期だったためものすごく嫌だった」「だけど自信にはなりました」と語っている[4][5][6]。日本万国博覧会でシンセサイザー・マニピュレーター・マルチモニター・12チャンネルステレオを背景に演奏する冨田勲を間近で見て、「もしモーツァルトの時代と同じ楽器しかなかったら僕はこの世界で勝負しなかった」と後述する程の衝撃を覚える[7][8]。
家にあったギター・ヴァイオリン・エレクトーンを家族に無断で売り、当時16万円以上したというシンセサイザー「ローランドSH1000」を購入した。渡辺美里の「きみに会えて」「BELIEVE」「嵐ヶ丘」「I wish」・TM NETWORKの「Here, There & Everywhere (冬の神話)」等後に提供する楽曲の雛型約20曲をその頃に作曲したという[9][7]。
早稲田実業学校高等部商業科に入学。小室の作曲テクニックにクラスメイトが憧れる余り、クラスメイトの半数以上の作曲の宿題を肩代わりさせられた。音楽担任は小室が卒業するまで気づかなかったという[7]。この頃からELP・ピンク・フロイド・レッド・ツェッペリン・キング・クリムゾン・T.Rex・ユーライア・ヒープ・コモドアーズ・Kool & the Gang・Earth, Wind & Fire・ドナ・サマー・ディープ・パープル・Yes等の洋楽をプログレッシブ・ロック・ファンクを中心に漁るように聞いた[10][11]。その中でも影響を受けたミュージシャンとして、キース・エマーソン・リック・ウェイクマン・ジョン・ロード・キース・ジャレット・ジョー・サンプル・デイヴ・グルーシン等のジャズ畑のピアニストを挙げ、特にキース・エマーソン[注釈 14][12]・キース・ジャレット[注釈 15][13]に関しては、即興演奏中心でプレイする姿勢に感銘を受けている。
早稲田大学社会科学部に進学し5年ほど在籍、在学中にプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する(哀婉・あのねのね、白竜、原田真二等のバックバンド(キーボードを担当)、SPEEDWAYへの参加等)。初めてのギャラは18歳でダンスパーティーの演奏代で5千円だった[14]。その後も音楽活動に没頭し、授業料を楽器代に使い廻していた為に単位が取れず、小室も「授業料を払う位ならシンセサイザーを買った方がいい」と考えたために除籍となる[15]。
TM NETWORK~TMN時代まで
自身の音楽ユニットであるTM NETWORKと並行して、三浦徳子の勧めと三浦の紹介で知り合った渡辺有三の後押しで岡田有希子の「Sweet Planet」「水色プリンセス ―水の精―」を皮切りに、渡辺美里、荻野目洋子、おニャン子クラブの福永恵規、堀ちえみ、中山美穂、松田聖子、小泉今日子、宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂、中森明菜などに楽曲を提供し、作曲家としても活躍する[16]。その活動はTM NETWORK・ソロ活動の際の企画・制作費・プロモーションの環境整備に一役買った。特に当時共同で作業する機会が多かった大村雅朗に関して小室は「僕が提示しようとした新しさを一番理解してくれた。その上で他の歌謡曲とどの様に馴染ませるかで随分助けてもらった」と語っている[17]。
1986年に渡辺美里へ提供した「My Revolution」が、第28回日本レコード大賞金賞。TM NETWORKは、1987年に発表した「Get Wild」で一躍人気バンドとなり、1988年には第39回NHK紅白歌合戦に出場。
1988年、「CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜」等の制作、海外の動向を探り、最新の音源に直接触れるために小室一人の仕事で費用をペイする事を条件にロンドンに渡る。あわよくば現地にて女性ボーカリストをスカウトし「TM international」というTMの姉妹ユニットを結成・世界デビューさせる計画があったが、カイリー・ミノーグの1stアルバム「Kylie」の売り上げ規模をみて、日本と海外のマーケットの差が如何に隔絶しているかを思い知らされたこと・「キック・ハイハットがシンクロしていない。これでは踊れない」と現地のミュージシャンに忠告され、自分の無力さを痛感したこと・プロデューサー集団PWL(ストック・エイトキン・ウォーターマン)の仕事を間近で見た事によりスタジオワークの面白さを知ったこと・日本との連絡手段として、直接話すときは国際電話、企画書のチェックにはFAX、デモテープの配送には郵便と用途別に使わなければならず、無駄な時間と通信費がかかり、本来の仕事に支障をきたしたことで白紙になった[8][7][18][19]。この件がきっかけでそれ以降、1年に最低でも1回はスタジオの設計と機材の研究も兼ねて、ロンドンの複数のスタジオでレコーディング作業をするようになる[20][21]。
1989年に自身がリードボーカルを担当したソロ作の「RUNNING TO HORIZON」、「GRAVITY OF LOVE」が連続でオリコンシングルチャート1位を記録。1985年 - 1992年の間には、アニメーション映画の「吸血鬼ハンターD」、実写映画の「ぼくらの七日間戦争」、「天と地と」、月9テレビドラマの「二十歳の約束」、舞台ミュージカルの「マドモアゼル モーツァルト」の劇中音楽を手掛けた。
1991年頃、松浦勝人と対面した際に松浦からTMの楽曲をユーロビート調にアレンジしたリミックスアルバム「TMN SONG MEETS DISCO STYLE」の企画を持ちかけられたときに「TMの作品が初回プレスは売り切っても、バックオーダーが発生しないから楽曲がファン以外に広がらず、カラオケでもディスコでも渡辺美里さんの曲しかかからない」という危惧・諦めからTMの固定ファンを「15万個の消しゴム」と例える様になり、当時新興で軌道に乗り始めていたエイベックスからの誘いには最初は及び腰だった。だが松浦の「だったらTMの楽曲がかからない様な所をターゲットにすればいいじゃないですか。絶対格好悪くならない様にしますから」と勧められた事もあり、1992年から自分のベースの一つであるダンス・ミュージックが「どうしたらそのジャンルが大好きな固定ファンから不特定多数の大衆に広がるか」をDJとして全国を回り音色・出演メンバーに対する若者の反応を確かめ、オーディションの審査員を務め、地道にスタジオで作曲活動をする等の試行錯誤をしていた[7][8][22]。ダンス・ミュージックを主軸に打ち込み始めた理由として、1970~80年代のシンセサイザーだとどうしても難しいプログラミングが出来ないため、やむを得ず「メロディーとリズムが戻ってくる」パターンを作って繰り返さなければならず「流れが流暢でドラマチックで起承転結のある日本の歌謡曲」「尾崎豊さんの様な涙・汗・エモーショナルな楽曲が名曲」と若者に受け入れられていた世間に対して、どうやったら反復が多くて無機質なダンス・ミュージックにロック・ミュージックに対抗できるパワーを持たせるか、音楽業界に入り込むかを考えていた[15]。
1993年に音楽プロデューサーに徹する決意を周囲に表明する。東京・芝のオフィスビルのフロアを借り切り、個人用のスタジオを3軒建て、ミキシング専任のスタッフをロサンゼルスとロンドンに抱え、配送スタッフを週2日定期的に行き来させる等、いつ誰とでも楽曲制作が出来て、スムーズに海を越える態勢を整え[7]、「1993年はスタジオで音作りに明け暮れた」と述懐する程に、只管に楽曲のストックを増やす制作活動に徹した[23]。その時の状況を「世の中は既に仕事を分担してシステム化していくのに、全てを自分一人で決めていくなんて時代に逆行しているのではないか、やっていることは家内制手工業と同じだ」と迷いを見せたが[8]、反面作詞・作曲・編曲の内、小室の担当する作業がどれか1つだけだと制作に行き詰まり、敢えて3つ兼ねれば「メロディとコード進行が同じでも、音色と作詞次第で全く別の曲にできる」「作詞に行き詰ったときにコード進行をマイナーからメジャーにすることで全然違うイメージにする」「アレンジをダンスミュージックからロックに簡単に様変わりできる」等仕事の組み合わせが3つ以上あった方が返って仕事がやり易いことに気付き、「大量のアイディアのライブラリーになるし、アーティストのキャラクターの色分けにもつながる」と語っている[24]。
小室ブーム
1994年のTMN終了前後から、観月ありさ、篠原涼子、trf、hitomi、内田有紀、H Jungle with t、dos、globe、華原朋美、安室奈美恵など、多数の作詞、作曲、編曲と音楽プロデュースを兼任して行った。1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーやヒット曲を打ち立て、各メディアにおいて「小室ファミリー」、「小室サウンド」、「小室系」といった名称でカテゴライズされる少年時代からの夢だった小室ブームという社会現象を起こした。ソニー・ミュージックエンタテインメントの丸山茂雄が小室のプロデューサー活動を支援するためにアンティノスレコードを設立し、マネジメント業務もアンティノス・マネジメント(現: ソニー・ミュージックアーティスツ)に移管した。
1995年から4年連続でプロデュースした曲が日本レコード大賞を受賞[25]。この年にマネジメント業務をエイベックス子会社のプライム・ディレクション(現:エイベックス・ライヴ・クリエイティヴ)が設置した「TKルーム」に移管した。この頃から「単純な楽曲のオファー」より「まずテレビ番組とのタイアップがあって、それに向けた楽曲のプロデュースをして欲しい、アーティストは任せる、発売先も任せる、音色も好きにしていい、レコーディングの予算・ジャケット写真・PV・ポスター・宣伝と取材を行う雑誌と放送等のメディアもチェックして欲しい、ライブのスケジュールも監修してください」といった類の全権委任のオファーが殺到する様になり[26][27][23]、アーティストとしてステージに立ち、レコード会社のマーケティング会議からCDショップでのセールスプロモーションまで時間の許す限りどんな場所にも顔を出した[8]。小室が一番神経を使ったのが出稿量であり、「自分にくれるお金があるなら、その分スポットCMの本数を増やしてほしい」との思いから、テレビCMに提供した楽曲の著作権使用料は一切受け取らなかった[28]。
この時点で、小室の「タイアップが決まらないと曲を書かない」と公言する程[15]のタイアップありきのプロデュース手法に対して表立った批判が目立ちだしたが、小室は「まずスポンサーに気に入られて、初めて僕の曲になるんです」[29]「プロのミュージシャンは売れることで、やっと自分の好きな音楽が出来るようになる。自分の好きな音楽よりも、売れる音楽を優先して作らないと駄目」[30]「聴いてもらえないということは『ポピュラー』の根幹に関わる。『大衆に迎合しすぎる』とか、『売ることばかりを考えている』との批判を聞くが、これは大衆音楽なのに」[28]と割り切った意見を述べた。
1996年4月15日にはオリコンシングルチャートにおいてプロデュース曲がトップ5を独占した[25]。1996年はglobeのアルバム「globe」が当時のオリコン記録を更新する売り上げ400万枚以上を記録。安室奈美恵のアルバムも300万枚を超えるなどこの年だけでプロデュース曲の総売上枚数は1,500万枚以上を記録した[31]。さらに1996年から2年連続で高額納税者番付において全国4位を記録、1997年の納税額は11億7000万円で推定所得は約23億円だった[31]。1996年末には海外進出を狙いルパート・マードックと組み、100万ドルを出資して香港に合弁会社TK NEWS(後のRojam Entertainment)を設立した[31]。
1997年はスピード2のテーマ曲のリミックスを手掛ける等の世界展開を行った[31]。8月にマネジメント業務をプライム・ディレクションからアンティノス・マネジメントへ戻し、制作・生活拠点をロサンゼルスに移し、活動拠点をアジアに定めた。狙いは「インターネットを駆使しての他所との円滑なスタジオワークのやり取り・近況報告」「アジアのマーケットの新たな開拓と米国への浸透」「米国のサウンドをアジアに持ち込み、『米国のサウンドと比べてアジアのサウンドはどうなのか?』というリサーチの繰り返しによる、アジアのサウンドの水準の維持・向上」を目的にしていた[32][8][33]が、後に「技術革新のスピードを読み違えてしまい、日本と海外ではデータ転送の際の転送速度が段違い過ぎて、すれ違いが起こってしまった」「『自分が今まで築き上げたブランドと成績を求められている』と過大評価していて、現地のリスナー・シンガーと密着して共に音楽の質を育てていく活動を意識していなかった」[34][35]「ただ日本での企画に関する喧騒からスタジオに逃げたかっただけだった」[36][37]と語っている。
ブームの失速
1998年にはtohko・鈴木あみ・未来玲可をプロデュースさせたものの、1996年前後の小室ブーム全盛期と比べて勢いは劣るものとなっていた。1997年より既存の小室ファミリー向け楽曲の曲調がポップテイストからエレクトロニカへ変化している点(特に安室奈美恵の楽曲が顕著)、小室ブーム全盛期の中心にいたTRFや安室奈美恵(出産のため休業)などが活動を縮小し、dos・篠原涼子・hitomi・観月ありさらのプロデュースが無くなり、ミリオンセラーを叩き出した華原朋美も恋愛関係の清算により離脱する等の複合的要因で小室ファミリーの規模が萎縮。ファン離れが急速に進んだ。
1999年には“非 小室系”のJ-POPアーティスト(宇多田ヒカル・倉木麻衣・浜崎あゆみ・モーニング娘。・MISIA・GLAY・Dragon Ash・DA PUMP・SPEED・椎名林檎・L'Arc〜en〜Cielなど)のCDがヒットチャートの中心となり、小室プロデュースのCD売り上げに急ブレーキがかかり[31]、小室ブームが終焉した[38]。鈴木あみの提供曲はデビュー時から2000年までヒット上位にあったものの、鈴木側のマネジメント上の問題で2000年9月を以て関係が絶たれ、それ以後はglobe関係の活動がウエイトを占めるようになった。
特につんく♂[注釈 16]・宇多田[注釈 17]の台頭には、感覚の相違・引退を意識させられた程の衝撃を受けたという[39][40]。
この頃になると「売れなくてもいい」「売れるに越したことはないけど、この時代にどれだけ人の心に届くかを重視している」[41]「小澤征爾さんの作品の大ヒットを見て、メガヒットに頼らないセレクトショップの様な音楽を目指したいと思った」[42]と心境の変化を語った。
吉本興業へ移籍
2001年1月にソニー・ミュージックエンタテインメントとの専属プロデューサー契約を解除し、前受の報酬金(印税)18億円を返還。数々のミリオンセールスを導き出した安室奈美恵が『Think of me/no more tears』を最後に小室ファミリーから独立した。5月にASAMIと再婚。また、小室が株式の大半を握っていたRojam社が香港株式市場(H株GEM)に上場。factoryorumokを清算後、マネジメント契約をアンティノスマネジメントから吉本興業所属に移す。傍らでタレントとしても活動し、同年のバラエティ番組「笑う犬の冒険」のコントに『超ハンサム侍』として出演する等の話題は有ったが、プロデュース業は好転しなかった[31]。9月に富士銀行が日本の銀行として初めて本人所有の著作権を担保に10億円の融資を行った[43]。融資金は先述の専属プロデューサー契約解約による前受金返還に充てた事が後の5億円詐欺事件の公判で明らかにされた。
2002年3月にASAMIと僅か10ヶ月でスピード離婚(実子あり)。5月には吉本興業が設立したアール・アンド・シー・ジャパン(現: よしもとアール・アンド・シー)の株式70%強をRojamが買収し、吉本との関係を強化した。そして11月にはKeikoと再婚。TBSで結婚披露宴が特別番組で生中継された事は話題となった[31]。しかし、ASAMIとの間で合意した約7億円の慰謝料を一括で払うことはできず分割で支払うことになったが、その支払いも資金繰り悪化の為に2004年8月頃には滞るようになったという[31][44]。
この頃より所有していた別荘、株券、高級車、クルーザーなどの資産売却を行うようになった[31]。2004年には約70億円の株式評価損が生じたRojam Entertainmentの出資・経営から撤退した[31]。さらに2005年9月には大分トリニータへのスポンサー料7000万円を滞納していることも明らかとなった[44]。2008年11月1日にNACK5の開局20周年番組に出演した際には自らの活動を振り返り「98年からの10年はなかなか曲が出てこなかった」[45]「もうやれることはやりつくした気がして貪欲になれなかった」[46]と語っていた。
5億円詐欺事件
2006年8月6日、小室は日本音楽著作権協会に自分名義で登録している全楽曲806曲の著作権を10億円で譲渡する仮契約を関西地方在住の個人投資家男性と締結。前妻のASAMIが著作権使用料を差押さえているとして、その解除費用として5億円の先払いを要求し、8月29日までに5億円を受け取った[47]。
しかし実際には仮契約段階で既に著作権の一部は、エイベックス・エンタテインメント・バーニングパブリッシャーズ・ライジングバブリッシャーズといった音楽出版社に譲渡(音楽業界では著作者である作曲家や作詞家が音楽会社に著作権を譲渡して管理を任せる代わりに印税を受け取ることが慣例となっている[47])されており、小室には著作権がなかった[47]。だが小室は返金に応じなかったため、男性は2008年2月に小室に対し逸失利益を含めた6億円の損害賠償を求め提訴[47]。小室が全額を支払うことで和解が成立したが、期日であった9月末までに小室は支払わなかった[47]。
このため男性は地方検察庁に刑事告訴した[47]。検察側は小室が受け取った5億円を差し押さえ解除ではなく借金返済に使っていたことを把握。当初から金を詐取する目的だったと判断し、2008年11月4日午前7時40分頃に大阪地検特捜部は小室とトライバルキックスの社長、広告会社の実質経営者の計3名を5億円の詐欺容疑で逮捕した[48]。なお、前日に大阪地検特捜部から任意出頭の要請を受けたため新大阪駅前のシティホテルに滞在しており、逮捕時はみのもんたの朝ズバッ!など一部の朝の情報番組が特別編成となり、逮捕容疑の解説とホテル上空の空撮映像を交えてホテルエントランス前から連行される様子を生中継していた。
11月21日に起訴され、同日に保釈保証金3,000万円を支払い保釈された[49]。
2009年1月21日に大阪地方裁判所にて初公判、3月12日に第2回公判が行われ、小室側が遅延損害金を含む計6億4800万円を被害者側に振り込んだことが明らかになった(2009年3月10日に解決金を含めて6億5000万円をエイベックス・グループ代表の松浦勝人がポケットマネーで立て替え、被害者に完済した)。被害者側に謝罪の手紙を送っているが受取りを拒否されている[50]。なお、この被害者に送るつもりだった謝罪文は第三回公判の際に、小室自身により読み上げられた[51]。被害者側との示談交渉においては、情状証人として出廷した松浦は「示談を申し込んだが“できない、誠意が足りない”と弁護士から聞かされた。“誠意が足りないとはどういうことか”と代理人に尋ねたら“お金だ”と聞き、非常にショックを受けた。」と証言した[52]が、被害男性は「そのようなことは一切言っていない」と否定し、「民事裁判で和解が成立して決着している。」と話している[53]。なお、SNSのmixiでは2008年11月から「小室哲哉氏の復活を願う会」というコミュニティが457人を集めたり、mixiのサポートを受けての紙ベースの署名活動も行われていた。(署名TVでも行われていた。)さらに小室の母親やマネージャー、弁護士の了解を得た上で署名活動と平行して裁判所への提出もありうるという大前提で小室に対して手紙を書く「小室哲哉さんへの手紙」という活動も行われていたりと、復帰待望論が起き、[注釈 18]小室の減刑を望む動きは、音楽業界や音楽業界関係者からもあり、実際に減刑嘆願書を出した音楽業界関係者もいた[54]。第3回公判は4月23日に行われて結審。
2009年5月11日、大阪地方裁判所より懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡され、弁護側・検察側共に控訴はせずに、同年5月25日午前0時をもって刑が確定した。
再出発
2010年5月に復帰第一作としてAAAの楽曲「逢いたい理由/Dream After Dream 〜夢から醒めた夢〜」をプロデュース。また翌6月には森進一への提供楽曲が発売されることがマスメディア、及び5月2日付の小室のtwitterにて明らかとなった[55]。 『眠らないラブソング/道標』の楽曲提供が決まり、作曲の他作詞、編曲も手掛けることとなった。その後もレコード会社を問わず超新星、SMAP、北乃きい、浜崎あゆみらへ楽曲を提供している。小室は、アイドルなどにたくさんの楽曲を提供していた80年代の頃に感覚が似ていると語っていた。一方で2010年9月29日にはglobeのベスト盤がリリースがされ、未発表曲や、パッケージによっては未公開映像や小室のサインも提供された。また11月にやしきたかじんへ楽曲「その時の空」を提供した。
2011年6月13日、宇川直宏の主催する音楽動画配信サイトDOMMUNEにてストリーミング配信ライヴを行う。瞬間最大視聴者は2万7000人を超え、合計視聴者数は14万4000人を記録した。12月23日、ラフォーレミュージアム原宿にて開催される「HARAJUKU PERFORMANCE + DOMMUNE」の4日目に出演。冨田勲とのトーク&ライヴを開催した[56]。
2012年3月20日、幕張メッセで行われた東日本大震災復興支援チャリティコンサート『ALL THAT LOVE-give&give-』に、TM NETWORKとして参加したのをきっかけに、約4年ぶりにTM NETWORKの活動を再開する。
DMM オンラインサロン「小室哲哉 - TK Culture Gathering」を開設し、ファンとの触れ合いの場も積極的に開催し、本人からのオンラインサロンにかける意気込みも語られている。
TM NETWORK 30周年
TM NETWORKがデビュー30周年を迎える年である2014年にはツアーやリリース、テレビ出演など活動を活発化させた。春にはおよそ6年ぶりとなる全国ツアー『TM NETWORK 30th 1984〜 the beginning of the end』がスタート。過去楽曲をリメイクしたアルバム『DRESS2』や新曲『LOUD』もツアーのスタートに先駆けてリリースされた。同年10月29日には7年ぶりとなるオリジナルアルバム『QUIT30』をリリースし、オリコン初登場8位を記録した。同時に秋から冬にかけて行われたツアー『TM NETWORK 30th 1984~ QUIT30』もスタート。
2015年2月にアリーナ公演『TM NETWORK 30th 1984〜 QUIT30 HUGE DATA』、3月に横浜アリーナにて単発コンサート『TM NETWORK 30th FINAL』を行い2012年から続いたシアトリカルなライブを完結させた。よって、2012年から続いたTM NETWORKとしての活動も充電期間に入ることが発表された。
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バイオグラフィ
1970・80年代
1983年以前
- プロ・ミュージシャンとしての活動を開始。あのねのね、白竜、原田真二、角松敏生、パンタ、村田和人、上田正樹、アリス等のバックバンドを経験。ニッポン放送系列「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」のテーマソングを手掛ける[57]。
- SPEEDWAYに参加。月光仮面の主題歌をロック調に編曲したCMソング「ROCKIN' ON THE 月光仮面」で手腕を発揮した。2nd.アルバム『BASE AREA』で数曲を作曲した。ミス・オレンジショックをプロデュース。
- 音楽専科社のライターの仕事を請け負っていた[58]。
1983年 - 1989年
- バンドを結成しては解散する時期を送る(「ギズモ」、「ステイ」、「イラプション」等[7])。
- 安岡力也の『ホタテのロックン・ロール』でアレンジを担当。SERIKA with DOGのサウンドプロデュースを行う。
- SPEEDWAYのメンバーであった木根尚登と新ユニットを組むことに合意し村田バンドに参加。
- 宇都宮隆を誘い「TM NETWORK」を結成し、リーダー、作曲・編曲・シンセサイザー演奏を担当。
- コカ・コーラ フレッシュサウンズコンテストに応募。「1974 (16光年の訪問者)」で史上初の審査員全員満点のグランプリを受賞する。
- 4月21日、TM NETWORKがアルバム『RAINBOW RAINBOW』とシングル「金曜日のライオン」同時リリースでデビュー。
- Sony Music Entertainmentと専属契約を結ぶ。特例として、外部からの依頼に関しては全方位外交で臨む許諾をソニーから得ていた。globe等ユニットで活動する場合は「専属解放」という形になっていた[59]。
- 7月、大江千里「ロマンス」の編曲を担当する。
- 11月、大江千里「十人十色」の編曲を担当した。(※CMバージョンは小室の編曲である)
- アニメ映画「吸血鬼ハンターD」サウンドトラックを担当する。
- 小室にとって初のメジャー歌手への楽曲提供は、岡田有希子の3枚目のアルバム『十月の人魚』収録の2曲「Sweet Planet」「水色プリンセス ―水の精―」である。
- 渡辺美里に曲提供(作曲)した「My Revolution」がヒット。精力的にライブをこなす。
- TM NETWORKのアルバム『Self Control』、シングル「Get Wild」がヒット。
- ロサンゼルスでアルバム『humansystem』をレコーディング。Bernie Grundman Masteringにマスタリングを初めて依頼した(Bernie Grundman本人が担当)。
- 角川映画「ぼくらの七日間戦争」サウンドトラックを担当。
- 単身渡英し、アルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』の楽曲制作を開始。
- アイドルデュオ、キララとウララのキララ(大谷香奈子)と結婚。
- 2月、デュラン・デュランの東京ドームライブにゲスト出演、キーボードを演奏する。
- 「Running To Horizon」で歌手としてソロデビュー、オリコン週間シングルチャート第1位を獲得。続く「GRAVITY OF LOVE」も第1位を獲得した(松田聖子の「Precious Heartを阻止し、連続首位獲得記録を途切れさせた)。アルバム『Digitalian is eating breakfast』をリリース。ソロツアーも開始。シンクラヴィアを本格的に使い始めた。
1990年代
1990年 - 1994年
- 当人プロデュースによるシンセサイザー(キーボード)EOS B500発売。
- 角川映画「天と地と」サウンドトラックを担当。
- オリジナルアルバム『Psychic Entertainment Sound』をリリース。
- TM NETWORKが「TMN」にリニューアル。
- 「SPACE WORLD」を開催し、「Think Of Earth」を披露。
- XのYOSHIKIと「V2」を結成し、シングル「背徳の瞳〜Eyes of Venus〜」をリリース(オリコン最高位第2位)。一度だけライブを行った。
- ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」の音楽を担当。
- avex traxとプロジェクト単位でのライセンス契約を結ぶ[注釈 20][60]。
- 自身の個人レーベル第1号となる「TK TRACKS LABEL」を設立。
- ディスコイベント「TK TRACKS NIGHT」を開催する。
- 山羊智詞&赤羽楽団のメンバーとして参加。
- 提供楽曲のセルフカバーを中心としたソロアルバム『Hit Factory』を製作。
- 初の全面プロデュースユニットとしてtrf (Tetsuya komuro Rave Factory) を結成。
- 大谷香奈子と離婚。
- 2月25日、trfがシングル「GOING 2 DANCE/OPEN YOUR MIND」でデビュー。
- 6月21日、trfが2ndシングル「EZ DO DANCE」発売洋楽中心であった日本のダンスシーンに大変革をもたらした。
- 米国でRadikal Recordsより「TRF Rave Factory」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。英国でFAZE-2 RECORDSより「t.r.f」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。
- 4月21日、TMN"終了"。
- アニメーション映画「ストリートファイターII MOVIE」の音楽監督(鳥山雄司と共同)・主題歌制作を担当。
- 7月21日、篠原涼子 with t. komuroとして「恋しさと せつなさと 心強さと」を発売。初のシングル売上200万枚突破。
- 小室の個人事務所「TK state」を設立、2000年まで活動。
- 海外向けプロジェクトEUROGROOVEを開始。
- hitomi、大谷健吾、ANISSのプロデュースも同時期に開始した。trfのアルバム『WORLD GROOVE』から民族音楽への関心を示す。
- trf「BOY MEETS GIRL」やEUROGROOVEの楽曲などでトライバル・ハウスに積極的に取り組んだ。
1995年 - 1999年
- 1月、幕張メッセでライブ・パフォーマンス「tk-trap」を開催。
- trf、内田有紀、マーク・パンサー、MOON TRAP、伊藤彰などが出演したミュージカル「1999...月が地球にKISSをする」の音楽を担当。ミュージカルの楽曲は多くが商品化された。
- ジャングル・シークレット・イベント「t jungle m」を開催。
- H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」でシングル売上200万枚を突破。「ジャングルで世界一の売上を記録したプロデューサー」として海外の雑誌でも取り上げられた。
- フジテレビドラマ「ひとりにしないで」の音楽を久保こーじと共同で担当。
- マーク・パンサー、KEIKOとともに、自身が参加するユニット「globe」を結成。
- 8月、「avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP」でオーガナイザーをつとめ、東京ベイサイドスクエア・大阪万博記念公園に計6万人を動員する。
- 11月22日、サン・マイクロシステムズのハードウェアサポートを受け、初の公式ウェブサイト「Planet TK」をスタートさせた。サーバはサンディエゴに設置していた[61][62]。
- 12月31日、trfの「Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜」で第37回日本レコード大賞を受賞。
- 自身のレーベル「ORUMOK RECORDS」をスタート。華原朋美、H.A.N.D.をデビューさせる。
- globeのシングル「DEPARTURES」で売上200万枚を突破。
- globeのアルバム『globe』で売上400万枚突破。オリコン歴代アルバム記録を更新。
- 華原朋美のアルバム『LOVE BRACE』が売上250万枚を突破。オリコン歴代ファーストアルバム初動記録を更新。
- 安室奈美恵のアルバム『SWEET 19 BLUES』が売上300万枚を突破。オリコン歴代アルバム初動記録、累計記録(女性部門)を更新。
- 安室奈美恵のシングル「Don't wanna cry」で第38回日本レコード大賞受賞。
- 3月、dosがORUMOKからデビュー、R&Bへのアプローチを開始する[63]。
- 4月、嘉門達夫が小室哲哉プロデュースの曲を替え歌にした、TK替え歌メドレー(嘉門達夫もイニシャルは『TK』である)が発売された。
- 9月、TK替え歌メドレー2も発売となった。
- 9月、小室ファミリーのポータルサイト「TK Gateway」をスタート[62]。Webデザイナー・CGIプログラマーとして有限会社オン・ザ・エッヂ(現LDH)の堀江貴文ら4人が参加していた[64]。
- 4月15日付けオリコンシングルチャートで1位から5位までを自身がプロデュースする楽曲で独占した。
- カラオケソフトウェア「TK's karaoke engine」の販売がスタート。
- 11月、厚生省の開催する麻薬・覚醒剤禍撲滅運動の一環として、小室プロデュースによるライブ「イエス・トゥー・ライフ dance alive」を開催する。
- 12月、小室哲哉とルパート・マードック率いるニューズ・コーポレーションが百万ドルずつ出資し、香港に合弁会社「TK NEWS」を設立。アジア進出の足がかりとなり、2年後に台湾からRing、香港からgrace ipをデビューさせるきっかけとなった。マードックは1998年に撤退したが、TK NEWSはRojam Entertainmentの母体となった。
- 12月31日、23時から24時間の間にインターネットイベント「TK Trillion Net」が開催された。
- 4月6日、祖父の出身地、福島県西白河郡中島村に小室アレンジの「ヨカッペ音頭」が流れるからくり時計を寄贈。記念式典にも出席した。
- 「TK presents こねっと」として『YOU ARE THE ONE』をリリース。収益金は「こねっと・プラン」参加校に寄付され、教育現場へのインターネット普及に貢献した。
- globeの2ndアルバム「FACES PLACES」で売上300万枚を突破。また、 日本史上初の東京、名古屋、大阪、福岡4大ドームツアーを敢行。
- 台湾で初の海外ツア「TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI」を開催する。
- 7月、アニメーション映画「エルマーの冒険」の音楽監修を務める。
- 20世紀フォックス配給映画「スピード2」のメインテーマのリミックスを手掛ける。
- 中日邦交正常化25周年記念公演「TK Presents GROOVE MUSEUM」を開催する。
- DJ DRAGONとプロデュースユニット『tatsumaki』を結成。後に鈴木あみ、BALANCe等に関わっていく。
- 安室奈美恵のシングル「CAN YOU CELEBRATE?」で売上が200万枚を突破、小室プロデュースのアーティストのシングルとしては最高の売り上げを記録、 第39回日本レコード大賞を受賞。
- ニューヨークでインディーズレーベル「TRUE KiSS DiSC」(1999年正式に設置)を始動。鈴木あみ、甲斐よしひろ、Ring、白竜などをプロデュースした。
- グアム観光政府局より親善大使として「グアムアートイルミネーション」を総合プロデュース。
- SEIKOと共同で腕時計「frequency」を開発する。
- globeのシングル「wanna Be A Dreammaker」で第40回日本レコード大賞を受賞。
- 香港の中国返還1周年記念式典に参加。香港にアジア最大の総合音楽プロダクションを目指す会社「Rojam Entertainment」を設立。中国・上海に「ROJAM DISCO」をオープン。
- 東京にメディアファクトリーなどとの合弁会社「factoryorumok」を設立。
- 「YAMAHA EOS SOUND CONTEST98」の審査委員長を務める。(ちなみに副審査委員長は浅倉大介)
- トーコが、小室哲哉と日向大介の共同プロデュースでデビュー。
- 未来玲可が小室哲哉と久保こーじの共同プロデュースでデビュー。
- サッカー・W杯フランス大会の公式アルバムにジャン・ミッシェル・ジャールとともに「TOGETHER NOW」で参加。
- パリ祭のメインイベント「RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT」をジャン・ミッシェル・ジャールと共同で開催する。
- 日本テレビ系列ドラマP.A.のサウンドトラックを担当。
- 1月末、華原と破局する。
- TM NETWORKを再結成し「GET WILD DECADE RUN」を発売した。
- 元dosの吉田麻美と「TRUE KiSS DESTiNATiON」を結成し、TOTOの代表曲「AFRICA」をカバー。
- TLCのLeft Eyeが名付け親のBLAQUE IVORYを「ADORE ME」の作曲とアレンジを担当した。
- インドネシアバリ島クタビーチにて「GOA IN BALI」をDJ DRAGONと共同で開催し、2万人を動員した。
2000年代
2000年 - 2004年
- 国際麻薬統制委員会を訪問し、UNODC親善大使を授与される。
- ニューヨークの国連本部で開催された国連親善大使会議に参加する。
- TM NETWORKとKiss DestinationがTRUE KiSS DiSCレーベルから撤退。個人レーベル「Tatsumaki Records」を設立。
- アーティスト養成通信講座「TK MUSIC ONLINE」を開始。
- Rojamよりネット配信と通信販売により新曲を発表した。RojamからはZoieとCELINA。factory ORUMOKからは坂口実央、MIYUKI、清水まなぶ、ステレオリキッドなどがデビュー。ネット販売とコンビニ販売を視野に入れた両社であったがレコード販売以外はほとんど実現できなかった。
- 11月、麻薬・覚醒剤乱用防止活動としてTRF、BALANCeと共に「イェス・トゥ・ライフ東京大会」に参加。
- 12月31日~元日、沖縄県・宜野湾海浜公園トロピカルビーチで「Rendez-vous in Space 2001」が開かれた。
- 1月、Sony Music Entertainmentとの専属契約を解消し、factory ORUMOKから撤退。
- 5月、公式サイト「komuro.com」リニューアル[62]。
- 5月、吉本興業とマネージメント契約を結ぶ。吉本興業内のレーベル「R&C JAPAN」(現R and C)の設立に参加、一時期オーナーを務める。
- 同日Kiss DestinationのASAMI(吉田麻美)と再婚。
- DJ DRAGON、原田大三郎とともに「GABALL」結成、トランス・ミュージックへの傾倒が始まる。Rojamのレコード販売事業は縮小。
- SAMプロデュースクラブ・イベント「zento」にTRF、BALANCe等と共に、参加・楽曲提供。
- 9月、フジテレビ単発テレビドラマ「プラトニック・セックス」の音楽監督を担当(橋本慎と共同)。
- 10月より放送を開始したアニメ「サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER」の音楽監督(多田彰文、松尾早人と共同)を担当。
- トランス・イベント「TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE」を主催。
- 中国映画「恋愛中的宝貝(邦題:恋愛中のベイビー)」の音楽監督・主題歌制作を担当。
- 3月、吉田麻美と離婚。
- 5月17日、『ミュージシャン及びダンサー用電子時計』を発明して特許(特開平11−72586)を取得。しかし、2007年5月17日に権利消滅[65][66]。
- 11月22日、globeのボーカルKEIKOと再婚。globeにはX JAPANのYOSHIKIが加入した。
- 4月より3年間「キャットミュージックカレッジ専門学校」の名誉校長に就任した。
- 初のピアノ・インストアルバムを3枚発表した。
- 全米先行放送アニメ(後に2004年10月より日本でも放送)「ゾイドフューザーズ」の音楽監督を担当。
- 新型肺炎や鳥インフルエンザの流行などにより、韓国での開催を予定していた黄砂対策チャリティライブが中止。globeにYOSHIKI加入後初の東京ドームライブが中止と、不運が相次いだ。
- Rojam株を全て売却し、Rojamの経営から撤退した。
- 個人スタジオ兼イベント運営会社として「Tribal Kicks」を新たに設立。
- サッカーJリーグの大分トリニータのスーパーバイザーに就任。
- 4月21日 TM NETWORKデビュー20周年を記念して横浜アリーナでライブを行った。
- 日中国交正常化30周年記念NHKドラマ「世紀末の晩鐘」の音楽監督を担当。
- 11月2日 globe結成10周年を記念して2年半ぶりの全国ツアーを行う。ツアー中に新曲「judgement」を披露。
- 大晦日、BLACK JAXXと共に六本木ヒルズ52FにてカウントダウンLIVEを行う。
2005年 - 2009年
- クラブ・イベント「Electone STAGEA Presents Tribal Kicks TV Party」を開催した。
- avexの手掛ける高音質ネット配信の研究機関「High Definition Sound laboratory」のエグゼクティブアドバイザーに就任。
- 「@MUSIC HD Sound」にてglobeの楽曲の高音質配信を開始した。
- 2月、中国の女優である陳好に楽曲提供する。
- ロサンゼルスを拠点とした活動を再開。DJ TK名義で丸山茂雄運営の「mF247」に楽曲の提供を開始。
- 3月、エプソン 品川アクアスタジアムのアトラクション「ポート・オブ・パイレーツ」の音楽を担当。
- 小室哲哉と吉本芸人がコラボレートを行い「TKプロジェクト ガチコラ」と題して、11組のお笑い芸人に楽曲を提供した。
- 10月、米ロックバンド・Stevie Salas Colorcodeのアルバム『Be What It Is』の楽曲「cherokee girl」にシンセサイザーで参加。
- 11月、自身のMySpaceオフィシャルサイトを開設。
- 12月、音楽配信を主とした新たなインディーズレーベル兼個人スタジオ「TKCOM」を立ち上げる。
- Kimeruの「with you」をプロデュース。男性ソロアーティストのプロデュースは自身で9年ぶりとなる。
- 4月、尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科特任教授に就任。著作権を巡る詐欺事件(前述)のため同大学は2008年11月4日付けで小室哲哉を懲戒解雇処分した。
- 6月、所属事務所の吉本興業と契約満了。
- 7月、DJ TK名義で「Cream Of J-POP 〜ウタイツグウタ〜」をリリース。
- 11月2日 - 3日、楽器フェア2007に、TM NETWORKとしてライブ出演。
- 11月8日 - 11日、秋葉原のメイドカフェ「メイリッシュ」をジャック[67][68]。愛用のギターやキーボードを展示し、店舗を「DJ TK」仕様に改装した[67][68]。
- 12月、音楽プロダクションイーミュージックの制作総指揮に就任。同月に設立された芸能事務所「Empire Play Music」に所属。
- 大晦日から元旦にかけて多福寺にて、「TK New Year Live 2008 in Tafukuji Temple」を開催する(この模様はYouTubeで公式配信された。)
- 2月、18年ぶりとなるオリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Winter」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
- 3月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Spring」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
- 5月、「MTV Video Music Awards Japan 2008」にkcoと共にゲスト・セレブリティとして出演。
- 6月、江の島アイランドスパの新アトラクション「オーロラトリップ」「ヒーリングオーロラ」のサウンドプロデューサーを担当。
- 7月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Summer」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
- 8月、尚美学園大学にて「SHOBIワンダーランド」のプログラムとしてピアノコンサートを行う。
- 9月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Autumn」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
- 11月4日、兵庫県内に住む個人投資家に著作権譲渡の話を持ちかけ、5億円を騙し取った詐欺の容疑で、大阪地検特捜部に逮捕される[48]。これを受け、「Empire Play Music」は同日付で小室を契約解除した。
- 5月11日、大阪地方裁判所より懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡される。
- 8月1日、個人事務所「a nine」を設立し、エイベックスと専属契約を結んだ[69]。
- 8月22日、『a-nation'09』にglobeのメンバーと共にシークレットゲストとして出演、音楽活動を再開[70]。
- 11月13日、クラブイベント『HOUSE NATION』にスペシャルゲストDJとして参加。
2010年代
2010年 - 2014年
- 2月 - 3月にかけて、再開後初めてのソロコンサートを崇城大学市民ホール・福岡市民会館・鹿児島市民文化ホールで開催された。
- 5月5日 - AAAに提供した『逢いたい理由/Dream After Dream 〜夢から醒めた夢〜』が発売。オリコンチャートで初登場1位を獲得する。
- 5月16日 - AAA Heart to ♥ TOUR 2010 東京公演(NHKホール)に登場し、ピアノソロおよび「逢いたい理由」(作曲:小室)のピアノ伴奏を披露した[71]。
- 9月7日 - 『globe デビュー15周年記念ベスト盤、サイン書き特番』をUstreamにて配信。
- 9月22日 - 『globe デビュー15周年記念ベスト盤、完成記念特番』をUstreamにて配信。
- 10月13日 - 14日、KREVAのコンサートイベント「意味深3」日本武道館2Days公演にサポートキーボーディストとして出演。
- 12月14日 - 『DATV「ほほえみプロジェクト」チャリーティイベント「Message! to Asia」』にGACKT、ペ・ヨンジュンらとともにゲスト出演。
- 4月29日 - 国連"Friend's Whistle!" プロジェクトに坂本美雨、mihimaru GT、May J.らとともに参加。小室が制作したテーマソング(Always be there)を参加アーティスト全員で歌唱した。
- 5月4日 - オリジナルアルバム「Digitalian is eating breakfast 2」をリリース。
- 5月25日 - 小室哲哉のヒット曲を集めた『TK BOX ~TETSUYA KOMURO HIT HISTORY~』がmu-mo shop限定で発売された。
- 6月1日 - オリジナルアルバム「Digitalian is eating breakfast 2 インストバージョン」を配信開始。
- 6月13日 - 『DOMMUNE「TK Presents BROADJ ♯331」2-Hour Special Live Set by TETSUYA KOMURO』を音楽動画配信サイトDOMMUNEにてストリーミング配信。来場者数はのべ14万人以上にものぼり、ネット上で大きな話題となった。
- 7月18日 - 『国連UN-OHRLLS・国連の友 "Friend's Whistle! Act for Tomorrow! Vol.2"』に出演。
- 7月23日 - 24日 - 『a-nation Charge & Go! ウイダーinゼリー THE PREMIUM NIGHT in nicofarre』に出演。
- 7月30日 - 『Yamaha & Steinberg EXPO 2011 ”TK Special Talk & Live”』に出演。
- 8月19日 - 『FREEDOMMUNE 0<ZERO>2011』に出演予定だったが暴風雨のため中止される。
- 8月20日 - 早朝、中止された『FREEDOMMUNE 0<ZERO>2011』を「今日やらないと意味が無いセットリスト」とのことでスタジオより急遽配信。
- 9月21日- 22日、30日 - 「TETSUYA KOMURO ~Piano Solo Concert~」を開催。
- 10月15日 - 『ASOBISYSTEM & PIF presents ASOBINITE!!!』に前回のASOBINITEと同じく、中田ヤスタカとともにゲスト出演。
- 10月24日 - globeのボーカルで妻のKCOが24日(月)夕方、自宅で倒れ都内病院に緊急搬送された。幸運なことに小室が傍にいたため迅速な対応が出来た。(翌日はテレビ収録の仕事が入っていた。)医師に『くも膜下出血』と診断され、25日未明より緊急手術を行い無事成功。その後意識も回復した。KCOとglobeのホームページには小室のコメントが掲載された。
- 11月5日 - 『早稲田祭2011「UBC-jam vol.25」』に出演。
- 12月23日 - 『HARAJUKU PERFORMANCE + DOMMUNE』に出演。冨田勲とのトーク&ライヴを開催。
- 3月7日 - ボーカルで参加したジュリアン・レノンとともにピアノで参加したNick Woodの新曲『HOPE』がiTunesで配信開始。
- 3月10日 - 「キーボードマガジン 2012年4月号 SPRING」に小室が審査を務めるキーボードマガジンコンテストについて掲載。付録のCDには小室が制作したコンテストの課題曲が収録されている。
- 3月20日 - 幕張メッセで開催された東日本大震災復興支援チャリティコンサート『ALL THAT LOVE -give & give-』に米米CLUB、PRINCESS PRINCESSとともにTM NETWORKで出演。
- 3月21日 - ライヴDVD「TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE (TK Presents BROADJ #332)」をリリース。
- 3月21日 - リミックスアルバム「Digitalian is remixing」をリリース。
- 3月28日 - 配信限定だった「Far Eastern Wind」がデジタルリマスタリングを施されCDとして「Far Eastern Wind -Complete-」「Far Eastern Wind -Spring / Summer-」「Far Eastern Wind -Autumn / Winter-」の3形態でリリース。
- 3月28日 - コンピレーションアルバム「小室哲哉 meets VOCALOID」をリリース。
- 4月18日 - 『ガンダムフロント東京オープニングセレモニー』にゲスト出演。
- 4月24-25日 - 日本武道館にて『TM NETWORK CONCERT -Incubation Period-』をTM NETWORKで開催。25日公演は日本全国、香港、台湾の映画館にて同時生中継された。
- 4月25日 - TM NETWORKとして約5年ぶりのシングル「I am」をリリース。TM NETWORKとして12年ぶりにオリコントップ5にランクイン。
- 6月1日 - 小室哲哉のFacebookページとスタッフのTwitterがスタートした。
- 7月15日 - 『Keyboard Magazine Festival 2012』にH ZETT M、nishi-kenとともに出演。シンセサイザーオーディションの課題曲の監修、審査も担当した。
- 8月3-26日 - 野島伸司原作・脚本の舞台『ウサニ』の音楽を担当。
- 8月12日 - 『FREEDOMMUNE 0<ZERO> A NEW ZERO 2012』に出演。YouTubeでも生中継で配信され、全体の来場者数は約72万人を記録した。
- 8月12日 - WOMBで行われる音楽イベント『WEEKENDLESS』にm-floのVERBAL、RE:NDZ a.k.a kz(livetune)らと共に出演。
- 8月26日 - 「ライブDVD & Blu-ray『TM NETWORK CONCERT -Incubation Period-』発売記念スペシャルイベント@渋谷公会堂」を開催。TMと縁の深い渋谷公会堂でIncubation Periodの特別版を放映、その後メンバーが登場し、一連の活動について解説をした。また、未発表の新曲を小室が生でミックスする作業をファンの前で披露した。
- 10月1日 - JFN系全国ネット「小室哲哉 Radio Digitalian」がスタート。3月まで月1回でオンエアされていた「RADIO SESSIONS 小室哲哉 Digitalian」が週1回に変更され、再開する。”今話題の楽曲や小室自身が手がけた楽曲を2012年の小室目線”で紹介する内容となっている。
- 10月3日 - ニッポン放送「オールナイトニッポンモバイル」がスタート。”TM NETWORKの結成に大きく関わった映画話”や、”シンセサイザーの話”などがアーカイブされていき、それぞれ違ったテーマで小室哲哉の過去・現在・未来が語られていく番組となっている。
- 10月18日 - ドライブのための音楽ナビゲーションサービス「music Chef」に新しいシェフとして小室哲哉が登場。小室が影響を受けた音楽や、自身が手がけた楽曲をセレクション。
- 10月21日 - フジテレビ系新番組『スナック喫茶エデン』にレギュラー出演。バラエティ番組のレギュラーは初である。
- 11月15日 - 小室によるトータルプロデュースでモデルの壱岐尾彩花が「GLOWING」でメジャーデビュー。小室が新人をプロデュースするのはFemale non Fiction・R9以来約10年ぶりとなる。
- 11月21日 - TRFがシングル全31曲を収録したベスト盤『TRF 20th Anniversary COMPLETE SINGLE BEST』をリリースする。16年ぶりにプロデュースを手がけた新曲が収録される。
- 11月25日 - エイベックス主催のダンスイベント&オーディション「DANCE NATION 2012」のスーパーバイザーを務める。
- 1月6日 - フジテレビ「みんなのKEIBA」テーマ曲を担当。タイトルは「Now1(ナウワン)」。
- 2月15日 - 雑誌「FRIDAY」にて自身がC型肝炎であることを告白。薬の副作用と戦いながらも、現在は順調に回復に向かっているとのこと。
- 2月25日 - TRFのデビュー日である2月25日に小室哲哉プロデュースによるTRFのミニアルバム「WATCH THE MUSIC」がリリースされる。これに伴い「TRF」の表記が92年のデビューから96年まで使用していた小室哲哉プロデュースを象徴する小文字の「trf」に変更にされる。
- 2月27日 - GyaO! ライブトークにTRFのYU-KIと共に出演。
- 3月6日 - 約2年ぶりのソロアルバム「DEBF3」がリリース。最新エレクトロニック・ダンス・ミュージック(EDM)を基調としたアルバムとなり、iTunes総合チャートで1位を獲得した。
- 3月25日 - 「Applayersコンテスト FINAL STAGE@ニコファーレ」に審査員として出演。
- 4月15日 - 2013年5月25日(土)と26日(日)にさいたまスーパーアリーナにて予定されていた『TM NETWORK FINAL MISSION -START investigation-』がボーカリスト宇都宮隆の体調不良のため、延期されることが発表された。
- 7月20日-21日 -『TM NETWORK FINAL MISSION -START investigation-』がさいたまスーパーアリーナにて開催され、全国の映画館で同時生中継された。
- 7月31日 - フジテレビ系「FNSうたの夏まつり」に出演。昨年に引き続き、TRFや浅倉大介、西川貴教などと共演した。
- 8月9日 - globeが18周年を迎え、新曲『ホワイトアウト』の制作を開始したことを発表。
- 8月10日 - SUMMER SONIC2013 / 東京 MIDNIGHT SONICに出演。
- 8月21日 - fripSideに提供した「eternal reality」のビデオクリップにゲスト出演。
- 8月29日 - 東京ステーションホテルで行われたファッションブランド「LOUIS VUITTON」主催のエキシビジョン「Timeless Muses(時を超えるミューズたち)」展に松浦勝人、大沢伸一らと共に来場。
- 9月21日 - リリー・フランキー主催のイベント「ザンジバルナイト2013」に出演。
- 9月25日 - リミックスアルバム「DEBF EDM 2013 SUMMER」をiTunes Storeで配信。
- 10月8日 - フジテレビ「ハモネプ☆スターリーグ」にチーム「TK HARMONIER」のリーダーとして出演。メンバーは坂本美雨、篠原ともえ、島谷ひとみ、DEEP。
- 10月29日 - TOHOシネマズ六本木ヒルズで開催される映画『スティーブ・ジョブズ』 のジャパンプレミアにゲスト出演。トリビュートミニライブを行う。
- 10月29日 - オランダ出身のDJ Afrojackの楽曲『The Spark (feat Spree Wilson)』のTetsuya Komuro Remixが配信開始。
- 10月31日 - YouTube上で展開する新しい歌番組プロジェクトTOYOTA「WISH presents 白黒歌合戦」のトークセッションにヒャダインこと前山田健一と共に出演。
- 11月2日 - フジテレビ「フジテレビ開局55周年記念 音楽特別番組 FNS名曲の祭典」に出演。
- 11月14日 - ニンテンドー3DS用ソフト「大合奏!バンドブラザーズP」のプリセット楽曲を提供。
- 12月4日 - ヒャダインこと前山田健一とのコラボ楽曲『22世紀への架け橋』がiTunes Store限定で配信開始。
- 12月4日 - フジテレビ「2013FNS歌謡祭」に出演。
- 12月7日 - YouTube上で生配信されるTOYOTA「WISH presents 白黒歌合戦」プレミアムライブに出演。
- 12月11日 - さいたまスーパーアリーナで行ったライブ「TM NETWORK FINAL MISSION -START investigation-」がBlu-ray DiscとDVDで発売。初回限定盤では、小室のオーディオコメンタリーも収録される。
- 12月20日 - Le Baron de Parisにて開催された「Syn City Christmas Ball」にDJとして出演。
- 12月29日 - 『rockin'on presents COUNTDOWN JAPAN 13/14』にDJとして出演予定。
- 1月31日 - 小室が自宅からスタジオに向かう最中、乗っていた車が交通事故を起こし、頸椎捻挫の軽傷を負った。これにより翌日に行われるはずだった坂本美雨とのイベントは大事をみて中止となった。
- 4月2日 - 小室のソロアルバム『TETSUYA KOMURO EDM TOKYO』が発売。
- 4月5日 - 小室の交通事故によって延期されたライブイベント「ディア・フレンズ LIVE Vol.2 welcomes 小室哲哉Supported by あ・う・て」がTOKYO FMホールにて開催。
- 4月13日 - 「burn WORLD DJ CONTEST 2014」に小室哲哉がメンターとして参加。コンテストのファイナリストと対談し、目の前で自らのパフォーマンスを披露した。
- 4月22日 - TM NETWORKの39枚目のシングル『LOUD』とセルフプロダクトアルバム『DRESS2』が発売。
- 4月26日 -『TM NETWORK LIVE TOUR "the beginning of the end"』が東京・府中の森芸術劇場どりーむホールからスタート。
- 4月30日 - 違法ダウンロードの防止を目的とした「STOP!違法ダウンロード」啓発ビデオクリップに元スケボーキングのSHIGEOと共に参加。このプロジェクト用に小室が書き下ろした新曲「GOOD CLICK CREATES GOOD MUSIC!」がYouTubeで公開された。
- 4月30日 - 東京プリンとたいせつな仲間たちによる楽曲「明日笑っていられるように」にキーボードで参加。
- 5月3日 - 4月2日にリリースした「TETSUYA KOMURO EDM TOKYO」を記念して小室本人がDJとして大阪、名古屋、大分、渋谷のクラブに登場する。
- 5月5日 - ダンスミュージックイベント『MUSIC CIRCUS'14』にスティーブ・アオキやVERBALなどと共に出演。
- 5月21日 - アフロジャックのアルバム「フォーゲット・ザ・ワールド」日本盤に小室がリミックスを担当した「ザ・スパーク」が収録される。
- 5月25日 - ライブ「TETSUYA KOMURO 2014 SPRING[FINAL]」をUstreamで生配信。前日のラジオで訪れていた沖縄のスタジオで行われた。
- 5月31日 - ageHaで行われたAFROJACKのライブにサプライズで登場。
- 6月14日 - 音楽授賞式「MTV VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2014」にゲストセレブリティとして出演。このイベントに出演するのはおよそ6年ぶりである。
- 9月12日 - アソビシステムの人気パーティー「ASOBINITE!!!」に中田ヤスタカ、VERBAL、RAM RIDERらと出演する。中田との共演はおよそ3年ぶり。
- 9月14日 - ミュージックフェスティバル「THE BIG PARADE 2014」に登場。スペシャルトークセッションを行う。
- 9月24日 - ライブBlu-ray & DVD『TM NETWORK 30th 1984~ the beginning of the end』が発売。
- 9月24日・10月4日 - 坂本美雨をフィーチャーした『小室哲哉 featuring 坂本美雨 ビルボードライブ』が9月24に東京、10月4日に大阪で行われる。
- 10月29日 - 「TM NETWORK 30th 1984~ QUIT30」が神奈川のよこすか芸術劇場からスタート。
- 10月29日 - TM NETWORKの前作からおよそ7年ぶりとなるオリジナルアルバム『QUIT30』がリリース。
- 11月15日 - 小室書下ろしのストーリーブック『CAROLの意味』が発売。世界観に合わせて制作された50分を超えるインスト曲「password」をダウンロードすることが出来るMUSIC CARDを付属。
- 11月27日 - 小室哲哉の公式LINEアカウントがスタート。
- 12月3日 - フジテレビ年末恒例特番「2014FNS歌謡祭」に出演。
- 12月27日 - ファンクラブ限定イベントTM NETWORK 30th ANNIVERSARY FANKS PARTYがホテル日航東京にて開催。
- 12月30日 - rockin'on presents 「COUNTDOWN JAPAN 14/15」にTM NETWORKが出演。
2015年 - 現在
- 1月17日 - 全国映画館にて「TM NETWORK THE MOVIE 1984~ 30th ANNIVERSARY」が上映開始。
- 2月7日・8日 - アリーナ公演「TM NETWORK 30th 1984~ QUIT30 HUGE DATA」がさいたまスーパーアリーナにて開催。
- 2月14日・15日 - アリーナ公演「TM NETWORK 30th 1984~ QUIT30 HUGE DATA」が神戸ワールド記念ホールで開催。
- 3月21日・22日 - アリーナ公演「TM NETWORK 30th FINAL」が横浜アリーナにて開催。
- 4月9日 - フジテレビ系“ノイタミナ”枠にて放送開始のオリジナルテレビアニメ「パンチライン」の音楽を担当。劇伴とキャラクターソングを手がけた。
- 4月17日 - ニッポン放送にて「TM NETWORKのオールナイトニッポン」が放送。
- 4月22日 - 会場限定CDだった『Get Wild 2015』に「Just Like Paradise 2015」が追加されてiTunes、mora、e-onkyoなどで配信開始。
- 5月14日~17日 - 小室哲哉のDJイベント「〜globe 20th〜」が名古屋・広島・神戸・大阪にて開催。
- 5月21日 - 「小室哲哉feat.坂本美雨アコースティックライヴ」が熊本・八千代座で開催。
- 6月24日 - 「パンチライン」オリジナルサウンドトラックが発売。
- 6月25日 - アトラスより発売されるPS Vita用ゲーム『ペルソナ4 ダンシング・オールナイト』に楽曲アレンジで参加。
- 7月22日 - 2015年2月に開催された「TM NETWORK 30th 1984~ QUIT30 HUGE DATA」さいたまスーパーアリーナ公演のLIVE Blu-ray / DVDが発売。Blu-ray2枚組の豪華盤のDisc2には、2014年12月に国際フォーラムで開催された「QUIT30」公演を収録。
- 8月5日 - globeの楽曲のアレンジを再構築した2枚組アルバム『Remode 1』をリリース。
- 8月9日 - 「globe 20th anniversary special event」が新宿ステーションスクエアで開催され、小室・マークによるライブ・DJパフォーマンスが披露された。
- 9月16日 - tofubeatsの2ndアルバム『POSITIVE』に参加。
- 10月25日 - 上海の音楽芸術向上への貢献が称えられ、上海国際芸術祭青年創想週間組織委員会から「上海戯劇学院金融総裁班特別芸術顧問賞」と「上海国際芸術祭青年創想特別貢献賞」が授与される[72]。
- 10月26日 - 競馬エンターティンメントサイト「umabi.jp」のテーマソングを小室哲哉、神田沙也加(TRUSTRICK)、tofubeatsとの3者で結成された新ユニット『TK feat. TK』が担当。作成した楽曲『♯RUN(ハッシュラン)』を同サイトで公開。
- 11月25日 - 2015年3月22日開催されたTM NETWORKの横浜アリーナ公演、「TM NETWORK 30th FINAL」のBlu-ray/DVDが発売。
- 12月2日 - TeddyLoidの約1年3ケ月ぶりとなるオリジナル2nd Albumに小室哲哉が参加。
- 12月8日 - 香川、愛知、東京、福岡、大阪の5か所で行われるピアノコンサート『小室哲哉PIANO BIOGRAPHY』がスタート。ギタリストに葛城哲哉を迎えて演奏された。また、東京公演ではボーカリストとして坂本美雨が参加。
- 12月16日 - globe20周年プロダクト第2弾としてトリビュートアルバム『#globe20th -SPECIAL COVER BEST-』を発売。HYDE、木村カエラ、浜崎あゆみ、TRFなどが参加するほか、小室哲哉自身もプロデュース・アレンジで参加。
- 12月23日 - 小室哲哉feat.神田沙也加(TRUSTRICK) & tofubeats名義として「Umabi」テーマソング「#RUN」を配信開始。
- 12月23日 - TM NETWORKのアルバム『DRESS2』のハイレゾ版が配信開始。
- 3月12日 - 新木場agehaにて開催されたASOBINITE!!!に出演。
- 3月23日 - TM NETWORKの2012年の日本武道館公演から2015年の横浜アリーナ公演まで、5つのライブをリマスタリング&高音質化して収録したBlu-ray BOXが発売。30周年イヤーの舞台裏に迫るドキュメント映像や、COUNTDOWN JAPAN14/15の出演映像も収録。
- 3月23日 - 『#globe20th -SPECIAL COVER BEST-』と『DEBF EDM 2013 SUMMER』のハイレゾ版が配信開始。
- 3月28日 - クロレッツとのコラボ企画「小室哲哉 feat.スッキリ応援歌メーカー」がweb上にてスタート。
- 3月30日 - 4月9日(土)に開催を予定していた「小室哲哉 PIANO BIOGRAPHY feat.坂本美雨」台北「ATT SHOW BOX」公演が小室哲哉の右足関節骨折のため、急遽延期されることが発表された。
- 4月20日 - NHK BSプレミアム「J-MELO」オープニングテーマとして小室哲哉とつんく♂が初コラボした楽曲『Have Dreams!』がitunesやmora等で配信開始。歌唱はMay J.が担当。
- 5月9日 - J SPORTS プレミアリーグ中継エンディングテーマ「a new lease on life」が配信開始。
- 5月14日 - 茨城・筑波大学にて音楽とテクノロジーを融合させたイベント「J-WAVE INNOVATION WORLD FESTA 2016」にDJスタイルで出演。
- 5月20日 - 小室哲哉がMCをつとめるネット音楽番組「TK MUSIC FRESH! by AWA」の月イチレギュラーがAbema TVで放送開始。
- 6月1日 - TOKYO FM「Blue Ocean」テーマソング『BLUE OCEAN』がiTunes / Apple Musicより先行配信スタート。
- 7月1日 - 株式会社DMM.comが運営する会員制オンラインサロンサービス「DMM Lounge(ラウンジ)」にて、小室哲哉による「TK Culture Gathering」が公開。
- 7月1日 - Amazonプライム・ビデオにて配信開始されたのドキュメンタリー作品『Invisible TOKYO』に出演。
- 7月12日 - 『Tetsuya Komuro Interviews Complete from 1984 to 2014』がAmazonで発売。
- 7月14~16日 - 名古屋・神戸・京都・大阪のクラブにてDJとして出演。
- 7月30日 - 秋元康、つんく♂、指原莉乃と共にそろって代々木アニメーション学院のプロデューサーとして正式に就任。
- 8月3日 - globeの楽曲のアレンジを再構築したRemodeシリーズ第2弾『Remode 2』がリリース。
- 8月3日 - 第13回東京国際ミュージック・マーケット、ビジネス・セミナーのスピーカーに出演。
- 8月3日 - 「坂崎幸之助の第2回ももいろフォーク村デラックス」に木根尚登、MARC PANTHERと共に出演。
- 8月8日 - 20周年最終日を迎えるglobeが、8月8日に六本木ニコファーレにてイベントを急きょ開催。
- 8月19日 - ファッションブランド「SEPT PREMIÈRES by Kenzo Takada」のTVCMソングを小室が担当。ゲストボーカルは大森靖子が担当。
- 9月8日 - オーストリアの首都リンツで開かれる「アルス・エレクトロニカ」で、脇田玲と小室がオーディオビジュアルインスタレーションを発表。
- 10月2日 - 中田ヤスタカがレジデントを務めるフェス" OTONOKO[オトノコ]"に出演。
- 10月7日 - "VISION5th Anniversary presents track maker" にDJとして出演。
- 10月9日 - 北九州市で開催された東京ガールズコレクションの公式アフターパーティー『もみ処癒し屋 Presents TGC Night KITAKYUSHU 2016』にDJで出演。
- 10月12日 - デザイン・チーム<TOMATO>のサイモン・テイラーがオーガナイズし、ケミカル・ブラザーズがヘッドライナーとして出演する「Rockwell SirKus 2016 」に出演。
- 10月17日 - 札幌「KING XMHU」に DJとして出演。
- 10月26日 - シンガーソングライターの大森靖子へ楽曲提供した『POSITIVE STRESS』が発売。
- 10月28日 - Chim↑Pom 主催『ART is in the pARTy Day 2』にシークレットゲストとしてライブセットで出演。
- 11月18日 - 日本初となる写真と映像のアートフェア「ART PHOTO TOKYO – edition zero –」に出演。
- 12月8日 - 府中の魅力を市内外に発信し、観光などの振興に資するための「東京多摩振興 特命 武蔵国府中大使」に小室哲哉が任命された。
- 12月19日~12月24日 - 毎年恒例となった『小室哲哉PIANO BIOGRAPHY feat.坂本美雨』が2016年も開催。
- 12月19日 - エイベックス・グループの障がい者スポーツ支援事業「avex challenged athletes」が、障がい者スポーツの認知・普及を目的に作成したプロモーション映像に、新曲「one more run」を提供。
- 3月15日 - 約3年ぶりのソロアルバム『Tetsuya Komuro JOBS#1』が発売。
- 3月29日 - H Jungle With tのヒット曲『WOW WAR TONIGHT』のアナログ盤が7インチでリリース。
- 4月5日 - TM NETWORKの代表曲Get Wildの発売30周年記念アルバム「GET WILD SONG MAFIA」が発売。
- 4月22日 - H Jungle With tの2ndシングル「GOING GOING HOME」が、RECORD STORE DAY限定盤アナログとして発売。
- 6月3日 - 音楽とテクノロジーを融合させたイベント「INNOVATION WORLD FESTA 2017」に2016年に引き続き出演。
- 6月21日 - アルバム『GET WILD SONG MAFIA』収録曲「GET WILD 2017 TK REMIX」と石野卓球(電気グルーヴ)が手掛けたアルバム未収録バージョン「GET WILD(Takkyu Ishino Latino Remix)」がアナログレコードで発売。
ディスコグラフィ
小室哲哉が楽曲提供、プロデュースした楽曲の一覧は小室哲哉提供楽曲一覧を参照
レコード会社は以下の表記とする。
- (EP)…Epic/Sony Records
- (EM)…東芝EMI
- (AV)…avex trax
- (AN)…Antinos Records
- (SR)…Sony Records
- (SA)…Sony Music Associated Records
- (F)…FOA RECORD
- (Y)…YOSHIMOTO R and C(gaball screen / 旧:R and C Japan)
- (BW)…Banshee Worx
- (M)…mF247
- (G)…Sony Music Direct
- (T)…TKCOM
- (SY)…Syn Songs
ソロシングル
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考(タイアップ等) | |
---|---|---|---|---|
1st | RUNNING TO HORIZON | 1989年10月28日 | (EP) | アニメ『シティーハンター3』OPソング |
2nd | GRAVITY OF LOVE | 1989年11月17日 | (EP) | |
3rd | CHRISTMAS CHORUS | 1989年12月1日 | (EP) | |
4th | 天と地と〜HEAVEN AND EARTH〜 | 1990年4月21日 | (EP) | 映画『天と地と』テーマ曲 |
5th | 永遠と名づけてデイドリーム | 1991年12月12日 | (EP) | 音楽座ミュージカル『マドモアゼル・モーツァルト』テーマソング |
6th | Magic | 1992年10月1日 | (EP) | |
7th | Pure (Hyper Mix) | 1992年11月27日 | (EP) | c/w : yuki's song |
8th | SPEED TK RE-MIX | 1997年7月9日 | (EM) | 映画『スピード2』テーマ曲、「TETSUYA "TK" KOMURO」名義 |
9th | Blue Fantasy - Love & Chill Out | 2001年10月24日 | (F) | |
10th | SPEED TK RE-MIX〜炎のコマ | 2001年10月24日 | (EM) | 高橋由伸・桜庭和志入場テーマ曲 |
デジタルシングル
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考(タイアップ等) |
---|---|---|---|
Someday mF remix | 2006年1月5日 | (M) | 「DJ TK」名義、佐野元春のヒット曲のリミックス。 |
If you like it or not | 2006年2月5日 | (M) | 「DJ TK」名義、ラップ・kco。 |
@Buddha Bar | 2006年3月7日 | (M) | 「DJ TK」名義。 |
SOMEDAY 2006 | 2006年4月22日 | (M) | 「DJ TK」名義、佐野元春のヒット曲のリミックス。 |
Arashiyama | 2006年8月8日 | (M)→(T)・(SY) | 「DJ TK」名義。後にiTunes Storeで世界同時配信される。 |
I WANT YOU BACK (mF247 remix) | 2006年10月4日 | (M) | 「DJ TK」名義、自身の楽曲のセルフカバー。ボーカルはkco。 |
アンジェリーナ mF Prepromix | 2006年12月9日 | (M) | 「DJ TK」名義、佐野元春のヒット曲のリミックス。inst版も同時配信。 |
ガッツだぜ!! DJ TK MIX | 2007年4月1日 | (M) | 「DJ TK」名義、ウルフルズのヒット曲のリミックス。 |
Now1 | 2013年1月30日 | (AV) | ソロアルバム「DEBF3」から先行配信。「みんなのKEIBA」テーマソング。 |
WATCH the MUSIC feat. Capitol A, Alain Clark | 2013年2月20日 | (AV) | 「DEBF3」のプレオーダーのスタートと同時に先行配信。 |
FREEDOM (Remode) / Love again (Remode) | 2015年7月8日 | (AV) | globeのアルバム「Remode 1」から小室哲哉名義で先行配信。 |
a new lease on life | 2016年5月9日 | (AV) | J SPORTS「15/16イングランドプレミアリーグ」中継エンディングテーマ。 |
Blue Ocean | 2016年6月15日 | (AV) | TOKYO FM「Blue Ocean」エンディングテーマ。 |
GET WILD 2017 TK REMIX | 2017年3月8日 | (AV) | 「GET WILD」30周年の幕開けとして小室が新たにリミックスした。 |
コラボレーション作品
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考(タイアップ等) |
---|---|---|---|
背徳の瞳〜Eyes of Venus〜 | 1992年1月18日 | (EP) | 「V2」名義。 XのYOSHIKIとのコラボ。 |
Silent Lover | 1995年4月21日 | (SR) | 「C+C+T・K」名義。 アメリカのC+C Music Factoryとのコラボ。 |
CALL ME ANYTIME | 2000年9月20日 | (SA) | 「Tetsuya Komuro Featuring. Y.U.M」名義。 アメリカのY.U.Mとのコラボ。 |
Embryo | 2003年 | (BW) | 「Lifecell」名義。 ベルギーのDJ PUSHとのコラボ。 |
22世紀への架け橋 | 2013年12月4日 | (AV) | 「小室哲哉VSヒャダイン」名義。 前山田健一(ヒャダイン)とのコラボ。 iTunes Store限定で配信。 |
#RUN(ハッシュラン) | 2015年12月23日 | (AV) | 「小室哲哉 feat. 神田沙也加(TRUSTRICK) & tofubeats」 名義。 ユニット名:TK feat.TK |
Have Dreams! | 2016年4月13日 | (AV) | 「Tetsuya Komuro × Tsunku♂ feat. May J.」名義。 つんく、May J.とのコラボ。 |
ソロアルバム
オリジナルソロアルバム
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1st | Digitalian is eating breakfast | 1989年12月9日 | (EP) | シンクラビアを多用し、全曲小室自身がリードボーカルを務めている。 |
- | Hit Factory | 1992年10月21日 | (EP) | セルフカバー・アルバム |
2nd | Digitalian is eating breakfast 2 | 2011年5月4日 | (AV) | 全世界同時発売[注釈 21]6月1日にはiTunes Store限定でインスト版が配信された。 |
3rd | DEBF3 | 2013年3月6日 | (AV) | EDMを基調としたアルバム。DOMMUNEのライブ音源も収録される。 |
4th | TETSUYA KOMURO EDM TOKYO | 2014年4月2日 | (AV) | セルフリミックス音源に加えてゲストボーカリストをフィーチャリングした新曲が収録される。 |
5th | TETSUYA KOMURO JOBS #1 | 2017年3月1日 | (AV) | 小室の近年のソロワーク音源を集めた新シリーズ「JOBS」の第1弾。アーティストらとのコラボ曲や、番組テーマソング、CMタイアップソング、サウンドインスタレーションなどで構成される。アルバムは初回限定盤と通常盤の2形態。初回限定盤にはミュージックビデオやライブ映像を収めたDVDと、小室のオリジナルインタビューとオフショット写真が100ページにわたり掲載されるフォトブックが付属する。 |
Far Eastern Windシリーズ
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1st | Far Eastern Wind - Winter | 2008年2月13日 | (T)・(SY) | iTunes Storeにて世界同時配信 |
2nd | Far Eastern Wind - Spring | 2008年3月5日 | (T)・(SY) | iTunes Storeにて世界同時配信 |
3rd | Far Eastern Wind - Summer | 2008年7月23日 | (T)・(SY) | iTunes Storeにて世界同時配信 |
4th | Far Eastern Wind - Autumn | 2008年9月10日 | (T)・(SY) | iTunes Storeにて世界同時配信 |
Far Eastern Wind -Complete- | 2012年3月28日 | (AV) | Far Eastern Windシリーズ全てがデジタルリマスタリングされCD盤で発売。1曲73分に及ぶ新曲『五常』が収録されている。 |
サウンドトラック
- 1985年 OVA「吸血鬼ハンターD」(リリース当初はTM NETWORK名義)
- 1988年 映画「ぼくらの七日間戦争」(リリース当初はTM NETWORK名義)
- 1990年 映画「天と地と」
- ⇒天と地と SOUNDTRACKを参照
- 1991年 ミュージカル「マドモアゼル モーツァルト」
- 1992年 ドラマ「二十歳の約束」
- ⇒二十歳の約束 (アルバム)を参照
- 1994年 アニメーション映画「ストリートファイターII MOVIE」
- 1995年 ドラマ「ひとりにしないで」
- 1998年 ドラマ「P.A.」
- 1998年 アニメーション映画「エルマーの冒険」
- 2002年 テレビアニメ「サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER」
- ⇒サイボーグ009 - CYBER MUSIC WORLD
- ⇒サイボーグ009 - CYBER MUSIC WORLD II 〜遭遇〜
- ⇒サイボーグ009「完結編 PROLOGUE 〜旅立ち〜」
- 2004年 中国映画「恋愛中的宝貝(邦題:恋愛中のベイビー)
- 2004年 テレビアニメ「ゾイドフューザーズ」
- 2015年 フジテレビ ノイタミナ『パンチライン』
ライヴ・アルバム
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1st | tjm - tetsuya komuro Jungle massive | 1995年7月19日 | (AV) | |
2nd | tk-trap | 1996年5月22日 | (AN) | |
3rd | TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE vol.1 | 2002年11月20日 | (Y) | TSUTAYA限定販売 |
4th | TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE vol.2 | 2003年2月26日 | (Y) | TSUTAYA限定販売 |
5th | TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE (TK Presents BROADJ #332)Disc.2・3 |
2012年3月21日 | (AV) | TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE (TK Presents BROADJ #332) 形態AVBD-91883/B~Cに収録 |
リミックス・アルバム
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1st | Blue Fantasy - Love & Chill Out With Trance Remixes | 2002年6月21日 | (F) | |
2nd | Cream Of J-POP 〜ウタイツグウタ〜 | 2007年7月4日 | (M) | 「DJ TK」名義 |
3rd | Digitalian is remixing | 2012年3月21日 | (AV) | |
4th | DEBF EDM 2013 SUMMER | 2013年9月25日 | (AV) | iTunes Store限定配信 |
その他
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考 | |
---|---|---|---|---|
- | Psychic Entertainment Sound | 1990年9月21日 | (E) | 「Tetsuya Komuro & Mr.Maric」名義 |
- | TK1998 | 1998年11月26日 | (SA) | 限定BOX |
- | PIANO globe 〜globe piano collection〜 | 2003年3月19日 | (AV) | |
- | PIANO WIND (TK AMBIENT SELECTION) | 2003年3月19日 | (Y) | |
- | PIANO VOICE (TK PIANO WORKS) | 2003年3月19日 | (Y) | |
- | うみね | 2007年 | 大分県別府市「ホテルうみね」館内BGM 「ホテルうみね」限定発売 |
オムニバス
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1st | SAGA 小室哲哉クラシック・セレクション | 1992年12月2日 | (E) | クラシック・セレクション |
2nd | TK MILLION WORKS | 1996年11月16日 | (AV) | |
3rd | ARIGATO 30 MILLION COPIES -BEST OF TK WORKS | 2000年3月23日 | (AV) | |
4th | THE GREATEST HITS - 小室哲哉作品集 - s | 2006年2月22日 | (G) | |
5th | THE GREATEST HITS - 小室哲哉作品集 - a | 2006年2月22日 | (AV) | |
6th | TK INSTRUMENTAL WORKS SELECTION 1986〜2003 | 2006年2月22日 | (G) | |
7th | TETSUYA KOMURO CELEBRITY PLAYLIST | 2008年5月7日 | ||
8th | TK BOX 〜TETSUYA KOMURO HIT HISTORY〜 | 2011年5月31日 | (AV) | |
9th | 小室哲哉 meets VOCALOID | 2012年3月28日 | (AV) |
ビデオ・DVD
- 1989年 Digitalian is eating breakfast
- 1996年 tk-trap(1月19日 - 20日に幕張メッセで行われた2日間限定のライブを収めたビデオ)
- 2012年 TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE (TK Presents BROADJ #332)
レコーディング参加作品
※(直接的な)プロデュース・作曲・編曲を兼ねて参加した作品は除く。
- 1976年 あのねのね 『パンツ丸見え体操』[57]
- 1979年 銀星団 『SILVER STARS』 (「Digital "Cheap" Snake」名義)
- 1981年 白竜 『アジアン』
- 1981年 白竜 『光州City』
- 1982年 許冠傑 『難忘您・紙船』
- 1983年 アミダばばあ 『アミダばばあの唄』
- 1984年 工藤順子 『茜色のカーニヴァル』 (一部アレンジャーとしても参加)
- 1986年 大江千里 『AVEC』
- 1987年 GWINKO 『YESTERDAY TODAY FOREVER』
- 1988年 松本孝弘 『Thousand Wave』 (『Play It So Loud』を担当)
- 1989年 ムッシュかまやつ 『THE SPIDERS COVER'S』
- 1992年 The SUZUKI 『Nuage』 (『Decolage』、『Rhythm Of Life』、『CON ANIMA』を担当、エグゼクティブプロデューサーとしても参加)
- 1994年 BIG LIFE 『The 1st Recording』 (『CRY』を担当)
- 2006年 Stevie Salas 『Be What It Is』 (『cherokee girl』を担当)
- 2012年 Nick Wood 『Hope』
- 2014年 東京プリンとたいせつな仲間たち 『明日笑っていられるように』
この節の加筆が望まれています。 |
ライヴ・コンサートイベント
※オーガナイザーを務めたライヴ等も含める。ゲスト出演等は省略。
- Digitalian is eating breakfast(1989)
- SPACE WORLD (1991)
- TK TRACKS NIGHT (1991)
- t jungle m (1995)
- tk-trap (1995)
- avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP (1995)
- イエス・トゥー・ライフ dance alive (1996)
- TK Trillion Net (1996)
- TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI (1997)
- TK Presents GROOVE MUSEUM (1997)
- RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT (1998)
- GOA IN BALI (1999)
- Rendez-vous in Space 2001 (2000 - 2001)
- TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE (2002)
- Electone STAGEA Presents Tribal Kicks TV Party (2005)
- TK New Year Live 2008 in Tafukuji Temple (2007 - 2008)
- 小室哲哉コンサート ピアノ&トーク (2010)
- TETSUYA KOMURO ~Piano Solo Concert~ (2011)
- DOMMUNE「TK Presents BROADJ ♯331」2-Hour Special Live Set by TETSUYA KOMURO (2011)
- FREEDOMMUNE 0<ZERO>2011 (2011)
※コンサート自体は天候により中止されたが、小室単独で深夜の緊急生ライブを小室のスタジオから放送した。
公式書籍
- 1988年 Vis Age TETSUYA KOMURO PERSONAL VISUAL BOOK (子供の頃の写真と共に、自らが詳しく生立ちを語ったヒストリーと、PWLのマット・エイトケンとの対談他を収めた自伝写真集)
- 1989年 Digitalian is eating breakfast (ソロアルバム制作後のインタビューと楽譜を収めた本)
- 1990年 音を生け捕る - 映画「天と地と」音楽監督NOTE (自身の曲解説が収録されている本)
- 1992年 HIT FACTORY (マイアミで行われたソロセカンドアルバムの制作風景と、プライベート写真集)
- 1993年 TK EOS FACTORY 小室哲哉のシンセ工房
- 1993年 告白は踊る (東京をコンセプトに、自身の哲学や、これまでの仕事を振り返ったエッセイ)
- 1995年 With t - 小室哲哉音楽対論 Vol.1〜Vol.2 (音楽番組「TK MUSIC CLAMP」の対談を活字に起こした本)
- 1996年 With t - 小室哲哉音楽対論 Vol.3〜Vol.5 (桑田佳祐 、YOSHIKI、織田哲郎、小林武史、つんくなど多数登場)
- 1996年 深層の美意識 /著者:神山典士 (小室哲哉監修の公式自伝本)
- 1998年 first step in asia (「TK Presents GROOVE MUSEUM」を、ドキュメントで構成したフォト&インタビュー)
- 1998年 プロデューサーは次を作る - ビジネス成功22の方程式 /著者:中谷彰宏・小室哲哉
- 2003年 VOICE OF WORDS (小室哲哉が書いた詞をセレクトした歌詞集)
- 2009年 罪と音楽 (絶頂期から2009年時点、未来をテーマにした書き下ろしエッセイ)
- 2014年 CAROLの意味(小室書き下ろしのストーリーブック。この世界観を表現したインスト楽曲『password』をダウンロードすることができるミュージックカードが付属。)
- 2016年 時代をつかみとる思考(『未来志向』をテーマにしたエッセイ、セブンネットショッピング限定販売)
関連書籍
- 2000年 TKman (ティーケイマン) 1 & 2 /作:柴田亜美 1巻(第1話 - 第20話) 2巻(第21話 - 40話)
- (小室哲哉が主人公の漫画コミックス。小室哲哉黙認で、1999年2月〜2000年1月まで、ビッグコミックスピリッツにて連載された。)
- 2008年 別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評53 TMN&小室哲哉 ポップス神話創世
- 2008年 ミュージック葬でハッピーにいこう! /若尾裕之著(付属CD作曲・プロデュース)
ゲーム
- TM NETWORK LIVE IN POWER BOWL(1989年発売 ファミリーコンピュータ用ソフト)
- EMIT(1995年発売 FM-TOWNS/PC-9821/PlayStation/SEGA SATURN/スーパーファミコン/3DO用ソフト)
- ガボールスクリーン(1996年発売 PlayStation用ソフト)
テレビ・ラジオ・雑誌連載
※テレビ・ラジオの項ではレギュラー出演していたもののみ記す。
テレビ
- TK MUSIC CLAMP(フジテレビ、1995年4月12日 - 1996年5月8日)
- TK NEWS -小室魔力-(TVBS-G、1997年8月 - 1998年1月)
- TK SPARK COM(フジテレビ、1998年4月15日 - 1998年9月23日)
- 哲にいさん→コムロ式(日本テレビ、1999年4月5日 - 1999年9月27日)
- radio TK(フジテレビ、2001年4月 - 2001年9月)
- club TK(BSフジ、2001年4月 - 2001年9月)
- 倫敦音楽館 Lon-mu(テレビ東京、2001年10月2日 - 2002年3月26日)
- Tribal kicks TV(スカイパーフェクTV!、2004年10月 - 2004年12月)
- スナック喫茶エデン(フジテレビ、2012年10月21日 - 2013年3月24日) こむろさん役
ラジオ
- 小室哲哉のSF Rock Station(東海ラジオ、1986年10月 - 1988年3月)
- Sounds with Coke TM NETWORK Come on FANKS!(TBSラジオ、1989年4月 - 1990年?)
- kom sat radio→今夜もコムドラしようぜ!(ニッポン放送、1997年10月10日 - 2000年3月21日)
- BEAT CLUB(FM AICHI、2000年4月6日 - 2001年9月27日)
- RADIO SESSIONS「小室哲哉 Digitalian」(JFN系列、2011年1月 - 2012年3月)毎月第4週担当
- 小室哲哉 Radio Digitalian(第2期)(JFN系列、2012年10月1日 - 2014年3月26日)
- オールナイトニッポンモバイル(ニッポン放送、2012年10月3日 - )
雑誌連載
- KEYBOARD MANUAL(Player、1984年1月号 - 1984年12月号)
- キーボード講座(シンプジャーナル、1985年8月号 - 1987年7月号)
- ELECTRIC PROPHET(PATi PATi、1985年11月号 - 1986年1月号、SF小説)
- ART OF LIFE(月刊カドカワ、1991年6月号 - 1993年11月号)
- TK MUSIC CLAMP(PATi PATi、1995年6月号 - 1998年5月号、雑誌編集版)
- 小室哲哉のネットパラダイス(POPEYE、1996年10月25日号 - 1997年4月25日号)
- 小室哲哉通信(日経エンタテインメント!、1998年2月号 - 2000年12月号)
- TETSUYAをさがせ!!(ザッピィ、2000年8月号 - 2001年4月号)
- 小室マニュアル2001(ザッピィ、2001年6月号 - 2002年3月号)
- TK×INTERNET(Yahoo! Internet Guide、2001年6月号 - 2001年12月号)
- 小室哲哉×Nord Lead 3(キーボード・マガジン、2002年8月号 - 2002年10月号)
- TK Future Lab(ローリング・ストーン日本版、2016年8月号 - )
音楽性
作風
テクノ・ファンク・ユーロビート・ジャングル・ハウス・トランス・アンビエント・HIP HOP・R&B・レイヴ・ハードロック・プログレ、果てはクラシック・フォーク・AOR・ラテン・ワールドミュージック・純邦楽・演歌等幅広いジャンルを使い分け、かつ複数のジャンルを融合させて、ジャンルを限定せず、どの様なジャンルにも聞こえる[33]音楽を手掛ける事を得意とする。ただ、一般には邦楽ダンスミュージックの第一人者・1990年代のJ-POP、又はそれにおけるデジタル・オーディオ・ワークステーション・音楽プロデューサーの概念・音楽配信の普及の立役者として知られる[注釈 22][73]。
作風の大きな特徴として「狭い音域を限定したメロディ作り」「1〜2小節のメロディの繰り返し」「作詞の譜割りがゆっくりになったり早くなったりする」「息継ぎできる部分が全くないパートがある」「少ない構成パート」「唐突な転調が多い」等わかり易いインパクトを持ち、かつジェットコースターの様な緩急のメリハリがある展開が挙げられる[74][75]。その中でも特に転調を多用するようになったきっかけは、TM NETWORKの1stアルバム「RAINBOW RAINBOW」のレコーディングのとき、ソフトのバグで機材に誤動作が生じた。その勝手に音調が変化し転調してしまった音源を聞き、小室が「意外と気持ちいい」と感じたことがきっかけとなり、以後の制作活動でそのフレーズが定着した。ちなみにこれらの転調は適当ではなく理論的に説明が付くと小室自身は話している[76]。反面、発見したその後も意識的に挿入していたわけではなく、寧ろ「コンピューターの誤作動による偶然の産物であり、中々思う様に表現できなかった」「サンプラーが今の様にタイムストレッチができなくてそのままの音でキーを変えられなかった。そのサンプラーの音を使いたいが為に機械的に転調させていた。逆のパターンもあって転調した後にそれまで使っていたサンプラーのボイスが無くなっていてボイスのキーと合わせられなくなった」と必ずしも好意的に捉えてはなく、その後も如何に自由自在に使いこなすかの試行錯誤に腐心していた[77][78]。
自らの行う転調のやり方について、「どこでキーが変わっているのか・どこがサビでどこがブリッジなのかをわからないようにする」[79]「声が張るピーク・一番伸びる部分をサビに持っていくため。サビに合わせるとほかのパートが低くなりすぎるため、仕方なく4度転調とか、そういう変な転調を無理やり入れる」「周囲からは『サビでいきなり転調するよね』って言われがちだが、サビが先にあって、その前のBメロで転調しておく」[80]「KCO・安室さん・華原さんは声が出るから転調無しの構成でも大丈夫だった」[77]「お互いのキーの共通コードをつないで転調する。そうすると突然転調した感じが薄れ、スムーズな感じになる」「王道としては、サビの繰り返しで半音キーを上げて高揚感を出す。共通のコードは無いけどメロディを繰り返すことで頭にそのメロディが残る」「ブリッジで転調しておくと、その後自分の演奏テクニックを披露する等やりたいことが自由にできる展開になる」と話している[78]。
コード進行では「Am-F-G-C」(例:TM NETWORK「RESISTANCE」、「humansystem」[81]、H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」、globe「DEPARTURES」[82])、「短三和音+五音音階」[23]、「sus4(サス・フォー)」(例:渡辺美里「My Revolution」、篠原涼子「恋しさと せつなさと 心強さと」)[30]、「add9(アド・ナインス)」(例:globe「DEPARTURES」)[34]を多用する傾向にある。
シングルをプロデュースする際は、1曲目がオリジナルで2曲目にオリジナルのリミックスバージョンを入れるのが基本構成である。リミックスバージョンで最新の音色・メロディ・アレンジに対する反応を確かめて、周囲の反応がいい時はすぐに次のデモテープに活かす[8]。アルバム制作に発展させたい場合には、基本構成は1990年代までは通しで聴く事を前提に、1曲目と最後の曲目に注意を払う様にしていたが、2000年代以降はインターネットで試聴する1曲で印象が決まってしまうので、その1曲毎に芸術として勝負できるように心がけている[83]。制作方法はシングル用の楽曲制作の時点でコンセプトを煮詰めた後に時間をかけるか、プライベートで商業上の制約を一旦抜きにして好き勝手に曲を作りそれを商業向けに手直しするかのどちらかを選ぶ[注釈 23]。後者の一例としてglobeの「Love again」が挙げられる[84][8]。
作詞
作詞を始めたきっかけは10代の頃に聞いていたロックミュージシャンが皆自分で作詞していたから、それに小室が続いた形で作詞家としてのキャリアをスタートさせた[85]。表現方法は人称・シチュエーションをはっきり限定させず、「私に当てはまる」と感情移入させる「糊代」を作る演出・「人生」「現実」「常識」「立派」「正直」「公園」を意図的かつ潜在的に散りばめる手法・閉鎖的な言葉遣いを排除し「喧騒から『走れる』『逃げれる』『動き回れる』『内面を吐き出す』」形で現実と立ち向かう世界観が多い。マスコミ関係者・ファンから「どうしてそこまで10代・女性の気持ちがわかるのか」「globeの歌詞や世界観に憧れた」と沢山の反響を受けた[8][61][86]。
自身のポリシーとしては「反体制派の賞賛ではなく、スポーツ・勉強・遊び・ダンス・DJ・ソングライティングをひたすら真面目に取り組む若者のストイックな格好良さを、時代と向き合うロックの新たな存在意義にしたい。だからリスナーに対する責任は重く、歌詞には長く時間をかけている」[61]「『勇気』1つにしても、言葉をそのまま使うと一気に説教臭くなってしまう。代わりにコード進行・リズム・楽器を慎重に選択したメロディで言葉をシンボリック化している」[87]「10代が必ず通らねばならない道と対峙した時に、誰かに言ってほしい言葉に結果的になっていた」[30]「歌手の姿形・声を通し、自分の理想とする女性像を試行錯誤しながら書いていた気がする」[34]「1人の女性の全く見えない孤独・葛藤を歌詞にしてきたつもりです」[88]「常に長所・短所両面の揺れを書いている。そこに男女の垣根は関係ない」[89]「完全に自分の1人称で歌ってもらえるのはTM・TRF・globeだけ」[90]と回答している。
反面「CAN YOU CELEBRATE?」という英語の表現や、詞の文法がおかしいなどの指摘があるが、小室は「文法上のことはあまり考えず、曲のイメージ・16ビートのリズム・メロディにアクセントがぴったり合う英語を選ぶ。そうすれば『かっこ悪い』といわれる部分も自然と省ける」[91]「ごり押しではあるが、サビの印象的な部分に簡単で記号的な英語を入れる、ボタン一つで他国語に切り替えたり、英訳を表示する等、海外の方々への日本語の意味の伝え方はテクノロジーで克服できる。必ずしも全編他国語で作詞しなければいけないわけではない」[33]「作為的な言葉は全く考えず、自然発生的な言葉を中心にいれている」[92]「日本人が聞いて言い易い、わかりやすい英語を求めていました。文法よりキャッチーであること優先。洋画の原題が邦題になるときと同じ様に、『ちょっと格好悪いかな』って位までわかりやすくする為に何回も書き直してました」[86]と発言している。
作詞の手法においては渡辺美里[注釈 24][93][30]・山下達郎[注釈 25][94][95]・川村真澄[注釈 26][73]に影響を受けた。
基本は三部構成で行われ、
- Aメロ「物語の設定の説明」
- Bメロ「昔の事を振り返り、自分達の状況・風景・環境を説明」
- サビ「相手に一番伝えたいことを伝える」
をそれぞれに振り分けて担当させている[96]。
作曲
小室が作曲をする際、自分の属するユニットの楽曲を作る場合は最初に「このジャンルを作りたい」と思ったら、もうその雰囲気で適当に弾き語り、出来上がった曲の事は軽く覚えておく程度にして、しばらく放っておく。そして、もし覚えていて格好よければそれを譜面にするか、録音する。覚えていて弾けても、その前に作ったときのインパクトがもう消えていたら、没にする。そして楽曲自体忘れていたら、「仕方がない、もしかしたら思い出す」と割り切る。似た作り方で、曲の構成上、歌い出しの部分だけ昔作ったものを思い出してサビの部分を新しく考える・サビだけ出来上がっていて、頭に常に置いておき、ある日それにあうイントロ等が出来ると急に引っ張り出すこともある。作った時代が、歌の場所によっていろいろあるといった感じのものも多い。依頼された楽曲を作る場合は制約・締切があるから、今までのストックを基にして無理矢理作る。そして、ディレクターやプロデューサーにその楽曲を聴かせないといけないので、かならず「曲デモ」と称されるデモテープを作る。これを聴いてレコード会社の人・CMディレクターに「サビを直して」「これでは○○さんの曲みたいだよ」「いつもの小室さんがやる様なメロディでお願いします」等、色々な注文をされる。依頼された場合は、よほど制約が緩くない限りは勝手が出来ない為1回~3回は、手直しがある。1番最初は7割程度の出来で聴かせて、2回目に全力を出して作るパターンが多い[97][98]。クレームに対しては「寧ろ、ないと僕がオファーを受けた甲斐がない」と寛容な態度を示しているが[29]、どうしてもダメ出しをされたくない場合の対策として締切日ギリギリまで作らない事もある[99]。1曲作るのに没になる事前提のそれぞれの微調整されたパート違いも含まれる8~10通りのバージョンを用意しコンペに臨んでいた[100]。発売前に各媒体で流してリスナーの反応に耳を傾け、手直しを行うこともある[101]。1990年代は後者の依頼が格段に多くなった為もあり、それ故に「突然降って舞い降りた・湧き出てきた様に自分が閃めいたメロディだけで、周囲の介入なし・試行錯誤なし・実験性満載・楽器と向かい合ったら短時間で楽しく作れて、弾き直しも1回もなく、コンペもスムーズに通った楽曲」として安室奈美恵の「Don't wanna cry」、華原朋美の「MOONLIGHT」[102]、鈴木あみの「OUR DAYS」[103]、globeの「FREEDOM」・「Precious Memories」[104]・「Is this love」[105]・「Many Classic Moments」[34]、ソロの「Futari」[81]・「Far Eastern Windシリーズ」[34]を挙げ、本来その様な楽曲が出来上がるのは数年に1回あるかどうかと答えている[98]。大まかな工程としては、
- 昼過ぎにコンセプトの打ち合わせを行う。
- 深夜にメロディが全く思いついていない状態でスタジオに入り「この人に提供しよう」「このイントロ・コード進行・アウトロ・リフ・音色でいこう」と決める。
- 既存のシンセサイザーに内蔵されている音色を更に編集する[106]。
- 構想にフィットしそうなリズムパターンをドラムマシンで制作する。
- リズムパターンにあわせて全体の構成やコード進行を考える。
- おおまかな構成ができ上がったら仮コードを手弾きで、またはコンピューターに打ち込んだメインのバッキングトラック、あるいは小室の知っている曲や自分で既に制作した曲を歌った鼻歌を、プリプロダクションを行わずにライヴを行う感覚で録音してしまう[注釈 27]。
- 録音した音源を再生しながら、ベースのフレーズを考えつつ、それをミュージックシーケンサーに打ち込む[注釈 28]。
- それぞれのシンセサイザーの担当するパート・クリック音・リズムのデータを入力し終えたら、細部を詰め、細かい音色を決めて全て録音してしまう。この段階でのオフヴォーカル音源はほぼ製品版に近いものとなる。
- 最後にもっとも曲のイメージにふさわしいヴォーカル・コーラス・ギター専用のメロディの譜面[注釈 29][107]を「ギターのソロパートを振られたときにギターで弾き語るような感じで乗っけるように」作る。他の楽器を担当するミュージシャンにその楽器が担当するパートのアレンジを委ねることもある[108]。
- 作詞・譜割りは必ずオフヴォーカル音源が完成してから取り掛かる[注釈 30][109][110][111]。
以上の工程[2][75][112][113]をTMデビュー前の時点で雛形は出来ていたが[114]、完全に確立できたと思えたのは渡辺美里の「My Revolution」を作った辺りとのこと[115][98]。その時の方向性は『当時流行していた洋楽の様に4小節同じバース・コード進行・コーラスでメロディだけは移り変わっていく展開』を目指していた[24]。
デモテープの制作はTMの楽曲の場合は一キーボーディストとして直感で生んだリフ・フレーズを中心にしたオフヴォーカル優先、globeの楽曲の場合は小室による仮歌のみで構成され、周囲に提供する楽曲の場合はメロディ優先で制作する。最初から指定のシンガーに向けて作った楽曲を結果的に別の人が歌うケースになっても、別の人が歌えるようにカスタマイズする作業をすることもある。2曲作るのに平均6~7時間はかかる[2][76][116]。『レコード会社の人に如何に楽しんでもらうか』を考えてデモテープの段階で24chで録り、イントロから間奏まで完璧に作り上げるが、それが他の編曲家も関わる曲だった場合には編曲家を困らせてしまう事もある[81]。
1990年代以降は「カラオケで歌いやすく、ディスコでもコンビニでもかけれるダンスミュージック」「ディスコ+カラオケ÷2」[注釈 31][117][29]を基本方針とし「カードの組み合わせで曲ができる」を持論に、今まで小室自身が制作したメロディ・世界中の楽曲の音源から採取したフレーズ・リズム・メロディを音楽ジャンル別・楽器別に分けて、更に「イントロ用」・「サビ用」・「アウトロ用」等に分けてコンピューター上のデータとしてインプットさせた後(その数は音色だけでも5万はある)、シンクラヴィア(後にPro Toolsにシフト)を駆使して、楽曲のイントロからアウトロまでをモニターに表示された高音・低音・リズム・各パートの長さを確認しながら行う様になる。いかに自らの曲のイメージにすり合わせながら「カードの様に」数々の楽曲を引用・コラージュ・再利用して組み合わせ[注釈 32]、「小室サウンド」としてサンプリング、アレンジして完成させるかがポイントになっている[30][118][28][119]。この手法については「いいサンプリングのネタと音色が一つでもあればそこから広げて1曲できる。海外では完全にそのノリ。もうそろそろ『サンプリング=盗む』という感覚も消えていい。ジェームス・ブラウンの様にネタを使われているアーティストがジェームスのネタを使っているアーティストにプロデュースを頼むこともあるのだから」[120]「70年代の誰もが知っている曲のある部分をイントロにつける、バックトラックに知っている曲のフレーズをつけておくと通りすがりの人をも驚かせる。一種のサブリミナル効果です」[30]「機材が進歩すると共に『この部分を直せばもっといい音源になる』という思いが強くなった」[121]「アートは中々インスパイアから逃れられない。コピーとインスパイアを積み重ねて誰もやった・使った・聞いたことのないほんの数秒間、瞬間でもいいオリジナルを発明してやっと匠になれる。僕の中で発明と思っているのが安室さんの『CAN YOU CELEBRATE?』のイントロ」[122]と答えている。それ故に楽曲はパート別のメロディの断片を除いても、常に100曲のストックを持っている[123]。
作曲家のポリシーとしては「体を動かしたくなる『発散性』があるか、場を盛り上げるための『社交性』を持っているか、楽しいだけではないハードルの高いキーがもたらす『エクササイズ』になっているか、というカラオケでファンが求める3要素を常に意識する」「一度書いたメロディは必ず使う」「メロディがボーカリストの心身にどんな作用をもたらすか細かくイメージする」「楽曲のジャンルを確立するためにデモテープのミックスの名残を出来る限り残す」事を心掛けている。TMでのレコーディング作業時、宇都宮に負担を掛けすぎた事への反省から篠原涼子をプロデュースした1994年からボーカルディレクション・ミキシングの指揮を自ら行い、ビブラートを効かせたり、小節を回す等の歌い方は極力させない様になった[92][124][26][125][126][注釈 33][74]。
キーボーディスト・シンセシスト・マニピュレーター
シンセサイザーの使い方はハードウェア・シンセサイザーを重視する傾向が強く、レコーディング作業時のみソフトウェア・シンセサイザーを「楽器として重要な要素であるフィジカルコントロールの面でハードに劣る」「鍵盤の方が手っ取り早い」「マウスが使いづらい」「つまみがあって二度と出せない音を作り出せる機材に可能性を感じてしまう性分なので、マウスや数値だけでは限界がある」[46]「基本的にステップ入力はしない。1974の時その手法でイントロを作るだけでも大変苦労した。それに打ち込みから始めてしまうと音色によってデュレーションやリリースが違うので、いざ聞くとニュアンスが全く違ってしまう」[127][128][20]として使用していなかった。音自体はMIDIで作った後、それを鍵盤で即興で弾き、それをPro Tools・ACID等でエディットしていく形を好んでいる[76]が、椎間板ヘルニアによる身体への負担・コンプレッサーの性能と音圧の高さとハードウェアタイプとの差の大きさ・マウスの操作性の向上(主に応答時間)・他のクリエイターからの影響を考慮し、2013年3月に個人所有のスタジオを改装する際にソフトウェアタイプの機種を導入した。また、同年の7月20・21日にさいたまスーパーアリーナで行われたTM NETWORKのコンサート『TM NETWORK FINAL MISSION -START investigation-』では初めてソフトシンセをライブで使用した。ライブのリハーサル中、PCが頻繁にフリーズしてしまったため、バックアップとして急遽パソコンをもう一台購入し、ソフトシンセももう一式購入した。そのため、「結果ハードシンセよりも高くついたが、2台あることでダブステップをやるので音を重ねていけたりする等プレイの幅が広がった」と小室は語っている[129]。それでも2013年の時点で「記念館を作れる」くらいに個人でハードウェアタイプの機種を所有している[130][131][132][133]。新しくシンセサイザーを購入した時、マニュアルは読まずに予備知識なし・直感で操作する。それ故に一度も使った事のない機能・スイッチが多いが、使いたい機能・目的がはっきりしている為、あまり楽曲制作に迷わないという[8]。
ライヴでの演奏もシンセサイザー主体であり、「自分がその楽器のプレイヤーとしての腕が追いつかなくても、演奏したい楽器のボタンを押して弾くと機械の方がメロディをしっかり追えると14,15歳の頃に気づいた」[134]「アレンジ・奏法はギタリストの真似から始まっていて、ギタリストだと簡単に弾けるフレーズ・プレイをキーボーディストが担当するとどうなるかを意識している」[135]「1台の中に生のストリングス・バンドサウンド・ヴォーカルが全て入っていて再現できる。僕の音楽はシンセサイザー・コンピューターの制御があって初めて成立している」[28][116]「1台あるだけで1曲音源が作れる程、機能が充実している」[8]「バンド内でギタリストに対抗できるポジション」[136]「ギタリストがカッティングでグルーヴを生み出すように、鍵盤でも何か違った形でグルーヴが生み出せないかと思っている」[137]「数台重ねれば一人バンドができる」[99]と語る程に思い入れが強い。1990年代前半まではマルチ・キーボードでの即興演奏、ミュージックシーケンサーを駆使しての多重演奏を主体としていたが、1993年よりクラブDJが行うミキシング・コンソールでのリアルタイムリミックスに興味を抱き[138]、1997年のイベント「TK Presents GROOVE MUSEUM」以降、リズムを含めたほとんどの音が内蔵されたPro Tools・ハードディスクとミキシングコンソールが機材の大部分を占めるようになり[139]、楽曲の構成をディスプレイで確認して単音・ブラス音・パッド音をノブをつまみながら歪ませて行う音色と音質の変換・パート別の音量と残響時間の調節を中心とするようになる。どのようなミックスになるかは小室のその時の気分次第であり、公演ごとに一つひとつアレンジが異なる。元の楽曲の演奏のきっかけになり、リズムをキープするための拍子・音程をキープするために最低限必要なメロディが突然消えることが多い為、照明デザイナー・PAエンジニア・ボーカル・ミュージシャンは通常のコンサート以上の多大な緊張と集中を強いられるという[140][141]。2011年のDOMMUNEでのストリーミングライブより、上記の演奏の他にも、既存の音源・事前に新規に作成した音源の上に即興演奏で全く別のメロディを重ねるスタイルを取り入れている。
長期ライヴツアーがマンネリ化しない為の工夫として、スタジオで事前に完成した映像に合わせて即興でベーシックのオケを制作し、リハーサルでは毎回映像を見ながらオケの作り直し・音色のデータのアップデートを行っている。その為に小室のブースではスタジオの環境と変わらない録音ができる機材を中心にしたシステムで構成されており、レコーディング体制・ライブ体制へとすぐにどちらにも切り替われる様になっていて、「TM NETWORK FINAL MISSION -START investigation-」からはリハーサルの途中でも合間を縫ってレコーディングを行なう様になった[142][129]。
小室自身の感じるシンセサイザーサウンドの「賞味期限」は3か月であるため、その時になったら常に1からサウンドを練り直しているという[28][123]。これについては「長時間スタジオに篭り、コンピューターを駆使すればするほど、メロディ・音色等のデータが蓄積されていく。一度取り込んだデータは加工し、再利用し、新たな楽曲作りに活かすことができて、生産性が上がる」[28]「頭の中で鳴っている音楽は1時間で形にしたい」[143]「理想は携帯電話で聴いても、潰れたり埋もれたりしない音像」[126]「デモテープを作っているときが一番格好良いと思っていて店頭に並ぶ頃には飽きている。昔は周りに対して『違うんだよ、これは半年前に作った曲なんだよ』と思っていたが年々スパンが短くなるにつれストレスが大分減った」[136]「ソフトシンセはアップデートする度に月に何万もの新しい音色が来る。旅先でもダウンロード出来るので驚きつつも、エディットしてすぐにぶっつけで仕事に使う」[129][144]「一つひとつの音色をしっかりオーディションして、『この音色で弾けば下のベーシックなパートが浮かび上がってくる』ことまで考えて音作りをしている。オーケストレーションのアレンジに近い」[20]と語っている。
音楽プロデューサー
高校生の頃から既に音楽プロデューサーになることを志していた。「中学生の時から聞いていた洋楽にはプロデューサーの名前がメンバーよりでかく載っていて、インタビューでも『プロデューサーを選ぶところからレコーディングが始まった』『今度はこのプロデューサーでやろう』『プロデューサーと喧嘩してレコードを没にした』等、かなり立場が高かったことが伺えた。無理してフロントに出なくても存在感が確保され、上手くいけば必然的にオファーが来るポジションを目指したい」[109]「ミュージシャンはエゴが強いから、喧嘩にならずにバンドとして統一する為にまとめ役が必要」「自分の思いを伝えるには、自分で演奏して歌うのが一番シンプルだから。でも、そういうシンガーソングライターみたいな事はできないと自覚していたから触媒・フィルター役で音楽に関わっていきたい」「『この人と組んだらこういう音になる』というのを研究しているアーティストから選出され、世に送られて、ステータスが上昇する。そこから、楽曲を自分の好きな音楽の方向に持っていって、まとめていく。そういう洋楽案内人みたいな立場になれればいいなと思っていた」[145]「フォロワーを増やす、いい曲を作るだけではなく、マネージャー・タレント・エージェントという所もある。世界的には『音楽プロデューサーというのは良いトラックメイカー』ということになんとなくなっているけど、日本はちょっと違う。服装やメイクといったビジュアルから、どんなダンスを踊るのか、どんな言動をしていくのか、そこまで含めてコントロールして、世の中に憧れられるような存在にしていく」[146]と考えていた。ソロアルバムでは歌唱する楽曲があるが、「全然合格点ではない。自分のソロだから許されることです」と話している[147]。
本格的に裏方に徹し始めたのが1992年からで「自分が表に出てツアーや取材に時間をとられるのが嫌でその時間を裏方仕事に使えば音楽業界のどれだけお役に立てられるか」を考えていた。TMNが活動終了を発表した1994年当時は以後の派手な活動とは裏腹に、ステージから降りて完全に裏方に徹する予定だった。そのため「一連の大ヒットは僕にとっても予想外の出来事だった」「僕の口から『TKサウンド』と言ったことは一度もないのに『TKサウンド』だけで独立してしまった為に、自分の発言に責任を持てて『こんなことは言っていない』という意思表示になるホームページの必要性を迫られた」と語っている[148][149]。
プロデューサーとしての方針として素材であるアーティストをあくまでも提示された予算内で、リスナーがお金を出してCDを買ったり、カラオケで唄うまでのクオリティにするのを基本フォーマットにしている。小室は「『大改造!!劇的ビフォーアフター』と似ています」「売れなくても売れ過ぎるのもだめなんです。『小室さんの予測通りです!』でないと。いくら成功しても、また次にオファーが来た時に困るし、僕もプロデューサーとしての信頼が得られない」と答えている[73]。
「主役はスターではなく、飽くまでも聴く側」「自分から名乗っても『誰、それ?』と言われる感覚を如何なる時も忘れない様にする」という意向から、ファンへのリサーチ・クレームへの対応・ファンとの交流は欠かさず、クラブハウスに一定の間を空けた事前の予告無しで出入りし、ラフな格好でファンとも普通に話す。雑誌のチェックは隅の細かい記事まで読み、対象は主にホットドッグ・プレス・POPEYE・週刊プレイボーイ等男性向けファッション雑誌を中心にしている。女性向けファッション雑誌は「メーカーとのタイアップが多くて参考にならない」と敢えて手を出さず、直接女性ファンと交流する時にどの様な様子なのかを事細かく観察している。ギガネットワークス・エクシング等の大手通信カラオケ会社から歌唱曲ランキング等細かいデータを送ってもらっている[150]。ロサンゼルスを拠点に活動していた時には、麻生香太郎を介して大量の雑誌等を送ってもらい、日本のマーケット事情を調べていた[151]。
美術設定への関与
「男子・女子の両方に共感を得て、安定感はありつつ、化ける可能性があり、数年後も負けないマーケット」を作る為に、CDのジャケットデザイン・PVには書体・タイトルの入れ方・色調にまで細心の注意を払っている。特に女性アーティストをプロデュースする際の基本方針として、まず「女の子が『あの人かっこいい、あの人みたいになりたい』という願望を抱くような女性像を作る」と心がけ、女性の「個性の強い、葛藤と揺らぎを抱えながらもラインに対して反抗する女の子らしさ」は出しても女性の「コンプレックスを感じさせるセクシーな部分」は出さない為に、肌を強調する映像の撮影をする際はモノクロを基調にし、身体の露出にセクシーさを感じさせない様にしている。その時のブランドを把握し、「どんな楽曲を提供するか」より先にまず「どんなファッションが提供先のキービジュアルになれるのか」と周囲と区分けできるように考えることもあり、極力コンサバファッションはしない様に固めている[8][86]。
ライヴステージの設計・演出にもサウンド面だけでなく視覚面でも感動してもらうために、音楽と舞台の照明・スクリーンに映る映像のシンクロの具合・照明の光量にも注意を払い[119]、楽曲の間奏中はダンサーとDJにスポットライトが当たる様に小室が照明スタッフ・カメラマンに指示した事により、ステージの奥行きを出し、画のバリエーションを増やした[152]。イヤーモニターを使い、メンバーとサポートミュージシャンに指示を出す・ミスの修正・今後の演出の強化に役立てる等、「閃きを早く実行する」為に駆使している[34]。
音楽配信の開発・プロモーション
1990年代よりインターネット、特に音楽配信・ウェブサイトの必要性を説いていた。最初は楽曲のデータ・リズム・アレンジの管理・やり取りに使用するつもりで研究していたが、次第に並々ならぬ関心を抱き、1995年11月22日より自身の当時の公式サイト「Planet TK」にてNTTの音楽圧縮技術「TwinVQ」を用いた簡単な配信の実験、自身の制作した楽曲の試聴サービス、ライナーノーツと歌詞の掲載、クリスマスにサイト限定オリジナル楽曲のアップロード、バナーによる公式サイトの運営費の確保、日英2ヶ国語に対応したデータベース・バイオグラフィの紹介による両サイドの翻訳の手間の解消、「TK MIDI ZONE」にてEOS B900EXにて読み込みができる「Planet TK」オリジナルリミックスのMIDIデータの有料配信、通信カラオケ機器向けのMIDIデータの配信を行っていた。デザインは「もし小・中学生がECサイトにアクセスしたらどう感じるか」を意識する様にしていた[87][153][102][62][154]。
2000年にはTM NETWORKの新曲を無料で配信する試みを行うが、その時の音質を「カセットテープ並み」と消極的に見ていた[155]。2005年6月avex内に設立された高音質配信研究機関「High Definition Sound laboratory」のエグゼクティブアドバイサーに就任、当時新しくavexにより設立された音楽配信サイト「@MUSIC HD Sound」(現在はmoraと共有化)より試験的にglobeの楽曲を「スタジオマスター音源並み」の音質での配信・数々の企業に音楽配信とデジタル・オーディオ・ワークステーションのプロモーションを行い、アップルへ率先して幾度も訪問し、シンポジウムに出席した[156]。2005年8月iTunes Storeの日本でのサービスが始まるとその様子を「黒船来航」と喜びのコメントを出した[157]。
2012年5月「日本だけSONYの曲がiTunes Storeに置いてないのは変じゃないですか?もう売ってくれても良いじゃないかな」と自身のTwitter上で発言する等の問題提起に尽力し、多くの反響を呼んだ。2012年11月7日にSONY発売の楽曲の配信がスタートされた際「アポロ11号がNASAから、発射する瞬間みたいだった」「僕の役目はここまで」とコメントした[158][159]。
後進への対応
プロになりたいという志を持つアマチュアに対しては「夢を与える産業の裏側を公開しないのが美徳かと言うと、そんなことはない。音楽はヒットしないと意味がない。だから僕に対してどんな感情を持ってもいいから、『とりあえずここから入ろう』と少しでも思って育ってくれたら嬉しい」という意向から楽曲の機材の選択・音作りの感覚・コード進行・メロディーのパターン・歌詞のイメージを戦略的にアピールし、他よりも制作時の裏話・苦労話・エピソードを積極的に公開している[150][61][151]。
プロとしての心構えとして「世界に進出するには、いくつもの自分の世界を作れるタレント性が必要。音楽にボーダーラインは無いけど、相手に合わせたローカライズは必要。地元は勿論アジアでの人気も両方ないと駄目。最低でもバイリンガルであるべき、できれば海外に移住してその土地のミュージシャン・エンジニアと仕事して海外の音像を学んで欲しい」[160][126]「色んな会社の人が、会議でホワイトボードに『小室哲哉』と書いていた。方法・売り方・売れ方・『小室はこうやっている』…真似をされたり、参考にされたり、それは嬉しいことで。どんどん真似して欲しい」[112]「皆が共感できる普遍性のあるわかりやすさを重視しても、迎合してはだめ。オタクと言われようが、『自分の部屋で作ったものを配信するだけ』という気持ちで数打ってそれの何発かが当たればそれが普遍性のある作品になる」[161]「スポーツ選手の場合は1回失敗するとそこで人生が変わる。それを見ていると音楽の人は楽をしすぎ。特にバンドの場合ちょっと間違っても『まぁいいか』『走っているけど、編集してズラせばいいや』『音が外れちゃったけどピッチ・クオンタイズを掛けて合わせておこう』『最後コンプレッサーでまとめちゃえばなんとかなるよ』となりがち。生舞台での大変な失敗等の経験・練習・音質の向上をどんどん進めて元を出す人間が一番しっかりした方がいい。気持ちよく不快な思いをさせないようにというのがエンターテイメントの基本」[162][133][注釈 34][163]「職種を2つ以上持ち、平行すること。そうすれば違うファンも開拓できるし、選択肢も広がっていく。別方面が上手くいかない時の救いにもなる[注釈 35]」[164][125]という旨の発言をしている。
人物
本人について
早稲田実業学校高等部商業科卒業後、早稲田大学に進学・在籍するが除籍、しかし現在は推薦校友になっている。2001年に早稲田実業学校開校百周年記念に百周年記念歌『ワセダ輝く』を作曲(作詞は奥島孝康)。母校の早稲田実業学校には『小室哲哉記念ホール』がある。
かなりの偏食であり、大の魚介類嫌いで有名である。原因は1歳半頃、目の前に突然鯉のぼりが落ちてきて、それがトラウマになった為と言われる[4]。それを最初に吹聴して回ったのは、木根尚登と宇都宮隆である[165]。魚は嫌いというよりもむしろ「魚を見るのが怖い」(本人談)だった。またかなりの小食・早食いであり、いわゆる小室ブームの時も食事のほとんどはコンビニ弁当・インスタント・ファーストフードで済ませていた。当時のマネージャー曰く「世界一エンゲル係数の小さい人」とのこと[5]。ファミリーレストラン好きで、TM NETWORK時代にラジオ「小室哲哉のSF Rock Station」(東海ラジオ)の企画で結成したユニット「ハンバーグ&カニクリームコロッケ」は、当時お気に入りだったすかいらーくのメニューから名づけたほどであった。近年は麻布十番の「豆源」のお菓子を好物として挙げている。
自他共に認める「怒らない性格」であり[166]、阿川佐和子は「淡々とした語り口、やさしく、腰が低く、親しみやすい雰囲気」[167]、岩佐俊秀は「自分の不注意で大切なデータを消してしまったのに、『仕方ないね』の気楽な一言で済ませてしまう性格は真似したくてもできない」[116]と語っている。
1年の内の8割をスタジオで過ごし[168]、特に年末年始を世間の喧騒から逃れられる貴重な時間として好んでいる[8]。TMデビュー前より親交のある麻生香太郎は「貸しスタジオにも関わらず、何時間も一人でクラシックのピアノソロを弾きながら楽曲の構想を練っていた」[23]「シャイで『24時間スタジオ作業できれば食事も睡眠もいらない』という不思議な人」[169]、松浦勝人は「365日ほとんどスタジオにいること自体が大好き」[28]と称している。
全盛期には複数台の高級車を所有していた。大のフェラーリファンとしても有名で、色違いのフェラーリを複数台所有している。過去にはプライベートでF1観戦に訪れ、フェラーリチームのピットでレースを観戦している姿も何度となく目撃されている。また、メルセデスベンツ・CLK-GTRも所有していたが、並行輸入で購入していたものであったため乗ることができず、飾り物にしていたとのことである(なお、実際には一般人の運転には危険が伴うため、製造したダイムラーは購入者の技能を調べた上で販売している。詳細は当該項を参照)。
漫画・アニメ・SFに造詣が深い。高校時代にはアーサー・C・クラークを敬愛し[170]、2001年には世間的な評価が低かった劇場版ファイナルファンタジーにも賛辞のコメントを呈している[171]。また、さくらももこの携帯公式サイトを短いサイクルで確認し、実際に本人にあった際「僕はキャラは友蔵に近いんですよ」と話したという[172]。そして最近はケロロ軍曹のファンを公言しており[173]、自身のブログ・Twitterでも時折口調を真似る等、守備範囲は幅広い。
左腕下部に入れ墨が2つ有る。1990年代にTKロゴを、2000年代にその上に別のマークを彫った[140]。
まだインターネットが一般的になる前だった90年代からネット配信に注目しており、小室が趣味でiTunes Storeからダウンロードした楽曲は2万曲に上る[174]。
自身のTwitterで、佐久間象山と柴田勝家の血をひいている可能性があることを明らかにしている[175]。
仕事について
楽曲提供や音楽プロデュースと並行して、TM NETWORK、globe、GABALLなどのユニットの一員としても活動する。特にバンド・ユニットとしての活動は「プロデューサーからミュージシャンに戻れる場所」「新しいサウンドの実験室」と語っている[8][176]。
現在は国際麻薬統制委員会(UNODC)の親善大使も務めており、2007年4月から2008年11月4日まで尚美学園大学の芸術情報学部・音楽表現学科・特任教授に就任して、音楽特論(新世紀音楽概論)を担当していた。
他の芸能人と比べ個人レーベル・個人企業・個人スタジオを設立した数が比較的多い。小室曰く「今日思いついたアイディアを明日実践する機動力を持って面白い事をする為」「必ず結果を出す前提で一から十まで好き勝手やりたい放題行うための責任表明」とのこと[177]。しかし、後に「僕は事業運営に向いていなかった」と親交のあるテリー伊藤に述懐していた[178]。
雛形あきこの歌手デビューにあたって雛形の所属事務所からプロデュースを依頼されていたものの、「彼女はこれからの人だから僕のイメージがあまりついてはいけないと思う」と断り、代わりに浅倉大介を起用させた。
華原朋美のプロデュースを兼ねた交際を「フライデー」1995年6月23日号に掲載された際、小室は同誌の記者を自身のスタジオに招き「アーティストに手をつけたのではなく、自分の恋人に曲を提供し、プロデュースを始めることにしただけです」と語った[8]。そしてすべての活動に至るまで「ツーショットでいく」ことにした結果、華原を大ヒットさせた。
レコーディングスタジオに対しては、トラックダウンからマスタリングにかけた作業段階で、音質について議論・実験を重ね、特に機材・設備・果ては土地の空気・気圧・電圧・温度・湿度・静電気・シールドケーブルに拘りを見せる[注釈 36]。また、短いサイクルでスタジオを世界各地に移転する。小室曰く「ヒットが生まれる場所は年月が経つと全く違う。拠点を固定してしまうと時代・テクノロジーとの矛盾を起こしてしまう為、もしかしたらサーカスの様に明日移すかもしれない」とコメントしている。ただ、全ての作業を自分のスタジオで行うほどの完璧主義ではなく「場所が滞在先のホテルでも機材が置いてあって制作ができれば、そこはもう立派なスタジオ」「5千万円あったら機材を買うより他のスタジオを回って何枚かアルバムを作った方がいい。今はどんなに高級な機材でもリースすれば簡単に届く為に、あのスタジオにはあの機材があるからすごいという訳ではなくなってきている」「ロンドンでは電圧が240Vあり、それだけで音圧の高さ・倍音の気持ち良さ・鍵盤を叩いてからスピーカーが音が出るまでのスピードが日本のスタジオとは段違い。機材面のサポートが充実していて、電話するだけでオックスフォードの機材メーカーからすぐにスタッフが来てくれて、その日の内に対応してくれるので本当に大切な作品はロンドンで録音したい。今までの海外のスタジオで一番良いと感じたのはトレヴァー・ホーンがオーナーを務めるサーム・スタジオ」と話している。自宅でのレコーディングの際の防音対策として、壁に大量の洋服を吊り下げている[143][173][34][179]。1990年代~2000年代は的確にミュージシャン・エンジニアを配置し、正確な指示を与えた上で、複数の楽曲のレコーディングを同時進行でスケジュール通りに終わらせる為に1軒のスタジオに何室もの個人用ルームを用意し、小室・木根・久保こーじ・松尾和博・当時の専属マニピュレーター・ライヴミュージシャンのリハーサル専用のスタジオとしてそれぞれに割り当てて、それぞれが担当するパートに専念させていた[180][24]。小室はその状況を「羽生善治さんのCMと似ています」「globeの曲を作りながら安室さんの『Don't wanna cry』を作っていました」とコメントし、松尾は「付き合いは長いのに、TKと長く話したことがない」と話した[8][181][136][182]。
プロデュースに専念するようになった1990年代から、安室・華原・globeのレコーディングでは7:3~6:4(シンセ:ギター)の割合でギターも演奏するようになった(主にPRS Guitarsのエレクトリックギターとアコースティック・ギター)。理由は鍵盤に対してのサンプリングのテクノロジーが発展していなかったので、歌とギター特有の細かな動作・操作・表現を鍵盤で再現するのが不可能であり[24]、鍵盤は音を跳ねさせるのは難しいけど、ギターはテクニックがなくても音を跳ねさせることができるからであった[183]。ギタリストは「キーボードで鳴らして楽曲の元々のコードに混じると鳴らせないコードでも、ギターがその部分をサポートしてくれる。その他にもイントロで即興演奏で遊んでくれて、種類を持ち変えるだけで全てが変わるから、ライブでは特に必要不可欠」と評している[24]。小室によるギターの演奏を録音したのは篠原涼子の「もっと もっと…」が初めてであり、H Jungle with tの楽曲でもノークレジットながら演奏している[184]。
1997年、「SPEED TK RE-MIX」をマイケル・ジャクソンが気に入ったのが縁でマイケルと知り合い楽曲提供を依頼されていた[8]。当時の小室のロサンゼルスでの活動をバックアップをしていたショービジネス専門の弁護士ジョン・ブランカによる仲介もあったが[185]、制作した楽曲は採用されなかった[186]。小室の見立てでは「『Invincible』に収録されるかもしれなかったが、R&B色の強いあの内容では僕の入る余地はない」と振り返っている。その後デモ音源の3曲の内1曲はMUSEUMの音源として発表したが、2曲は「永遠にマイケルの物だ」「発表することはない」という旨でコンピュータ上のデータとして封印している[187][34]。また、ハンソンのメンバーと意気投合しニューシングルのプロデュース作業も、発売こそされなかったが実制作が行われていた[188]。
小室は1990年代を振り返り「15秒でインパクトを与えなければいけないのでCMのサウンドトラックとして作っていた」[8]「4日に1曲、1年で最大で90曲作っていた」「作詞・作曲・アレンジ含めた1曲を作る作業を最短1時間で済ませていた」[163][125]「『サビ→Aメロ→Bメロ→サビ』+『転調』というマニュアルの様なポップスにおける構成を広めてしまった」[189]「自分の曲を冷静に聞き返す時間が無かった。一つ刺激的な話題があると『もっと欲しい』とニーズとレベルが上がり続けて、飽和状態になった。ピーク感を煽ったのは間違いなく僕だけど、自分が世の中を回しているようで、上手く回されていた気がする」[42]「数々の記録は嬉しくない訳ではないが全く実感がなかった。その内に自分が作っている音楽が自分を超えてしまい、必死に追いかけていた」[34][125]「記録は喜ばしいのにそこで喜ぶと『偉ぶっている』と思われて、人に喜びを伝えられないくらい周囲が信用できなかった。周囲に勝手に持ち上げられて、崇められて、あの絶頂期は二度と味わいたくない」[190]「自分のお金を自分でどの位使っていたかわからなかった」「完全に裸の王様だった」[191]「魚嫌いがクルーザーまで買ったのは尋常ではなかった」[34]「ファンの皆が驚いて喜んでくれそうなアイディアのストックを1980年代にいっぱい貯めていたからこそ1990年代がある。90年代はファンの方々が通になっているとは感じなかった」[161]「功罪については自分で語るのも変だが、功としては当時は数字でしか反応がわからなかったが、後々それがSNSで1対1で全ての声を聞けて、その上で予想を裏切る仕掛けを作れるきっかけになった。罪としては音楽業界は上手く多い宣伝を仕掛けたらビジネスとして成立すると勘違いさせてしまった」[110]「プロデューサーとしての仕事は先方からのオファーから始まっていて、望まれるヒットのサイクルは月1回~週1回・納期・CM枠まで既に決まっていたので僕一人で止められる状況ではなかった。使命感ではなく、責任感・強迫観念で作っていた」[34][89]「僕の主導で行えた企画はTRFとglobeだけ。ヴォーカリストを育てる部分まで関わったのはそれこそkcoしかいない」[89][34]「この頃からオーディションに審査員として関わる様になった。トレーニングでどうにかなる歌唱力より、変えようのない声質・倍音の構成を重視して選んでいた[注釈 37]。それが逆にインパクトのある楽曲を生み出すきっかけになった面がある」[34][74][26][125]と称している。
人間関係
TRFのメンバーとクリスマスパーティを行った際、メンバーひとりひとりに現金一千万円をプレゼントし、YU-KIには更に「誕生日プレゼント・御苦労さん代」と称して一千万円以上もするベンツをプレゼントした。
坂本龍一とは「クリエイティブな少数派に向けた作風」を追求する坂本と「メジャーでスターになるための方法論」を追求する小室、インターネットでのファンに対するアプローチの方針の違い[注釈 38]からして、小室曰く「お互い中和しない関係」と称しつつも、「何をどうするかが絶対に違うけど、無い物ねだりながらもお互いに無い物を求めている」「誤解されるのを承知で言えばホモセクシャルな感覚を持っていて会うと安心できる」と話している[87]。
YOSHIKIのインディーズで自分達のレコード会社を作ることから始めて、その戦略をソニーに持ち込んだことに対して、今まで所属する前から存在するレコード会社・マネジメント事務所内の契約書をどう利用するか考える所から仕事を始めていた小室が驚愕したことから、交流が始まる[192]。業界ではYOSHIKIと小室の関係をよく知る人からは「YOSHIKIの猛獣使い」と呼ばれている[173]。後にピエール中野との対談の際に当時を振り返り、「彼が言うことを聞いたのはhideと僕ぐらいだったんじゃないかな。まあ僕に関していえば、言うことを聞くっていうよりも、意見を聞いてくれるって感じだったけど。僕が出す意見に『いいよね』って耳を傾けてくれるというか。V2のレコーディングでは、『小室君に任せるよ』っていうことが意外とあったので」「今でもすぐに連絡を取り合えて、なんでも遠慮なく言い合える関係」と語っている[137]。
1990年代前半、小室が本格的にエレクトロニック・ダンス・ミュージックの制作を開始した際、以前より顔見知りであった千葉龍平の紹介で松浦勝人と対面。以後、二人は音楽制作での重要なブレーンとなる。しかし、制作・セールス方針、印税の分配等[注釈 39]で松浦・千葉と小室の意見が決裂、1997年に絶縁[22]。その時の状況を松浦は「完全に小室さんをライバル視していた」「目標は『打倒小室』だった」と語っている。その後はエグゼクティブ・プロデューサーとして企画のチェックに関わる事はあっても、マネジメント等の協力・プライベートの交流は皆無に等しかった。しかし、2008年に小室が逮捕された際、その翌年に小室の債務の一部を肩代わりし、今後の制作の為のスタジオ・小室夫妻の為の部屋を用意する。公判の際にも、「何もわからない音楽業界について色々教えてくれて、今のエイベックスを作ってくれた恩師」「類まれなる才能を持つ稀有な音楽家」と話したことに小室が感動し、松浦・千葉と和解する[36][161]。
福島県中島村村長を務めた小室康彦は遠縁にあたる[注釈 40]。
近年ではマルチタレントのリリー・フランキーと仲が良い。2013年にはリリー・フランキーが主催するライブイベント「ザンジバルナイト」にも出演した。
年齢も職業も異なる人たちと異業種交流を行う会である「異能会」を主催し、定期的に行っている[193]。
使用機材
- Roland SH-1000
- 小室が初めて購入したシンセサイザー。買ってから5年以上使い、その間に同機を2台足したが、元々がモノフォニックシンセサイザーだった為、マルチトラック・レコーダーが搭載されていないが故にオーバー・ダビングが行えず、楽曲を構成する和音が作れなかったという[15]。
- Roland TR-808
- Roland TR-909
- 1981年頃より使用。「この2台の凄さは全世界で何億枚のヒットを作ったのかわからない位。自宅で電源をつけてリズム音の上でギター・ピアノを乗せるとデモテープが簡単に作れた。宅録した音源がスタジオで録音した音源よりグルーヴ感が良かった。やっていることはアナログだけど生音のデジタル編集の予兆だった」と振り返っている[194]。
- Roland JUPITER-6
- KORG Polysix
- フレッシュサウンズコンテストのデモテープ用に制作された「1974」には、このKORG Polysixを始め、ドラミュレーター、Roland JUPITER-6、TR-808が使用された。
- Sequential Circuits Prophet-600
- YAMAHA - KX1
- TM NETWORK結成当初、テレビ出演で使用していた。
- Pearl PolySensor
- YAMAHA - DX7
- 「とにかく音がクリアで、自分のタッチが音として耳に届くまでの早さが生まれて初めて一致した」と賞賛している。しかし、シンセサウンドが目立ちすぎてバンドサウンドの音が後ろに遠のいてしまう等生音との相性が悪く、生音と機械音の融合を真剣に考え始めるきっかけになった[195]。
- E-MU Emulator II
- YAMAHA TX-816
- Memory Moog
- Ensoniq VFX
- YAMAHA - EOS
- プロデュース・デザイン作業に積極的に関与し、1990年代中頃までイメージキャラクターとしても活動していた。ライヴではMIDI接続のリモートキーボードとしてのみ使用していた。2013年に前山田健一とコラボをする際、EOS B700を改めて購入。B700のみで楽曲を共同制作。
- Roland JD-800
- Roland JP-8000
- Roland TR-727
- KORG 01/W
- KORG WAVESTATION
- KORG Z1
- 『love again』『TOGETHER NOW』等で使用されている。
- Waldorf THE WAVE
- 完全受注生産だったため、現存する機体は少ない。小室、浅倉大介は発売当初数台リリースされたものをいち早く入手した。
- YAMAHA - VP1
- 主に1990年代前半から中頃に使用していた。
- HAMMOND ORGAN L112
- AKAI S900
- Arp Solina String Ensemble
- Mellotron
- 主に2000年以降のTM NETWORKの活動で使用される。
- STAGEA
- 記録容量の少ないエレクトーンであるということから、ヤマハから紹介された時には難色を示したが「形状がオルガン離れしていて、ステージでも他のキーボードと並べても違和感がない」「音も下手な生の弦の編成じゃ負けてしまう程に重厚で迫力のある音」と賞賛している。「Tribal kicks TV」のメインテーマの作曲にメインで使用され、「globe decade tour」「Tribal Kicks TV Party」でも本機の音色を30個使用した[196]。
- Synclavier 6400
- 「Digitalian is eating breakfast」より使用。篠原涼子との共同作業時までは確実に利用していたのだが、その頃の海外のサウンドは、逆にアナログ音を売りにしていた・電子音でも音圧があり、小室自身が作ってる電子音はチープに感じたことから、「その時代のアナログ音の使い方がしたくなった」と思い、次第に使用しなくなった[197]。
- ハードウェア・シンセサイザー
- Roland
- JUPITER-80
- V-synth GT
- Fantom-G6 / G7 / G8
- Gaia SH-01
- JD-800
- JD-Xi
- JD-XA
- XP-80
- ARIA(TR-8、TB-3、SYSTEM-1)
- YAMAHA
- KORG
- KRONOS X
- KORG Z1
- TRITON Extreme
- Korg KARMA
- ELECTRIBE
- KingKORG
- CASIO
- XW-G1
- XW-P1
- Clavia
- Nord Wave
- Nord Lead 1
- Nord Lead 2
- 「ツマミにLED表示が無いのが逆に良くて、アナログライクな微妙な動きを活かせるから、自分のイメージした世界を自在に作りこめる」と話している[181]。
- Nord Lead 3
- Nord Lead 2x
- Nord Lead 4
- Nord Drum
- Access Virus
- Virus Tl Polar
- Virus Indigo 2 Redback
- Virus KC Keyboard
- Oberheim Electronics
- OB-8
- OB-12
- moog
- Slim Phatty
- Avid
- Xpand
- Dave Smith Instruments
- Poly Evolver Keyboard
- Arturia
- Origin
- MINIBRUTE
- Radikal Technologies
- Spectralis 2
- accelerator
- AKAI
- Akai SynthStation 49
- STUDIO LOGIC
- Sledge
- JoMoX
- XBASE 888
- XBASE 999
- MBase 11
- M.Brane11
- Native Instruments
- MASCHINE
- Roland
- ソフトウェア・シンセサイザー
- ReFX
- Nexus2
- Vengeance Sound
- Multiband Sidechain
- LennarDigital
- Sylenth1
- KV331 AUDIO
- SynthMaster2
- Native Instruments
- Battery 4
- Guitar Rig
- Tone2
- GLADIAIOR2
- Nemesis
- Electra2
- Reveal Sound
- Spire
- MusicLab
- REAL STRAT 3
- REAL GUITAR 4
- Spectrasonics
- Omnisphere
- Trilian
- Steinberg
- HALion 5
- PROMINY
- SC Electric Guitar
- Modartt
- Pianoteq 4
- Waldorf
- PPG Wave 3.V
- Xfer Records
- Serum
- ReFX
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関連企業
- Office TIMEMACHINE(株)
- 1984年TM NETWORKデビュー時に設立されたTMのマネジメント・コーディネート業務専門の芸能プロダクション。別名「TIMEMACHINE CAFE」・「TIMEMACHINE CORPORATION」・「TIMEMACHINE GROUP」・「Timemachine」。一時期、葛城哲哉・阿部薫・浅倉大介・貴水博之も所属しており、「TMN終了」以降も1995年までのaccessのマネージメント、1998年まで宇都宮のマネジメントを行っていた。
- T-MUE-NEEDS(株)
- TM NETWORKのグッズ・イベント等の企画・運営会社。「TMN終了」時に解散。
- グラデミー(株)
- 小室が1991年に設立し、代表取締役社長に就任した映画製作会社(宇都宮、木根も取締役に就任、角川春樹と三菱商事もバックアップとして参加していた)。社名の由来は、「グラミー」と「アカデミー」を掛け合わせた造語とも[7]、英語で「引力」と表す「gravitation」と英語で「純粋・学術的」と表す「academic」を掛け合わせた造語とも[202]いわれる。木根尚登著「月はピアノに誘われて」の映画化、TM NETWORKの楽曲「THE POINT OF LOVERS' NIGHT」をモチーフにした映画製作(小室、原案・脚本、木根)[138]、「チーム・グラデミー」名義でのF1参加[202]の企画が持ち上がったものの、それ以降公式のアナウンスが無いまま自然消滅した(F1参加は実現した)。
- TK TRACKS(有)
- 小室の個人レーベル運営及びイベント制作のために設立された会社。現在では小室とは離れた事業会社としての性格も持つ。
- TK PROMOTION(有)
- TK TRACKSの子会社。小室と直接の関係はない。
- TK state(有)
- TK MUSEUM
- TK state America MUSEUM
- TK SEQUENCE
- TK SEQUENCE America
- TK ENTERTAINMENT SERVE
- Prime Direction TK Room
- tetsuya komuro rise
- 1994年から2000年まで運営されていた小室の個人事務所。「TK MUSEUM」はイベント限定で音楽ユニットとしても活動していた(このノウハウは後のTKCOMに活かされる)。
- 小室と丸山茂雄とニューズ・コーポレーションが共同で設立したアジアマーケットをターゲットとした事業会社。「SPEED TK RE-MIX」のスーパーバイザー・中国で放送されたオーディション番組「TK NEWS -小室魔力-」の番組監修を務め、JスカイB(現スカパー!)の小室のタイアップによる音楽専門番組「Sky Music」で小室プロデュース楽曲とPVを流す予定もあった[203][204]。後に本社を母体としてRojam Entertainmentに発展する形で解散・吸収合併した。
- Rojam Entertainment(株)
- Rojam USA
- Rojam Pictures,inc.
- ROJAM DISCO
- ROJAM Studios
- 香港を拠点とした本格的なアジア進出を目的とした総合音楽プロダクション。小室は2004年5月に全持株を売り実質上経営から撤退するも、プロデューサー契約として残っており(専属ではない)、小室の個人スタジオを運営・管理する等関係は2008年まで続いていた。
- Tribal Kicks(株)
- Tribal Kicks Studios
- サッカー関連のマーケティング、制作などを行うための会社として設立、後に実質的な小室・木根(一時期のみ)の個人事務所となる。TKCOMの発足に伴い、休眠。
- High Definition Sound laboratory(株)
- TKCOM(株)
- TKCOM Studios
- a nine(株)
個人スタジオの変遷
※太字は2011年現在使用しているスタジオである。
- tetsuya komuro SEQUENCE 1101〜5→True Kiss Disc Studios 1101〜5
- TK Disc Studios(ホノルル(現在のIsland Sound Studios)・東京・バリ島を拠点にしていた)
- TK's Malibu Studios(カリフォルニア州・マリブを拠点にしていた)
- ROJAM Studios
- Tribal Kicks Studios
- TKCOM Studios
- avex azabu 501studio
評価
関係者の評価
「譜割りが細かく早口言葉の連続だから、ただ歌うのではなくパーカッションを叩くつもりで臨んでいる」[85]「彼の作る楽曲はいつも、まずは舌が回るか・回らないかの問題から始まる」[185](宇都宮隆)
「作り方は僕と真逆で、起承転結がなくて、大雑把で、各パートは飽くまでも部品としてみている」「全体で聴くとカチッとしているけど、1本1本裸にしたら心配になる音程がある。だけど、どんどん別トラック・裏メロディを重ねていって雰囲気で押し通したときには、もうどうでも良くなってしまう」[205]「注文は多いけど、ないときは良くも悪くも任せる人」[206]「小室は確かに古いものを捨てるときは冷酷です。古い彼女を新しい女性に乗り換えて、その度に新しい音楽を創り出してきたと言ってもいいかもしれない。けれどそうやって常に旬であるからこそ大衆が喜ぶ音楽が創れるんです。『そろそろ丸くなれよ』とか『大人になろうよ』という言葉はあの人には意味がない。走り続けるしかないんです」[207](木根尚登)
「デモテープで聴くと『これはどこがAメロなの?これはどのパートなの?』と混乱する衝撃的な内容のものが多い」「生み出してくる音楽は凄く挑戦的。多分、哲ちゃんはトラッキングを創るのが好きだと思うんですけど、リズムとキメのシンセリフが最初に入っていて、普通は最初に入れるベースを一番最後に入れたりするんです。だからトラックを創るのが本当に好きで、メロディは最後なんですよ。でも美味しいメロディがいっぱい入っている」[208](小室みつ子)
「アーティストの割には芸術家めいた依怙地なところは無く、職人的に『好きな事、気持ちのいい事』ならば何でもやってみようというタイプだった」「単調なノリだけのリズム優先のメロディは、普通のシンガーソングライターだったら嫌気がさすが、それをこよなく愛した二人が松浦勝人と小室哲哉。長期に亘って量産できるシステムを維持できるのはこの二人だけだった」「彼の書く歌詞に共通しているのは、『健気な女の子が、自立した愛を目標としてひたむきに、けれど悲しい日常を生きている姿』である。そこで歌われているヒロイン像が正に20~25歳の女性の理想とも言える条件を満たしていた」「彼の弱点はアーティストの作品世界を全て自分で作っていることだろう。これでは体裁上、『歌手達は人形』と見なされても仕方が無い」[23]「戦後の歌謡曲、J-POPに至るまで音楽業界の誰もが信じていることは天才は二人しかいなかった。1970年代の筒美京平と1990年代の小室哲哉。二人に共通することは自分の音楽性よりも、『今人々が何を求めているのか』を優先し、それを秒単位で提出できるメロディメーカーだった」「高音・高速・高密度と三拍子揃っている。高い声で、速いスピードで、メロディーの中に16分音符がいっぱいある感じの歌ですね。当時カラオケで誰が一番歌がうまいかを競っていた女の子たちに対してハードルの高い曲を少しずつ出していった。マーケティングの一環で出る雑誌を全部読んで、女の子が今何を考えて、どんなことをしているか常にチェックしていた」[37](麻生香太郎)
「一時期『小室より小室っぽい音楽を作る』と言われたほど、彼の真似をしてきましたから。でも、そのおかげで久保こーじとしての独自性を出せるようになったと思っています」[209](久保こーじ)
「欧米のレコード会社は元々の社員が少なく、フリーランスのプロデューサーに全てを任せる。フリーのプロデューサーが全責任を持って仕事をし、その代わり報酬も多く出すという会社を小さい規模ながらも3つ作ったけど、これは小室君から触発された面があるんです。今後は小室君の様な人が中心になって、日本のレコード産業を変えていくのかもしれませんね」[150]「芸能界には世事に疎い人が沢山いるけど、彼は疎いどころか何でも良くわかっている。全ての判断を自分で出来るのでジャッジを下した後の整備をするのが僕の役目。彼は音楽の才能もピカ一だけど、ビジネスの感覚も非常に優れている」[28]「君は勘で動いている人だね」[210](丸山茂雄)
「ステージ上で小室さんが出す音って、はっきり言ってわからない。あの人はけっこう行き当たりばったりで、毎回同じに弾いてくれないから。だからその時によってEOS・DX7II・TX816を即興的に使い分ける部分が多い。例えばシーケンス系のベーシックな音以外は手弾きに任せているが、フットボリュームでサウンドのバランスがとれるようになっているので小室さんの所からなんでもできるようになっている」「音楽的にも『てっちゃん節』みたいな独特のスタイルがあるし、キーボーディストとしても指使いに独特の弾き方があるので僕なんかはそれらをみんな真似できるようになりました」「コンピューターと血が通った部分を一番巧く融合させたバンドがTM NETWORKだと思っています。その中で小室さんのグループをリードしていく力は、ずば抜けていると言うことになるんでしょうね」[211]「小室さんがブルドーザーの様に開拓者として切り開いてくれた道を、色んな形で整備して広げていくのが僕のプロデューサーとしての仕事」[63]「世界中のダンスミュージックシーンの最先端を常に意識していて、そのブレイクビーツ・音色の内のほんの一つのチョイスを絶妙なポイントで取り入れるから、常に新しいものに聴こえる」[185](浅倉大介)
「ひとつの素材を見てスターに育てていく嗅覚と計画性にいつも脱帽しています」[212](日向大介)
「小室さんの曲はテンポが速いし、独特だし、付けにくい。小室さんは本業の作詞家が使わないような言葉を平気で使う。ただ、その言葉の使い方に素人ならではの良さがあることをまずTMのメンバーが評価してくれている」[213](坂元裕二)
「小室さんはリズム感覚でいって、最後にメロディの良さを置いている。それがすごくオシャレだなと思う」[192]「お互い企画先行の戦略家だけど、僕は無謀でノリと勢いで進める方で、小室君はかなり計算し尽されている。細かい案や権利関係にも対応できるアイディアがあることに驚く」[214](YOSHIKI)
「『その用途には、その機材でなければいけない』というのがないのが凄い。メインの機材が止まったら別の機材で弾けばいいと言うんです。アクシデントに慣れていて、ハートが強いのが小室さんの凄い所だと思っています」[142][129](岩佐俊秀)
「普遍的に元の音源の使い方が上手で、FM音源も彼の手にかかると幅が広がる」[185](志村明)
「僕らの年代になると、アーティストはプロデューサーに回るんですよ。でも相変わらず小室さんと教授は鍵盤弾いて、作曲して、打ち込んで、徹夜して、ばんばん作るわけ。2人の共通点は物作りに対して真面目で、いい意味で『わがまま』じゃないですか。わがままで『こうしたいんだ』と突然言ったりする。全て自分に返ってきても必死になって自分で間に合わせて作ったり、遅くまで演奏したり、そういう姿はすごく尊敬するし、勉強になった。現役とはこういうことだと思った」[215](原田大三郎)
「とにかく若い女の子のファッションから化粧品まで良く知っているんです」「CMのプロデューサーやTVのディレクターの望む通りに作りながら、そこにきっちり自分のしたいことを全部入れている。これはすごいなと…」[150]「何故売れるのか、何故ウケるのか、何故マーケットに定着したのかと言えば、これは本人も言ってることですが、マーケットを意識した作品作りをしているということが最大の原因だと思います。自分のオリジナリティを入れながらも、マーケットが何を求めているのかを敏感に察知して作っていく。例えばカラオケに行っても、皆で盛り上がる曲が中々ない。だったら皆で盛り上がる曲を作ればウケるんじゃないかという様に。ある意味『洗脳』と呼べるかもしれませんが、小室ブランドが定着すれば、後は彼が何をしようと肯定的に受け入れられる。実際彼はダンスミュージックから始まったわけですが、ロック的なテイストでも小室ブランドとして受け入れられる様になった」[28](松浦勝人)
「すぐ耳に入ってくるけど、高い声が出るか出ないかで難しさが違ってくる」[216]「小室さんの作る曲はいつもキーが高いんですよ。1枚目の時もテレビの収録終わった後で、スタジオの隅にシンセ持ってきて『アー』とか歌わされて、音域どこまで出るか調べたんですね。『なるほどね』と言って、そのまま帰っていった。その後出来てくる歌が、みんなオレの出せる音程の『ギリギリ』なんですよ。歌っていて苦しい」[217](浜田雅功)
「何も決まってない所から何かができてしまう」「どこで辛そうにするか、どこで楽しく思うか、どこで涙するか等の感情表現がわかっている」「楽曲だけではなく、そのアーティスト毎に合った環境を作ることが出来るプロデューサー」[218](マーク・パンサー)
「自分が歌いたくてしょうがなくなる程の曲を仕上げてくれる」[219]「歌詞に関してはインタビューみたいに、小室さんが色々質問するんですよ。それを通して私の気持ちをわかってくれる理解者ですね。それらを小室さんなりにアレンジして作品を作ってくれる。自分ではうまくいえなかったりしたことや、こうなればいいなっていう理想を歌にしてくれるんですよ」[220](安室奈美恵)
「TKと僕だけなんだよ、北京のコンサートがソールドアウトになった海外のアーティストは」[221]「インターナショナルと言われる音楽家には自分のルーツを忘れている人が多いが、小室は自分のルーツを大事にし、さらに世界のスタンダードになりうる音楽を作っている」[222]「僕ら二人の共通点として、楽曲に実験的要素を盛り込むと同時に、ポピュラーミュージックのメロディの構造がどんなものかもわかろうとするし、両方を尊重する所」[223]「コムロは現在の日本を代表するミュージシャンで、エモーションに現代性を、メロディーにアバンギャルドを見事に調和させている」[224](ジャン・ミッシェル・ジャール)
「ダンス・ビート等のアプローチに惑わされやすいけど、本当は生アコギ1本で弾いても楽しめるくらい、すごく人間的で感情的なメロディ」[225](甲斐よしひろ)
「非常に引き出しの多い人。『ブルース・スプリングスティーンみたいの弾いてよ』というとすぐ弾くし、『トーキング・ヘッズみたいなの』ていうとすぐそんな曲を作る」[5](白竜)
同業者の評価
「どういうミキシングにしたいのか、どこをどういう風に変えたいのかという事が明確に指示できるアーティストだった」[4](スティーヴ・ナイ)
「彼の曲は洋楽のようにリフ的な部分やフック的な部分が他の人よりも明確にあるんです。しかも日本語がちゃんと乗るんですよね。フックの部分が英語だったりすると格好悪くなったりするんですが、ちゃんと買う方達が口ずさみ、覚えることのできるフックなんですよね、彼の場合」[4](清水信之)
「小室さんの影響で邦楽の低音域を拡張されたことによって日本向けだからと遠慮する必要がなくなった[138]。やっと日本も歌謡曲的ミックスから脱却した[126]」[注釈 41][126](GOH HOTODA)
「YMOや小室哲哉さんがいなかったらシンセサイザーは今でも高級機材だった。彼らがシンセサイザーをポピュラーな存在にしたわけだし。彼らが出てこなかったらシンセサイザーの機能自体も今ほどクオリティが高くはならなかった」[226](石野卓球)
「小室君は日本人の耳・メロディライン・転調・アレンジ・リズム感・ビート感を教育しちゃった。だから『それに引っ掛かるようなパターンを出すと、必ず売れる』というヒット曲の方程式を確立した」[注釈 42][227][228]「小室君はYMOがテクノロジーを実験してそこで得た機材・音色等の財産を利用しながらわかりやすいメロディを窓口にして大衆とコミュニケートしている。小学生・中学生・高校生が求める気持ち良い歌詞・メロディを作り上げるのが物凄く上手いけど、リスナー層が15歳位になって、そこが音楽産業のコアになってしまう」[注釈 43][87]「小室さんを批評する人は『パターンだけで作っている人』と言う。そういう面もあるんだけど、一見当たり前のコード進行を持ってきても必ず小室さんの楽曲になっている。しかも単に小室さんの個性が出ているのではなくて、誰が聞いても本当に入ってしまう。それは知恵・技術だけではなくて、才能なんです。そういう才能は僕にはないですよ」[229]「100万枚売ってほしいと依頼されたらちゃんとその通りの曲を書く所がすごい。これは常人には真似できない」[230](坂本龍一)
「小室さんは基本的にリズムの人だと思うな。僕は日本では駄目だと思ったけど、日本にジャングルを持ち込んで大ヒットさせたじゃない?普通あの曲はあのリズムにしない。サウンドだけでなく、サラリーマン等の気持ちを含めて、トータルで考えているね」[231](ケラリーノ・サンドロヴィッチ)
「替え歌の企画には快諾させて頂きました。『パロディも文化だ』と認識している」「反復性があるから何度耳にしても自然」[209](嘉門達夫)
「『今一番売れるのはこれだ』と言う様に分析して、模範的な楽曲を作っている」[209](宮川泰)
「『何をやったらウケるか』じゃなくて、『何をやったらウケないか』を誰よりも知っている」[209]「音楽的な見地から言っても、ユーミンやドリカム、ミスチル、スピッツらはコード進行の点では面白いものがある。それが小室さんの場合は少し異質で、曲がなくて、リズムだから希薄で妙な感じがします。センスが良いから音楽的に低級とは言えませんが、ハーモニーやメロディに依存していないので、ドラマ性がない。またサザンの様に、音楽的歴史を感じさせるものもない。安室だって、沖縄や黒人音楽のルーツを引きずっていない。だから『何か訴えたいという熱っぽさがない』と非難されるのでは」「小室サウンドはジャンクフード。そのココロは、ポテトチップスやコーラは何万個売れようが不思議はないですが、栄養はないし、採り過ぎは体に悪い。いくら青少年に売れても、ビートルズの様に後世の若者を刺激することもないし、文化としても残らない。小室さんは音楽をやっているというより、薬の調合をしているという感じ。芸術家というよりも興行師。興行は否定しませんが、その後の荒野が怖い」「小室さんの活躍はまだ2,3年。これから何か大失敗して今まで足りなかったものを取り入れた時、漫画で言えば手塚治虫の様に、後継者を育て、外国にも認められる『偉大な音楽家』となりうる可能性があるのではないでしょうか」[232]「『どんな客層が買うのか、需要がどれだけあるのか』が完全に計算された音楽。彼は芸術家というより企業家のような発想で成功しているが、楽曲の構成がパターン化していて、才能的にもすごいと思う所はない」[233](吉松隆)
「小室さんの影響力が強すぎたから、みんなが画一的な路線を狙ったんだと思う。『音楽に対する意識がマインドコントロールみたいでつまらない』と今の邦楽に興味を感じなくなった」「シンコペーションを多様し過ぎている気がします。歌い手がダンス系の楽曲を歌っていても、詩を追っているのではなく、呪文の様に字面を追っているだけの気がする。ファンは『意味はわからないけどそれを歌っていれば楽しい』とストレス発散の道具にしてしまった」「安室奈美恵ちゃんのだけは小室さんの作品と言うよりは、一生懸命自分の歌にしようとしている感じがして好きだった」[234](槇原敬之)
「音楽を聴きたいと思っている若者へ、最短距離で届ける才覚とセンスの持ち主です。しかし、記憶には残らないと思います。これは小室さんだけの問題ではなくて、聴く側も歌い手の何かを与えてくれるような訴えに期待していないという問題がある」[235](阿久悠)
「小室さんの中でもジャングルは素晴らしいんですよ。でも正直な所、よくあんなに次から次へと曲作るなと思いますね。すごいですね。作ろうと思ってもできないですもんね、常人では」[217](奥田民生)
「TMとしての小室さんの方が肩の力を抜いていて、プロデュースしている女の子達といるより、顔の感じが優しい」「1曲1曲に対する集中力・速さ・愛情が薄い」[236](石井竜也)
「あれだけいい音楽を作っていたのに。信じられない。人をだます気持ちがあれば、一般大衆に向けた曲など作れないはずだから」[237]「小室さんのテクノには独特な世界があり、息もつかせぬそのテンポ感がすごい。日本が生んだ才人です」[238][239]「すごいスピード感と生命力、それに哀愁もある」[注釈 44](冨田勲)
「彼は斬新な作曲方法で一世を風靡しました。それは、過去に自分の作った曲を継ぎ接ぎにして、あっと驚くようなコード進行やサウンドを創り出すことでした。自分の曲に対するプライドが薄いなあ、と感じられますね」[240](玉木宏樹)
「昔は入って行けなかった領域にも、コンピューターを使ってどんどん入って作っていく。本当に奥行きが深い」[241](森進一)
「コードの解釈がすごく独特なのに、明るい響きであり、踊りながら歌うのにピッタリ」[242]「彼は天才だと思います。多くのプロデューサーは曲を磨いてより良い楽曲にするけど、自分の持ち味を必ず入れて聴いた時にプロデューサーが誰かわかる楽曲を作れるのはとてもすごい事」[243](マーティ・フリードマン)
「Music Master of Japan!」[244](アフロジャック)
「女性目線の歌詞の距離感がすごく好きで、自分もそういうふうに書きたいなっていう意識はあります」「小室さんは打ち込み屋だから対旋律が好きで、例えばストリングスのメロディがたぶん好きなんだと思うんですよ。俺らの世代が聴いてきた音楽って、ストリングスやギターのメロディに秀逸なものが多かった。小室さんはそれを主旋律に持ってくることで新しい音楽を作ったんだよね」[245](中村正人)
「小室さんの転調は楽曲の世界観を何回も変え、ボーカリストのおいしい潜在能力(主にハイトーンボイス)を常に120%キープして使い切ると言う手法です。それを90年代に沢山の楽曲にふりかけて以降も重宝されるテクニックとなりました」[246](亀田誠治)
「小坂洋二さんに誘われて、小室さんとはどちらが渡辺美里さんのシングルのA面になるかを競い合いました。大抵僕が負けていましたが、それが大きな刺激になりました」「歌詞には正直びっくりしました。自分の言いたいことではなく、まるで誰かが憑依した様に書かれるじゃないですか。ダンスミュージックってグルーヴがあるから普通は英語を入れたくなるけど、英語に逃げずサビで日本語を物凄く入れてくる。だから切ないもの、取り戻せないもの、失われていくものに対する言い知れぬ郷愁、その先のメッセージが強く伝わる」「小室さんの凄さは『売る』ことに拘った所なんです。良質な曲をCD全盛期に一番売った。他の人が『自分らしさ』を第一に音楽活動をしていた頃に、小室さんは社会の声、特に若者の心に寄り添った上でメッセージを発信して売る。しかも元々マニアックなクラブミュージックを小室さんが『こうすれば日本人にも馴染みやすい』と咀嚼して広めるのがとても上手な音楽カルチャーの紹介者でもありました。そんなアーティストはあまり他には思い浮かばないです」[40](岡村靖幸)
事業家の評価
「小室さんの凄さは納期を守ることですよ」[30]「CDといえども市場が本当に成熟しているのは、約10日間と言われています。小室は市場が成熟した頂点で商品を流通させている所が流石です」[7](石坂敬一)
「古典的なアーティストは、自分の作りたい作品を作る。そしてそれを誰かに歌わせる。ところが貴方の場合は、一般の人達がどういう作品を好むのかを先によく調べ、作品にぴったりの条件を持ったアーティストを徹底的に探す。今までそれだけのことを考えて実行に移したプロデューサーはいない。だから、僕は貴方の事をこの経営塾のフォーラムで経営の教科書だと言ったんです」[15](野田一夫)
「これまで日本のポップスシーンにはダンスミュージックというジャンルが欠落していました。そうした隙間に、小室さんはユーロビートのダンスミュージックを日本の若者が好む様に味付けして持ち込んだ。これがウケたのです。またこれまでのプロデューサーの多くが、『まずタレントがいて、そのタレントの為にどういう曲を作ろうか』という発想でした。しかし、小室さんはその逆。『曲が先に合って、これを旬である誰に歌わせるのか』という手法をとった。その詩や曲は孤独感を嫌うヤングの心性に巧みに入り込んだものです。『群衆の中の孤独な自分探し』といったテーマの詩や曲が若者の心をしっかりと捉えたのです」[15](小池聰行)
「若者を引き付ける力を持っていて、ビジネス感覚のある人だと思いました。夜型人間でアルコールの方もそこそこ強い方でしたね」[15](折口雅博)
「彼は内田樹の言葉を借りるなら、誰よりも『人を見る目』があった。タレントの『その人がこれからするかもしれない仕事』について、誰よりも高い見識で見通すことができ、しかもそれをビジネスに結びつけることができたのである」[247](岩崎夏海)
他職種の評価
「CMの仕事で全くロックに適さない曲を外部からもらった。他のメンバーが投げ出す中、小室君は一人スタジオにこもって試行錯誤し、上手くアレンジしてしまった。当時ミュージシャンにアレンジを任せるのは稀だったけど、僕は彼を信じました。他のメンバーと曲作りの意識が違っていて、彼だけがプロの曲作りをしていたんです」[30](今野敏)
「アイドル幻想を絶滅させたのが作詞家の秋元康なら、作詞家幻想を絶滅させたのはプロデューサー小室哲哉ですね。小室哲哉は作詞家の敵なんです。職業作詞家が職人芸を競い合っていた1980年代が終わると、『歌い手が自分で詩を書けば下手でもOK』というシンガーソングライターの全盛時代がきました。そして雑草の生い茂る音楽畑に今度は小室哲哉が踏み込んできて、『売れっ子プロデューサーが書けば詩は二の次でOK』という最悪の風潮が出来たんです。小室哲哉の詩は表現の完成度の面では明らかに稚拙の部類に入ると思います。ただ狙いがはっきりしているから、『敢えてやってる』と言われれば『そうかもしれない』と思うしかない。かつて『作曲家・小室哲哉』と共に名作を作っていた一流作詞家が今、『作詞家・小室哲哉』について何も言わないのは『詩がこのレベルでも歌は売れる』という事実を認めるのが辛いからでしょう。もし小室哲哉プロデュースの曲に別の作詞家が詩を付けたら、売れなくなる可能性も十分あるでしょう。歌はメロディと言葉が寄り添ってスパークするような聴かせ所が一つあれば成立するんです。その点は流石作曲畑のプロデューサーで手堅いですよね。後、小室哲哉作品には『戦おう』といった闇雲なアジテーションが多いんですが『歌手本人がそんな詩を書いたらダサいけど、プロデューサーが書いたんだからまあいっか』となる。結局、小室哲哉は渡辺美里の『My Revolution』の現代版を延々と作っているんだと思いますよ」[248](枡野浩一)
「聴かせ所というものをきっちり考えた曲作りをしてますね。まず、音楽的な情報を詰め込み過ぎてないのが巧い。繰り返しを増やし、複雑な和音やメロディといった凝った部分を適度に抑えています。情報が多すぎる曲は聴いていると緊張してしまうんですよ。シンプルすぎて次第に物足りなくなってくる頃に良いサビを持ってくるから効くんです。そして再び情報の少ないAメロに戻る。そうするとまたサビが聴きたくなるというわけです。つまり週末にしか会えない彼氏みたいなものです。サビには飛び上がっていくメロディをこれでもかと連発してるでしょう。上がる音というのは気分が高揚するんですよ。そしてTKの曲はほとんどが『応援歌』でしょう。こういう歌詞にはそういう音とメロディを伴ったサビが適しているわけです」[248](渡辺健一)
「彼はめったに個人の内面や心理を歌わない。そういう風なことを歌っているように見えても、彼の歌は常に人と人の交差する場面そのものを描写している。他人同士の出会いや、すれ違い、その交差するイメージを歌っている」「小室の音楽では、背後の旋律と曲の全体の流れと歌詞のレベルは始めから意図的に別々なものとして作られている。ここで発揮されるのが『バランス感覚』だ。それら三層は全くの偶然のチャンスの中で結びつけられ、絶妙のバランスとして『編集(プロデュース)』される。こういう曲作りは単なる小手先の技術として成立しているのではない。というのも彼の曲作りが、彼の異分野をまたぐ彼の生き方の『バランス感覚』の応用として作られているところがあるからだ。その繊細なバランス感覚に、ふと不思議なリアリティー・心地よさを感知する時がある。その時が、彼の音楽への生理的な拒否感が和らぐ時だ」[249](村瀬学)
「昔はスポンサーの為のタイアップとかを『それをやらないのが格好いい』という感じで嫌がったんですよね。でも、お金をもらって仕事をしているんだし、CMのタイアップに見合うものという上でヒット曲をジャンジャン出しているのが好き」「普通はファンのためと言うのに『ファン以外の人に売ってどんどん広げていきたい』という発想・クリエイターとしても、ビジネスマンとしても、バンドマンとしても一つひとつ責任を持って仕事をやっていく姿勢・形を完成させて売ってから、やりたいことを喋るというやり方が全部説得力があって凄い」「詩は10代の気持ちがすごく入っていますね。大人が興味深く書いた詩でもないし、女の子が自分で書いた詩でもない。大人の目なんだけど、手を差し伸べる様な感じでした。どうやったらそういう感覚をキープできるのかが未だに疑問ですね」[注釈 45][250]「小室さんの曲はイントロを聞いただけでわかる曲が多く、サウンドが映像を引っ張っていく感じがしますね」[251](秋本治)
「小室さんの曲を聞いていると絵が浮かびます。ひとりぼっちの女の子が何とか胸を張ってかっこよく生きようと思いながら歩く。その孤独さには悲壮感だけじゃないたくましさがある」[252](柴門ふみ)
「小室さんの手がけた人って、親近感のある人・フラットな歌い方をする人が多いですよね」[125](マツコ・デラックス)
評論家の評価
「取材する中で一番驚いたのは、『TMN 4001 DAYS GROOVE』の打ち上げが終わった直後、すぐに篠原涼子のレコーディング作業を行う切り替えの早さだった」[30]「支持されている理由は二つあります。一つ目は人を驚かせることの喜びを知っていること。紅白に108人のダンサーを集めたり、次々と作品をリリースするスピード感のある展開等、ありとあらゆる手を使って聴き手を驚かせようとするサービス精神が徹底してるんですよ。二つ目はルックスからは想像できませんが、成功するまでの『負け』をちゃんと経験として知っている。だから浜ちゃんの歌う『憂鬱』や華原が歌う『夢』の様な根源的な人間の感情のツボをきちっと押さえているんですよ」[248](神山典士)
「トークは、単なる訥弁を味・含蓄としてしまう間違いもあるわけだが、それすら起こりようもないほどストレートなトーク下手(ミュージシャンだから喋れなくてもいいのであるが)。一転「歌」の話題になると途端に雄弁になる。語り倒していると思うほど語りが過剰である。次々とヒットしているT.KOMUROの曲の多くは、いとも簡単に懇切丁寧に人生や生き方を啓蒙しているのである。酔った親父の説教のように、1から10まで言って聞かせるというような押しの強さであり、聴く側の解釈の自由を許さない」[253](ナンシー関)
「彼には『自分が手がければ誰でも売れる』という驕りはないんです。自分のやり方に一番適していて、しかもコギャル受けしそうなキャラクターという点でシビアに選んでいるんだと思うんですよ」[248](北川昌弘)
「サウンドをコピーしてきて、ビートも掠め取って、でもって研修教材みたいな説教臭い歌詞を乗っけて、モデル紛いに歌わせてタイアップして、タイアップして…ってこのやり口はまるで電通じゃないか。コムロの場合、根がデジタルなだけに更に性質が悪いのである。デジタルは無制限にコピー可能でちょっといじっただけで永遠に再生産可能な究極のパクリ音源だからだ」[254](小田嶋隆)
「小室ファミリーの登場で日本の音楽界が活気付いたと言われていますが、それは疑問です。アーティストより、プロデューサーが脚光を浴びる今の時代というのは、音楽にとっても不幸な時代」[255]「やたらリズムがうるさくて、歌の音域が高く、繰り返しの多い曲」「歌い手の素質に関係なく、マーケティングと広告戦略でバーチャルなスーパースターを作り上げてしまうプロデューサー」[256]「高音を強調した金切り声に近いハイトーンヴォイスが、小室哲哉が作り出すダンスビートに上手くはまっていました。だからこそ、あれだけ大きな支持を得たのでしょう」[257](富澤一誠)
「小室哲哉の音楽を一言で言うなら、ずばり『新宿のディスコ』。彼の作品全ての名義を『小室哲哉』名義にしてしまえばすごくわかりやすいと思う。ディスコやハウスってすごく匿名性が強い音楽。プロデューサー名義で作っても自分がボーカルのものって無いじゃない。彼の場合はそれを踏襲したんじゃなくて、独特にそうなってしまったんだ。表現方法として他人の肉体を使いたいんじゃないかな。ディスコはアーティストのネームバリューじゃなくサウンドで勝負するすごくシビアな場所。彼の曲を買う人もディスコのダンスフロアで踊る感覚で声よりも音で選んでお金を出している。ブランドではなく、クオリティで選ばれているわけだから、その品質を維持して供給を続けていくのは相当の才能がないと出来ないことだよね。彼の曲の量産は何よりの才能の証だと思う。量産することによって習慣性を作り、音楽をドラッグにしてしまった。だからリスナーは次から次へと彼の新しい音が欲しくなってしまう」「個人的な経験を普遍的な言葉に抽象化してしまう彼の言語感覚には驚かされるよね。ディスコの構造の中に自分の魂の叫びを盛り込んでいる。彼の詩が若者の心に沁みるのは、星占い位に誰もが思い当たるような普遍的な表現で、しかも孤独感に満ち溢れているからだと思う。彼の現在を知りたければインタビューするよりも新曲の歌詞を読めばいいんだよね」[248]「皆が飽きてしまう前に常に次が出てくる。連載漫画に近い」「音楽プロデューサーというより、映画プロデューサー・映画監督に近い。映画は明らかに演じている人より、作っている人のもの。それと同じで、その音楽が誰のものと言う時、フロントより、仕掛けた人の持ち物になっている気がする。人目につく場所に誰を立たせたらいいのか、今面白いのは何か、本能的に捕まえてくる能力が彼にはある。その都度フロントに立つ人を取り替える事で、彼はずっと残っていける」[258]「小室哲哉の言葉はそれが誰の口から発せられようとも小室哲哉の言葉にしかならない。すべからくシンガーはプロデューサーの代弁者にならざるを得ないのがTKの歌なのだ」「音楽におけるプロデューサーという概念を一般層に浸透させた」[163]「『無声音を多用して1音節内に詰め込む情報量を増やす』という技は伝統的歌謡曲には決してみられない、J-POPならではの表現手法である。その手法を一般化したのは間違いなく小室哲哉だ」[259](近田春夫)
「小室哲哉の作る歌詞には、日本語と英語が分け難く交じり合っていて、歌詞の意味をわかってもらいたいというより、曰く言い難いカッコいい感じだけはわかってくれ、そこにつかまってくれればいいという所がありますね」[258](島森路子)
「『歌いやすい』『覚えやすい』『インパクトがある』『ノリがいい』カラオケボックスで若者の声を拾うとだいたいこんな答えが返ってくる。カラオケブームによって若者達は否応なくヒット曲を覚えなければいけないため、CDの売上が飛躍的に伸びた時『音楽とはわかりやすいものでなければならない』という彼の考え方がカラオケファンにぴったりフィットしているのだ。ポピュラリティの獲得というミュージシャンの手腕と、先を読む視点と分析・正確なマーケティングリサーチ・一極集中の宣伝効果というプロデューサーの手腕が現在の成功を導いたと言えるだろう」[101](猪野健治)
「小室はダンスミュージックといっても、『寂しい、せつない』という情緒の部分を押さえているからそれが売れる要因になっているんだなと思う」[260](松沢呉一)
「1990年代半ば以降の『VS』となる片側の極は同じくTK」「もはやTKは功罪云々を抜きにして、日本の音楽・シーン・産業にほぼ完全に浸透してしまった『不可分な前提』と考えないと何も始まらない」[17]「J-POP的な音楽史には『オールインワン的なプロデューサー』というのがいるんですよね。つまり作詞・作曲・編曲・録音まで全ての面倒を見られるプロデューサーのことを僕は『オールインワン』って呼んでいるんだけど、その流れをはっきりと切り開いたのは、小室哲哉ですよね。そしてそれをつんく♂さんがちょっと特殊な形で引き継いだ」「中田ヤスタカ以前にいた人として、やっぱり小室哲哉の存在って大きいと思うんですよね。小室哲哉は1990年代にプロデューサーとして急激に浮上したわけだけど、基本的には彼のやっていたことってすごく日本的な輸入業者だった。つまり海外でイケイケのハイテクノロジー的な音が流行ると、それを日本に持ってくる。特に初期はジャングルの流行を持ち込んだりもしたわけだし、海外のダンスミュージックやクラブミュージックの最先端のベタな流行にすごく敏感な人だった。それを日本の土俵の中でやっちゃうのが小室さんの面白みでもあり、1990年代的な限界でもあったわけで」[261]「小室は明らかにストック・エイトキン・ウォーターマンの方法論を踏まえながらも、ただジャンルをベースにするだけではなくジャンルの形式性をしかと押さえた上で、尚且つ日本のコンテクストに合わせて日本のポップスとして加工変形を行う、ということを彼なりに真摯に実行している、と思います」[262](佐々木敦)
「『アーティストが自分のやりたいことをやるには自分でその環境を作っていかなければいけない』という当たり前ながらも大きな試練をアンダーグラウンドな活動・歌謡曲の提供を両立させたYMOを先例として、多くの歌手たちに良質な楽曲を提供し、ヒットさせることによって、その環境作りを黙々と実行して、すばらしい結果を出し続けている」[215](湯山玲子)
「彼の音楽について知っている範囲でいうと、彼の曲のどこがいいのかわからない。私が言いたいのは『音楽的には無価値なものをマーケティングだけで売れると錯覚したんじゃないか』ということだ。マーケティングが悪いといっているのではない。資本主義の社会では音楽は商品なのだから、最大限売れるように努力するのは当たり前だ。しかし彼の場合はメディアへの露出をコントロールしないで、過剰に消費されたのが失敗だったのではないか」[263](池田信夫)
「(小室・SUM・DJ KOOの座談会を読んで)これだけダンスミュージックの知識のないプロデューサーも普通いないだろう。基本的に小室哲哉を『海外の最新のダンスミュージックを取り入れて音楽を作り続けた作曲家』とかいう解釈は間違っているよね。少なくとも、1980年代末にロンドンに渡り、最新の音楽(レイブ)を持ち帰り、trfを生み出したというAERAの現代の肖像のような解釈は違う気がする。1980年代末のロンドンの音楽を全く吸収しなかったからtrfができたんだろう。こういった海外の新旧ダンスミュージック(というかブラックミュージック全般か)の知識とは無縁のところで鎖国的な知識環境で音楽を作り続け、しかも世間に届きまくったところが、小室の才能だったんだよ。洋楽からのあからさまなパクリとかが余りないのも、J-POPのクリエイターとしての小室の特長のひとつなんじゃないだろうか」[264](速水健朗)
「彼の楽曲の構造である『サビ頭→Aメロ→Bメロ→サビ(半音上げ)+(4つ打ち+ハイハット)』は広い音域と速いテンポの融合という難しさが好まれるカラオケには最適」「サウンドは基本的に欧米の最新スタイルを導入したダンスミュージック。匿名性の高い機能的な音楽なため、誰が歌っても彼の世界観は保たれる。そして、少女の凛々しさとセンチメンタリズムとポジテヴィティの美しさへの賛美・情景に溢れた歌い手のキャラ・記名性を無視した歌詞が更にトータル性を高めていた」[265]「歌う者にとっては過酷なだけのメロディ」「1994年からの5年間で、1990年代の流行音楽を一人で築き上げたと言っても過言ではありません。英米ダンスフロア・ミュージックの最新スタイルを消化しつつ、日本人独特の情緒性を凛々しさと共に対象化しJ-POPという音楽ジャンルを完成させました。しかもその手段が『プロデュース作品群によるチャート制覇』というのが新鮮だったのです」「あくまでも結果論だけど、つんく♂のハロー!プロジェクト・秋元康のAKB48といった多人数女子アイドルグループの源流になった」[73](市川哲史)
「1990年代、小室哲哉さんはJ-POPをメガヒット市場に変貌させ、一身で牽引する立場を担っていました。彼は音楽に対して興味がない人達にまで、音楽を売らなくてはいけないという使命を背負っていたのです。おびただしい数のオファーを受注し、考えられない程のスピードで量産していました。そこで彼が行ったことは、別々にアイデアとしてストックしていた『サビ』や『Aメロ』等のパーツをまるで合体ロボの様に一つの作品にして世の中に送り出していくことでした(勿論、そこには小室さん独自のテクニック・センスが不可欠だったのですが)。パーツを繋ぎ合わせることにより、『ドラマティックな転調』が生まれ、その若干の『無理やり感』もまた当時は新鮮でウケました。結果、小室さんはあれ程のメガヒットを連発していったのです」[266](マキタスポーツ)
「小室哲哉の曲は完全に洋楽っぽい顔をしているんです。だけど、本来彼が持っている洋楽の感性を自覚的に出すのではなく、日本人としてより巧妙に隠して体質的に染み出させたのが売れた理由。わかりやすい例がわけのわからない英語のタイトルをつけたりしたこと。安室君の「CAN YOU CELEBRATE?」なんかピーター・バラカンが大笑いしたでしょ。『"CAN YOU CELEBRATE?"ってなんだ』て。日本人が思うような意味とは全然違うのだけれど、そういうのが広く浸透し易い」[267](相倉久人)
フォロワーの評価
「リチャード・バルビエリの感性・雰囲気志向、ニック・ローズのリズム・民族音楽志向の流れで、全ての楽器でシンセサイザーの発想も持ち込んで、音楽を作っている」[268](松岡英明)
「TMで見せた小室さんの打ち込みとYAMAHA-DX7を演奏される姿が格好良く見えて、高校の吹奏楽部の講師に『YAMAHA-DX7を是非買いましょう』と偉い勢いで後押しして、部活の時にいつも弾いていました。専門学校でもPC-9801で『小室さんだったらどうするか』をシミュレーションして打ち込みをしていましたね」[269](伊藤賢治)
「ブレーンの配置の仕方がすごく上手な点は僕も影響を受けています。パートナーを固定して、自分の世界を作っていく…だからこそあれだけの仕事量をこなせるのでは」[270](t-kimura)
「『打ち込み』と言われる音楽をメジャーのレベルにまで引き上げた人です」「小室さんがこれまで発明した音楽的な方法論はたくさんあります。今は当たり前になっているようなことですから、なおさらすごい」[271](南俊介)
「小室哲哉さんってアレンジ面での打ち込みがクローズアップされていると思うんですけど、僕はメロディとコード・ワークが体に染み付いてしまったレベルで影響を受けていますね[272]。ただ、4つ打ちに関しては90~96年頃に小室哲哉さんが活躍しすぎた為『飽和してしまった』とネガティヴになってしまった。幾度も曲をレコード会社に持ち込んだり、コンペに出しては『曲はいいけど、こういうアレンジはいらないんだよ』と千回位言われましたね[273]」「限られた機材で『如何に本物に近づくか』という無茶なことを本気でやる人」[274](八木沼悟志)
「基本的に楽器ができないから鼻歌で作曲するんだけど、それだとどうしても転調ができなくて、小室哲哉さんみたいな曲は絶対書けないんです。『Get Wild』みたいな曲も歌いたいんですが、ああいう曲は絶対僕には書けない!(笑)」[275](平井堅)
「東洋人が好むコード進行が全くなく、アジア人には聞き慣れないものを大胆に取り入れて、それをヒットさせていた。それが不思議だった」「ヒップホップをやりながらもきちんとピアノで曲を書いている」「電子音楽とバラードの両方を行き来できている」「抒情的なバラードの感性とダンス音楽の感性の両方を兼ね備えている」[276](J.Y.Park)
「テレビ等で流しづらい音楽をたくさん世に出したことで後々のミュージシャンがやりやすい様にしてくれた」「コンピューターで人間味の部分を消そうとしても、小室さんが鍵盤を弾いているパートは絶対に加工できない・真似できないな、と思う」[136](中田ヤスタカ)
「4つ打ちがいつの世にも通じる普遍的な物だと証明してくれた」[277](鬼龍院翔)
「ジャンルの手法を噛み砕いてJ-POPのリスナーにわかるようにする事ができる。自分もゆくゆくはできたらいいなと思ってる」[278]「音楽の捉え方のスピードが早くて衝撃だったんです。小室さんが僕の曲を『2~3曲聴いてきたよ』って、それだけでオレのやりたいこと言い当てられました(笑)」[279]「J-POPの大先輩、というかJ-POPそのもの」[280](tofubeats)
「TKサウンドが人々を惹きつける秘密の一つ目に『エモーショナルさ』がある。当時はピッチを修正する装置がなかった。若干ぶれているぐらいが良かった。ピッチが不安定な高音を一生懸命歌うことにエモーショナルさがある。二つ目に既成概念にとらわれない響き重視の音に合う言葉を歌詞に入れている。歌詞に意味は必要ない。言葉の響きがキャッチーにハマることが大切」[281](前山田健一)
「(BiSHの『earth』に関して)メロディーだけで『この人の曲だ』って分かるのは凄いんですよ。僕のアレンジ部分をどれだけ強く出しても『小室さんらしさは消えないな、それは本当に凄いな』って作曲家として思いました」「小室さんの曲は他の日本のアーティストと違って洋楽を取り入れている感が物凄く強かったんですよね。メロディーの譜割りの入れ方だったりとか、歌詞の入れ方とか、もちろんJ-POPではあるんですけど、洋楽っぽい要素を物凄く入れているんだなって当時から感じていましたね。逆に洋楽っぽい格好をしているバンドの方がフォーキーだったりして。だから小室さんは異質と言ったら失礼かもしれないんですけど、唯一無二だなと思ってましたし、それは今でも感じますよね」[282](松隈ケンタ)
「如何に『女性をエロく見せているか』という分析に関しては私が一番じゃないかと自負してます。ちょっと出すのが苦しい位のキーをサビに持ってきて歌わせているから、すごくエロく聞こえるんです。基本的に洋楽で格好良いとされているメロディラインを、普通だったらAメロに持っていくところをTKはサビに持ってきてるんですよ。それを転調によって成功させているんです。これは発明と言ってもいいと思うんです。でも鈴木あみちゃんに関してはずっと高めのキーで歌わせていたので、サビだけじゃなく初めから最後までエロいんですよ!」[283](大森靖子)
「強烈なインパクトのあるメロディを書ける音楽家はそんなにいない。敢えて例を挙げるなら久石譲さん、菅野よう子さん、小室哲哉さん」「バックトラックから曲を作り始める機会が増えてきたのも、音楽プロデューサーとしても、人前に出るミュージシャンとしても形を残したいと思ったのも、スタジオ作業とライヴ活動を同時進行しているのも、中学から小室さんの姿を追っていたからだと思うんです」[98](澤野弘之)
社会的な評価
小室がavex traxとライセンス契約を結んだ際、EPIC内では、「他社のアーティストをプロデュースするなんて契約違反だ!」と議論が巻き起こった(当時の音楽業界では「音楽プロデューサーはレコード会社の社員・元アーティストの専属契約」であることが多かった為といわれる)。その問題に対応するため、trfデビューの際、丸山茂雄は「アーティスト主導・レパートリーの管理に特化した芸能事務所」をコンセプトに「アンティノス・マネジメント(現ソニー・ミュージックアーティスツ)」を設立、小室は第一号契約者となった[7][284]。
ラジオ局の中には「なぜ小室が手がけたという理由だけで、無条件で流さなければいけないのか」と小室の楽曲のOA禁止を決める所がでた[注釈 46][285][255]。反面、FM大阪は小室の楽曲を積極的に流している。
Mr.Childrenなどのプロデューサーとして知られる小林武史とイニシャルが同じ事から「TK時代」と呼ばれた。
小室哲哉がこれまでにプロデュースしたシングル・アルバムの総売上枚数は、約1億7000万枚に達する。また、日本の作曲家別シングル総売上枚数は筒美京平に次ぎ第2位[25]、作詞家別シングル総売上枚数は第4位である[286]。
チャート
1996年4月15日付けのオリコンシングルチャートで、小室哲哉が作詞・作曲・プロデュースした楽曲が1位から5位までを独占した。同一作曲家、兼プロデューサーによる上位5曲の独占は、日本のみならず世界の音楽チャートにおいても史上初めてのことである。
- 1位 「Don't wanna cry」(安室奈美恵)
- 2位 「I'm proud」(華原朋美)
- 3位 「FREEDOM」(globe)
- 4位 「Baby baby baby」(dos)
- 5位 「Love & Peace Forever」(trf)
1995年度のJASRAC発表の著作権使用料の分配額ランキング(JASRAC賞)では、小室哲哉が作詞・作曲した楽曲が国内作品の1位から3位までを独占した。同一作曲家による上位3曲の独占は、同ランキング史上初めてのことである。
- 1位 「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」(H Jungle with t)
- 2位 「CRAZY GONNA CRAZY」(trf)
- 3位 「Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜」(trf)
1998年10月19日付けのオリコンシングルチャートで、小室がリーダーを務めるglobeの楽曲4曲が同時にベスト10入りし、当時として史上初の記録を達成した。この記録は「発売日が異なる再発でない同一アーティストによるシングルの複数チャートイン」として現在も記録が保持されている。
- 3位「Perfume of love」
- 7位「Sa Yo Na Ra」
- 8位「sweet heart」
- 10位「wanna Be A Dreammaker」
オリコン
- シングル総売上枚数 - 4,219万枚(作詞家歴代4位)2011年6月20日現在
順位 | 売上枚数 (単位:万枚) |
作詞家 |
---|---|---|
1 | 6,828 | 阿久悠 |
2 | 4,984 | 松本隆 |
3 | 4,576 | 秋元康 |
4 | 4,219 | 小室哲哉 |
5 | 3,718 | 稲葉浩志 |
6 | 3,570 | 桑田佳祐 |
7 | 3,467 | つんく♂ |
8 | 2,850 | 桜井和寿 |
9 | 2,596 | なかにし礼 |
10 | 2,473 | 山上路夫 |
主な提供曲(1980年代〜2011年)
下記は一部にすぎない。詳細は小室哲哉提供楽曲一覧を参照
- 岡田有希子
- 福永恵規
- 「10月はさよならのパームツリー」 元おニャン子クラブのメンバーに初めて提供したミディアムテンポの歌謡曲。編曲は下記曲と共に大村雅朗。
- 「ハイパー・ラッキー」 こちらはアップテンポの楽曲で、小室哲哉の特徴的な早口のアイドルPOPS。
- 岩崎良美
- 原田知世
- 荻野目洋子
- 「NONSTOP DANCER」 アルバム「ノン・ストッパー」に収録されている楽曲で、荻野目洋子自身が一番好きな曲と公言した曲。
- 「ジャングル・ダンス」 NHK「みんなのうた」で何度も流れていた楽曲。
- 松田聖子
- 大西結花
- 「パンドーラ」 小室哲哉が当時お気に入りだったと公言していたアイドルに提供した楽曲。
- 八木さおり
- 「月と恋心」 同じく小室哲哉が当時お気に入りだったと公言していたアイドルに提供した楽曲。作詞は森雪之丞で、編曲は武部聡志。
- 沢口靖子
- 「Follow me」 沢口靖子が出演した「痛快!ロックンロール通り」の挿入歌。作詞は川村真澄で編曲は大村雅朗。同ドラマではTMNetworkが主題歌を担当した。
- 郷ひろみ
- 「空を飛べる子供たち〜Never end of the earth」 アルバムの最後に収録されている楽曲で作詞は秋元康。
- 奥田圭子
- プラスティック(1985年)
- 中山美穂
- JINGI・愛してもらいます(1986年)中山美穂が出演した映画「ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌」主題歌
- 50/50(1987年)オリコンシングルチャートで2位を記録
- 堀ちえみ
- 愛を今信じていたい(1987年)引退前のラストシングル
- 伊藤かずえ
- 星屑のイノセンス(1988年)
- 小泉今日子
- GOOD MORNING-CALL(1988年)オリコンシングルチャート2位を記録
- 宮沢りえ
- ドリームラッシュ(1989年)デビューシングル。小室がプロになってから始めてトータルプロデュースしたアイドルである。
- NO TITLIST(1990年)宮沢りえが主演のフジテレビ系ドラマ「いつも誰かに恋してるッ」の主題歌。デビュー曲と同様に編曲も担当している。
- 田中美奈子
- 観月ありさ
- TOO SHY SHY BOY!(1992年)作詞・作曲・編曲、サウンドプロデュースを担当。
- 東京パフォーマンスドール
- バックストリート・ボーイズ
- Missing You(1997年)作詞・作曲・編曲をJolyon Skinnerと担当。
- アルバム『バックストリーツ・バック (BACKSTREET'S BACK)』に収録されている。
- 森進一
- 眠らないラブソング(2010年)作詞・作曲・編曲を担当。
- SMAP
- Trust(2010年)作詞・作曲・編曲を担当。アルバム『We are SMAP!』に収録。
- グラマラス(2010年)作詞・作曲を担当。シングル『This is love』のc/w。
- 意外にもジャニーズのアイドルグループに楽曲を提供するのはこれが初である。
- 浜崎あゆみ
- crossroad(2010年)作曲・編曲を担当。
- Virgin Road、Last angel(2010年)作曲を担当。シングル『L』収録。
- アルバム『Love songs』では収録曲のほとんどを小室が作曲した。
- やしきたかじん
- その時の空(2010年)作曲を担当。
- やしきたかじんの冗談で楽曲提供が決まった。作詞は秋元康が手がけた。
- 坂本美雨
- True Voice(2011年)作曲を担当。アルバム『HATSUKOI』収録。
- 坂本美雨は同時期に小室のソロアルバム『Digitalian is eating breakfast 2』にも参加している。
主なヒット曲(1993年〜)
1994年、小室哲哉は、trfの「survival dAnce 〜no no cry more〜」で初めて100万枚以上のヒットを達成。
1997年の華原朋美の「Hate tell a lie」まで20曲のミリオンヒット曲を世に送りだした。(小室ブーム参照)。
※下記は主な小室哲哉プロデュース作品であり、一部にすぎない。 ☆ … ミリオン ☆☆ … ダブルミリオン
1993年
- 「EZ DO DANCE」trf
- 「寒い夜だから…」trf
1994年
- ☆「survival dAnce 〜no no cry more〜」trf
- ☆「BOY MEETS GIRL」trf
- ☆☆「恋しさと せつなさと 心強さと」 篠原涼子 with t.komuro
1995年
- ☆「CRAZY GONNA CRAZY」trf
- ☆「masquerade」trf
- 「もっと もっと…」 篠原涼子 with t.komuro
- ☆「Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜」trf
- ☆☆「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」H Jungle With t
- ☆「GOING GOING HOME」H Jungle With t
- 「Feel Like dance」globe
- 「Joy to the love」globe
- ☆「I BELIEVE」華原朋美
- 「BRAND NEW TOMORROW」trf
- 「Body Feels EXIT」安室奈美恵
- 「SWEET PAIN」globe
- ☆「Chase the Chance」安室奈美恵
1996年
- ☆☆「DEPARTURES」globe
- ☆「I'm proud」華原朋美
- 「FREEDOM」globe
- ☆「Don't wanna cry」安室奈美恵
- 「FRIENDSHIP」H Jungle With t
- ☆「You're my sunshine」安室奈美恵
- 「is this love」globe
- ☆「save your dream」華原朋美
- ☆「Can't Stop Fallin' in Love」globe
- ☆「a walk in the park」安室奈美恵
- 1997年
- ☆「YOU ARE THE ONE」TK presents こねっと
- ☆「FACE」globe
- ☆☆「CAN YOU CELEBRATE?」安室奈美恵
- ☆「Hate tell a lie」華原朋美
- 「How to be a Girl」安室奈美恵
- 「LOVE IS ALL MUSIC」華原朋美
- 「Wanderin' Destiny」globe
- 「Dreaming I was dreaming」安室奈美恵
- 1998年
- 「wanna Be A Dreammaker」globe
- 「Sa Yo Na Ra」globe
- 「Perfume of love」globe
- 「all night long」鈴木あみ
- 「White key」鈴木あみ
- 「I HAVE NEVER SEEN」安室奈美恵
- 1999年
- 「RESPECT the POWER OF LOVE」安室奈美恵
- 「toi et moi」安室奈美恵
- 「BE TOGETHER」鈴木あみ ※TM NETWORKのカバー曲
- 「OUR DAYS」鈴木あみ
- 2000年
- 「THANK YOU 4 EVERY DAY EVERY BODY」鈴木あみ
- 「NEVER END」安室奈美恵
- 2001年
- 「Stop! In the Name of Love」globe ※スプリームスのカバー曲
- 「a song is born」浜崎あゆみ & KEIKO
個人レーベル
- TK TRACKS LABEL (メルダック内に設立)
- avex globe (avex trax内に設立)
- ORUMOK RECORDS (パイオニアLDC内に設立)
- TRUE KiSS DiSC (自費製作→Sony Music Entertainment傘下)
- Rojam Entertainment (自費製作→吉本興業グループ傘下)
- factoryorumok (ORUMOK RECORDSとメディアファクトリーの提携)
- Tatsumaki Records (factoryorumokからの派生レーベル)
- gaball screen (R and C内に設立)
- TKCOM (自費製作)
参加ユニット
- SPEEDWAY
- TM NETWORK
- 小室哲哉プロジェクト[注釈 47][287]
- ハンバーグ&カニクリームコロッケ
- V2
- T.C.D Hits
- trf[注釈 48]
- ダイナマイトマシーン[注釈 49]
- TK-COZY-MST[注釈 50]
- EUROGROOVE
- t jungle m
- H Jungle with t
- globe
- tk-trap
- MUSEUM
- Kiss Destination
- tatsumaki
- ROJAM
- VIZITORS
- GABALL
- Curious K.
- TKCOM
- TK feat. TK
関連人物・交友関係
- 関連人物
- 宇都宮隆、木根尚登、Kco、マーク・パンサー、麻生香太郎、松浦勝人、千葉龍平、丸山茂雄、小坂洋二、小室みつ子、松本孝弘、葛城哲哉、阿部薫、久保こーじ、渡辺美里、藤井徹貫、日向大介、浅倉大介、岩佐俊秀、坂元裕二、前田たかひろ、松尾和博、志村明、TRF、浜田雅功、安室奈美恵、hitomi、観月ありさ、篠原涼子、華原朋美、鈴木亜美、浜崎あゆみ、原田大三郎、DJ DRAGON、ニック・ウッド、Purple Days
- 交友関係
- アーサー・C・クラーク、秋元康、浦沢直樹、大江千里、大多亮、喜多村豊、木村カエラ、近田春夫、坂本美雨、ZEEBRA、ジャン・ミッシェル・ジャール、shinnosuke、スティーヴィー・サラス、スティーヴィー・ワンダー、鈴木大輔、高見沢俊彦、玉置浩二、田村淳、デュラン・デュラン、テリー伊藤、tofubeats、中田英寿、中田ヤスタカ、HYDE、VERBAL、原田大三郎、FENCE OF DEFENSE、松任谷由実、YOSHIKI、鎧塚俊彦、リリー・フランキー、若尾裕之 (五十音順)
脚注
注釈
- ^ 浜田雅功とのコラボレーション時に使用。
- ^ SERIKA with DOGのサウンドプロデュース、篠原涼子とのコラボレーション時に使用。
- ^ SPEEDWAY参加時に使用。
- ^ クレジットに乗る際の大部分の名義として定着している。
- ^ 2010年から使用。
- ^ 1997年の全米進出時に使用。
- ^ dosのアルバム『chartered』に使用、またTM NETWORKのオフィシャルサポーターユニットのグループ名として命名、バリ島の別荘の表札に使用。
- ^ mF247への楽曲提供時に使用、現在も時折使っている。
- ^ TRFの海外用PR盤制作時に使用。
- ^ 『global trance 2』制作時・『Cyber TRANCE』プロジェクト参加時に使用。
- ^ 『Embryo』の発表時に使用。
- ^ 銀星団参加時に使用。
- ^ 『ハンバーグ&カニクリームコロッケ』での活動時に使用。
- ^ 「運指の粗さ・ミスタッチをアドリブでどうごまかすか、どの様にお客さんを驚かせて喜ばせるかがすごく勉強になった」と話している。
- ^ 「テクニックや正確さよりも、それぞれが気持ち良いと思う響きを奏でようとする姿勢に共感しました」と話している。
- ^ 「歌唱力があったり、メロディが良かったり、歌詞が良かったり。僕には彼のしょっぱい感じが出せなかった」と話している。
- ^ 「作詞の概念を変えられてしまった。とにかく僕には『Automatic』っていうのは出て来なかった。出ないってこと自体、クリエイター側からすると『出てこないんだ自分は…』ってなるんです」「歌詞のハメ方、ラジオの喋り方等、何から何まで自由で『うらやましいなあ、こんな好きに喋っていいんだ』っていうことだったり」「ブラックミュージックを原風景に育ったネイティブな日本人が21世紀を引っ張っていく」と話している。
- ^ 日本大学名誉教授の板倉宏は、「巨額詐欺なので、被害者が許した場合でも執行猶予の確率は30%。実刑になった場合は1億円なら1年が相場、今回は弁済しているので3年くらいが妥当」と述べている“執行猶予30%…小室哲哉、まだまだ続くいばら道”. 夕刊フジ (ZAKZAK). (2009年3月13日) 2011年2月3日閲覧。
- ^ 早稲田実業学校時代より複数のバンドで活動。
- ^ 一例として、H Jungle with tは2枚目のシングルの発売とそれに関連した活動で終わる予定だった。
- ^ 他国への発売はiTunes Store配信版のみ。
- ^ 特に一職業としての音楽プロデューサーに対する思い入れは強く、「プロデューサーという言葉を浸透させたのは僕で間違いないですね。全体を統率する者がいないと駄目なんだということを業界に一応認知させることができたかなと思います」と話している。
- ^ 特に後者の方法はストレスの解消・スランプの防止・アイディアの開発に役立ったという。
- ^ 「美里ちゃんの詞の世界を参考に、自身の視点から同じテーマを書くとこうなるというアプローチ的手法で作詞していた」「渡辺さんの影響でドア・イノセント・ジェントル・少年・少女をテーマにするようになった」と語る。
- ^ 「流行語を使わない、10~20年後でも何かに当て嵌めようとすれば誰でも主人公になれる様な、あまり時代に寄り添い過ぎない普遍的なワードしか使わない」と語る。
- ^ 「せめて音楽位は女の人の味方にならないといけないと感じて作った」と語る。
- ^ その直後に突発的に新しいメロディ思いつくことがあるので、それが活かしつつ楽曲全体の足枷にならない為に最初からこの段階で終わらせる事もある。
- ^ 個々のシンセサイザーでも特徴が違い、「楽曲作りに威力を発揮する機材」「アレンジで役に立つ機材」等とその時の局面で切り替えている。
- ^ 譜面はスタジオ内で共有するために手弾きでコンピューターにもインプットさせる形で行い、手書きはしない。
- ^ ただしhitomiと作業する場合は、デビュー前にhitomiに一定期間日記を付けさせた結果「どこで探してきたんだという位古い言葉を使うのが好き」「思っていた以上に丁寧で、同世代の女性の代弁者になれる」と見込んだ為、hitomiがメモの落書きの要領で書いた歌詞に対して小室が歌詞を厳選し、音源を後付けしていく方針をとった。
- ^ 但し、この発言は「久米宏さんをフィルターとした番組である「ニュースステーション」の放送時間帯での久米さん以上の年齢の視聴者の反応を考慮したフェイク」とも答えている。
- ^ 3小節以上使うと著作権使用料が発生するため、2小節以内に抑えている。
- ^ 但し自ら「生歌では困難」と称する程のメロディではレコーディング技術を駆使してクリアした部分がある。
- ^ 反面、自身のコンサートのリハーサルは回数的には少なく、大抵は長くて通しで1週間・準備は打ち込みのデータを渡し、細かい点の確認のみで反復練習はほとんどしない。これについては「セッション・即興演奏が好きで最初から決めた上で出来上がってしまうと長いツアーの場合3・4回で飽きる」「リハーサルの時間をレコーディングに回せば1曲できる」と語る。
- ^ 「でも、このギリギリで必死で切羽詰まった感じは1990年代は通じたけど、今の時代にそぐわないかもしれない」とも答えている。
- ^ 特にシールドケーブルに対しては「シールドケーブルの中を音が流れるだけでも、その音の音質は劣化する。それを防ぐ為に1本100万円以上の最高品質の物を指定している」「今までのスタジオの建築費にはどれ程無駄遣いしたかわからない。しかし、シールドケーブルに関しては今でも無駄遣いだとは思わない」と話している。
- ^ 基準として「鼻声は駄目。声が顔のイメージと一致しない人も駄目。初対面で声が抜けて耳と五感に響けばそれで良かった」「『誰からも好かれる声』ではなく『頑張ればあの人になれるという希望を持てるような、嫌われない声』を選んでいた」と語っている。
- ^ 坂本はライブの生中継を目指し、小室は音源データの配信を意図していた。
- ^ globeをエイベックス・エピックのどちらでデビューさせるか一悶着があった、丸山茂雄の要請で華原朋美をエイベックスの事務所がマネジメントする、戦略上の事務所同士の権力争い等。
- ^ お互いの祖父がいとこ同士(出典:時計寄贈の過去も…小室哲哉の遠縁村長自殺か(社会)――スポニチ Sponichi Annex ニュース)
- ^ これに対して小室は「ロサンゼルスに住んでいた頃は2日に1曲作っていた。日本向けのミックスを制作するという発想すらなかった。ミキシング作業は僕の意図が早く通じるイギリスかアメリカ出身のエンジニアが中心でした。だから日本のマーケットの耳も洋楽的な音像に慣れてきた」と語っている。
- ^ これに対して小室は「教育活動と言うほど押し付けがましいことは全然していない。トラック・テンポ等考えているけど、どうしても色は出てしまうので困る。ただ、今実験しているのが『ポップだね』と言われたらこれ程嬉しいことはない」と答えている。
- ^ これに対して小室は「年をとってその道へ入学・卒業等の通過儀礼を繰り返した後でも恥ずかしくなく照れずに入れる様な、誰の心にもあるテーマを歌詞にしている」「できるだけ同じ音色に嵌りたくない、常に新しいリズムを追求したい」と答えている。
- ^ 『HARAJUKU PERFORMANCE + DOMMUNE』での冨田勲との対談で発言。
- ^ これに対して小室は「テレビのドキュメンタリー番組を作るような感じです。直接取材したり、資料を見ながらイメージする内に同一化して10代の気持ちになれるのかもしれません」と答えている。
- ^ FM802・NACK5の「JAPANESE DREAM」が代表的である。
- ^ 小室・西村麻聡・山田わたるによる企画ユニット。FENCE OF DEFENSEのデビューによりTM NETWORKのサポートメンバーから抜けざるを得なくなった西村・山田への返礼として結成され、1987年1月に全国8ヶ所を周った。ハワード・ジョーンズのコピー・TMの楽曲のインスト・吸血鬼ハンター“D”の楽曲・未発表のオリジナル楽曲が演奏された。
- ^ 1993年の「avex rave '93」まで正式メンバーとしてキーボードで参加。
- ^ 山羊智詞率いるロックバンド。小室はキーボーディスト・作曲家としての参加であり、水江慎一郎(ex UP-BEAT)、横内健亨(ex ハイソサエティー、TENSAW)、朝井泰生、今川勉(ex ECHOES)もメンバーとして名を連ねていた。ツアー途中からに太田明(ex 筋肉少女帯)が参加、1993年頃にデビューアルバムをリリースする予定だったが、レコード会社・所属事務所の都合でアルバムリリース直前に解散。EPIC・ソニー(現エピックレコードジャパン)から発売予定だった1stシングル「No! Mercy Boy!」は、小室哲哉の作曲作品(山羊智詞 作詞)で、東京パフォーマンスドールの「キスは少年を浪費する」と同曲であった。
- ^ 東京パフォーマンスドールのアルバム『MAKE IT TRUE 〜Cha-DANCE Party Vol.6』のサウンドクリエイトの為に結成された小室と久保こーじと松本みつぐ・田代隆廣が取締役・プロデューサーを務める音楽製作プロダクション「MST」からなる制作ユニット。
出典
- ^ Music Voice 小室哲哉が武蔵国府中大使に任命「文化都市になるよう」。木根尚登もアドバイザーに任命。
- ^ a b c オリコン・エンタテインメント刊『オリコン・ウィークリー』1987年4月27日号より。
- ^ Bio File Introより。
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- ^ メディアファクトリー刊 『まっすぐ進む夢へのヒント54』 木根尚登著より。
- ^ a b c d e f g h i j 講談社刊『小室哲哉 深層の美意識』文庫版 神山典士著より。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 飛鳥新社刊 『プロデューサーは次を作る』:中谷彰宏・小室哲哉著より。
- ^ リットーミュージック刊 『キーボード・マガジン』 2010年SUMMER号より。
- ^ Bio File 1970より。
- ^ ソニー・マガジンズ刊『GB』1986年12月号より。
- ^ リットーミュージック刊 『キーボード・マガジン』 2016年SUMMER号より。
- ^ a b リットーミュージック刊 『キーボード・マガジン』 2003年5月号より。
- ^ 主婦と生活社刊「週刊女性」1995年8月15日号より。
- ^ a b c d e f g 月刊経営塾刊「月刊経営塾」1996年8月号より。
- ^ 角川書店刊 『告白は踊る』 小室哲哉著より。
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- ^ NHK-FM放送 「ダブルDJショー 近田春夫 × 小室哲哉」(2007年1月6日放送)より。
- ^ ぴあ刊『『J-MELO』が教えてくれた世界でウケる「日本音楽」』より。
- ^ a b c リットーミュージック刊『サウンド&レコーディング・マガジン』 2015年10月号より。
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- ^ a b “小室容疑者を逮捕 著作権譲渡で5億詐欺”. MSN産経ニュース. 2008年11月4日閲覧。
- ^ サンケイスポーツニュース
- ^ [1]mns法廷ライブ【小室被告第3回公判(1)】小室被告「改めて音楽しかないと思った」より出典
- ^ [2]mns法廷ライブ【小室被告第3回公判(1)】小室被告「改めて音楽しかないと思った」より出典
- ^ ゲンダイネット小室哲哉5億円詐欺裁判は何が問題になっているのか
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関連項目
外部リンク
- avex公式ウェブサイト
- 小室哲哉 (@Tetsuya_Komuro) - X(旧Twitter)
- TK Official-Staff (@TK_staff) - X(旧Twitter)
- 小室哲哉 (@tk19581127) - Instagram
- 小室哲哉 (TetsuyaKomuro.Official) - Facebook
- 小室哲哉 - Google+
- 小室哲哉 - Myspace
- 小室哲哉 - Discogs
- guerilla music - TKCOMのスタッフが運営する小室哲哉YouTube公式チャンネル
- TK MUSIC CLAMP - 小室哲哉が1995年から1996年に司会を務めたフジテレビの音楽番組(オフィシャルサイト)
- DMM オンラインサロン「小室哲哉 - TK Culture Gathering」
- 小室哲哉
- テクノポップ
- アンビエント・ミュージシャン
- 日本のテクノミュージシャン
- ハウスミュージシャン
- トランス・ミュージック
- プログレッシブ・ロック
- 日本のニューエイジ・ミュージシャン
- 日本のキーボーディスト
- 日本の音楽プロデューサー
- シンセサイザー奏者
- 日本のDJ
- NHK紅白歌合戦出演者
- NHK紅白歌合戦歌唱楽曲・作詞者・作曲者
- 日本のソングライター
- 日本の編曲家
- 日本の演奏家
- 日本のシンガーソングライター
- 日本のポップ歌手
- 日本の作曲家
- 日本の映画音楽の作曲家
- アニメ音楽の作曲家
- ゲーム音楽の作曲家
- ミュージカルの作曲家
- 日本の音響技術者
- 日本の実業家
- 過去の吉本興業所属者
- エイベックス・グループ所属者
- 1958年生
- 存命人物
- TM NETWORK
- TRF
- Globeのメンバー
- Kiss Destination
- 東京都出身の人物
- 尚美学園大学の教員
- サマーソニック出演者