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国鉄ED71形電気機関車

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国鉄ED71形電気機関車
ED71 1
基本情報
製造所 日立製作所
東芝
三菱電機新三菱重工業
主要諸元
軌間 1,067
電気方式 架空電車線方式単相交流交流20kV・単相50Hz
最高速度 95
自重 67.2t(4 - 55)
64.0t(1 - 3)
最大寸法
(長・幅・高)
14,400 × 2,805 × 4,240 (mm)
台車 DT114形(4 - 55)
DT107形(1 - 3)
主電動機 直巻電動機MT101形(MT101A形)X4基
駆動方式 1段歯車減速クイル式→リンク式(1 - 44)
1段歯車減速半つりかけ式(45 - 55)
歯車比 82:15=1:5.47
定格出力 2,040kW
定格速度 42.5
定格引張力 16,500kg
制御装置 位相制御・高圧タップ切換による多段制御
制動装置 EL14形自動空気ブレーキ
保安装置 ATS-S
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ED71形は、日本国有鉄道(国鉄)が1959年昭和34年)から製造した交流電気機関車である。

概要

東北本線黒磯以北の電化にあたり、東北地方全域では既存の直流電化区間を除き周波数50Hz交流電化を採用することになったため、新たに開発されたのが本形式である。

製造の経緯

北陸本線での実績を踏まえ東北本線の輸送単位を勘案した結果、25勾配区間において単機で1,000t、重連で1,200t貨物列車を牽引可能な性能が求められた。しかし、出力1,500kW級のED70形では不十分で、出力2,000kW級の大出力交流電気機関車を新たに開発する必要があった。そのため、技術的検証を要する面があり、まず1959年に試作機3両を製造、この結果を踏まえて1963年まで量産機52両の計55両が製造された。

構造

車体

前面は重連総括制御を考慮して貫通型となった。同時期に製造されたED60形ED61形を踏襲したデザインであるが、直流機と交流機では機器構成が根本的に異なるため側面のフィルタ形状が全く異なり、「田」の字形に上下二段に配置されたルーバーが外観上の特徴である。

  • 試作機では、1・2が「田」の字が左右2か所で計8個のルーバーを側面に持つが、3は「田」の字のルーバーが2個省略された代わりに小型ルーバーを乗務員室扉脇に持つなどの違いがある。

機器・性能

起動時は位相制御、中高速域は高圧タップ切換による多段制御とすることが決定していたが、変圧・整流系回路については試作車で比較検討することになり、製造を担当する4社3グループ間で異なる方式を選択し、結果を見て量産車への採用を決定する方式が採用された(詳細は後述)。

主電動機は、2,000kW級を要求されたために出力510kWのMT101形が開発された。本機は、日本のD級交流機関車では現在でも最高出力記録する電動機である[1]

また、旅客列車の冬期暖房用に電気暖房装置を搭載する。

形態別概説

55両が製造された。試作車グループの1 - 3・量産車1次形グループの4 - 44・量産車2次形グループの45 - 55に大別される。

ED71形番号別製造分類
グループ 車両番号 製造メーカー 新製配置 製造名目 予算
試作車 1 日立製作所 白河機関区 黒磯 - 福島
電化開業用試作
昭和33年度本予算 
2 東芝
3 三菱電機
新三菱重工業
1次形 4 - 13 日立製作所 福島機関区
(現・福島総合運輸区
黒磯 - 福島間
電化開業
昭和34年度本予算
14 - 25 東芝
26 - 32 三菱電機
新三菱重工業
33 - 38 日立製作所 福島 - 仙台
電化開業
昭和35年度本予算
39 - 41 東芝
42 - 44 三菱電機
新三菱重工業
2次形 45 - 49 日立製作所 黒磯 - 仙台間
旅客列車増発
昭和36年度第5次債務
50 - 52 東芝 黒磯 - 仙台間
貨物列車増発
昭和37年度第2次債務
53 - 55 三菱電機
新三菱重工業
昭和38年度民有

試作車

本形式の基本設計はED70形の実績を踏まえ国鉄が行ったが、変圧・整流系回路については製造メーカー毎に差異を設け比較することになり、4社3グループ間でそれぞれ1両の計3両が1959年4月に製造された[2]

なお、駆動方式はクイル式台車はED60形のDT106形をベースに車体側アームを揺れ枕に固定する全側受支持構造のDT107形を採用した。

1(製造:日立製作所)
送油風冷式変圧器・風冷式エキサイトロン水銀整流器[3]
2(製造:東芝)
乾式変圧器・風冷式イグナイトロン水銀整流器
3(製造:三菱電機・新三菱重工業)
送油風冷式変圧器・水冷式イグナイトロン水銀整流器[4]

黒磯 - 白河間で試験を繰り返した結果、日立製作所が提示した振動に強いエキサイトロン方式が量産車で採用することが決定した。なお、東芝方式も好成績を残したためのこの方式は後にED72形ED73形で採用された。

量産車1次形

1960年1961年に製造された4 - 44が該当する。

試作機1のシステムを継承しているが、量産にあたり以下の設計変更が行われた。

  • 機器構成が見直されたことで64tであった自重が増加し67.2tとなった。
  • 増加自重を台車で吸収するため揺れ枕式のDT114に変更。

また、運転室ドア脇に電気暖房表示灯を設置し、電気暖房使用中は消灯する方式とした(試作車にも追設)。

量産車2次形

1962年1963年に製造された45 - 55が該当する。

1次形からは以下の設計変更が行われた。

  • クイル式駆動装置に問題があり、モーターを防振ゴムを介して車軸に載せる「半釣掛け式」に変更。
    • 本来釣掛け式を想定していないMT101形の防振対策が問題となり、トーションバーをアンチローリング装置として用いることで解決させるが、その反面で機構的には複雑になってしまった。
  • 車体側面フィルタが1段式に変更。

その後、シリコン整流器を搭載する取扱効率に優れるED75形が開発されたため製造が打ち切られた[5]

改造

施工はいずれも郡山工場(現・郡山総合車両センター)である。

整流器交換

エキサイトロン水銀整流器は比較的故障が少なかったが、その反面取扱効率の悪さが目立った。そのため1970年以降、シリコン整流器に交換する工事が一部車両に施工された[6]

リンク式駆動方式への改造

試作車ならびに量産車1次形で採用されたクイル式駆動装置に難があることから、リンク式に改造する工事が全車に施工された。

運用

新製以来東北本線の主力機関車として使われ、1964年には新設された寝台特急はくつる」の黒磯 - 仙台間の牽引にも投入された。

1965年盛岡電化の際に運用区間の拡大が検討されたが、冬季のエキサイトロン凍結の可能性から運用区間は黒磯 - 小牛田間に限定された。

以後はED75形の大量投入の前に次第に二線級となり、末期は黒磯 - 福島間を中心とする朝夕の旅客列車やD形交流機としては最大の出力を生かし福島 - 白石間上下貨物列車・福島 - 金谷川間上り貨物列車の補機運用などに充当されたが、東北新幹線の開業と貨物列車の削減によりED75形の運用に余裕が生じたことから1982年に全車廃車となった。

保存車

2両とも静態保存

脚注

  1. ^ 後に電気機関車用標準電動機となるMT52形開発以降に製造されたED72形以降のD級機の最高出力はすべて1,900kWである。
  2. ^ ED45 11・21に続く第3次試作機ともいえる。
  3. ^ ED45 21で採用された方式の性能向上版。
  4. ^ ED70形の方式を50Hz仕様とし性能を向上。
  5. ^ 本形式の最終製造はED75形試作機の製造とほぼ時期を同じくしている。
  6. ^ これにより位相制御を喪失する問題点も存在する。

関連項目