コンテンツにスキップ

荊州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荊州府から転送)

荊州(けいしゅう)は、中国の歴史的なの一つ。現在の湖北省一帯に設置された。



先秦時代

[編集]

書経』禹貢篇によると、上古の中国の九州のうち、荊州は北は荊山、南は衡陽にいたる地域とされている。

漢代

[編集]

紀元前105年元封5年)、武帝が全国を13州に分割した際、荊州が設置された。前漢の荊州は南陽郡南郡江夏郡桂陽郡零陵郡武陵郡長沙国の7郡国を管轄した[1]

後漢のとき、荊州は南陽郡・南郡・江夏郡・桂陽郡・零陵郡・武陵郡・長沙郡の7郡を管轄した[2]

後漢末には劉表によって統治された。劉表は各地から避難してきた学者を厚遇したため、「荊州学」と呼ばれる学派が形成された[3]。荊州学の主な人物として宋忠がいる[3]

魏晋南北朝時代

[編集]

208年建安13年)の赤壁の戦い後、荊州は北部の南陽郡及び南郡は曹操、中南部は劉備及び孫権により領有された。曹操は南郡・南陽郡を分割して襄陽郡南郷郡を設置した。南郡・零陵・武陵は劉備に、江夏・桂陽・長沙は孫権に、南陽・襄陽・南郷の各郡は曹操により領有され、それぞれが3郡を支配したことより「荊襄九郡」と称されることとなった。210年(建安15年)、孫権が北部の長沙郡を分割して漢昌郡とした。

219年(建安24年)、荊州であった劉備の守将の関羽が曹操・孫権により滅ぼされると荊州は曹操と孫権により二分割された。三国時代の荊州は南陽郡・江夏郡・襄陽郡・南郷郡・新城郡・上庸郡・魏興郡の7郡を管轄し、の荊州は南郡・江夏郡・長沙郡・湘東郡・桂陽郡・臨賀郡・零陵郡・衡陽郡・武陵郡・建平郡・宜都郡の11郡を管轄した。221年黄初2年)、孫権は公安よりに遷都して武昌と改名し、武昌・下雉・尋陽・陽新・柴桑・沙羡の6県にて武昌郡とした。229年黄龍元年)、漢昌郡を廃止した。

西晋が成立すると、荊州は江陵に州治が置かれ、下部に22郡169県を管轄した。

南北朝時代になると、州数は増加傾向があったが、その管轄区域は縮小している。南朝宋は荊州の州治を襄陽としたが、南朝斉により江陵に移された。北魏により穣県に荊州が置かれた。

隋代

[編集]

587年開皇7年)、後梁を併呑すると、荊州が置かれ、3郡7県を管轄した。607年大業3年)、郡制施行に伴い南郡と改称され、下部に10県を管轄した[4]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年
荊州 南荊州 平州 鄀州
南郡 新興郡 監利郡 南平郡 河東郡 宜都郡 漳川郡 遠安郡 永寧郡 武寧郡
江陵県
枝江県
広牧県
安興県
定襄県
紫陵県
雲沢県
公安県
孱陵県
永安県
松滋県
聞喜県
譙県
宜昌県
宜都県
帰化県
受陵県
佷山県
当陽県
安居県
- 長寧県 長林県
区分 大業3年
南郡
江陵県 枝江県 安興県 紫陵県 公安県 松滋県 宜都県 長楊県 当陽県 長林県

唐代

[編集]

621年武徳4年)、により南郡は荊州と改められ、江陵・公安・枝江・長林・安興・石首・松滋の7県を管轄した。742年天宝元年)、荊州は江陵郡と改称された。758年乾元元年)、江陵郡は荊州の称にもどされた。760年上元元年)、南都が置かれ、荊州は江陵府に昇格した[5]

宋代

[編集]

1130年建炎4年)、北宋により江陵府は荊南府と改称された。1135年紹興5年)、荊南府は江陵府の称にもどされた。江陵府は荊湖北路に属し、江陵・公安・石首・建寧監利・松滋・枝江・潜江の8県を管轄した[6]

元代

[編集]

1276年至元13年)、により江陵府は荊南府路と改められた。1301年大徳5年)、荊南府路は江陵路と改称された。1329年天暦2年)、江陵路は中興路と改称された。中興路は河南江北等処行中書省に属し、江陵・公安・石首・監利・松滋・枝江・潜江の7県を管轄した[7]1364年朱元璋により中興路は荊州府と改められた。

明代以降

[編集]

のとき、荊州府は湖広省に属し、直属の江陵・公安・石首・監利・松滋・枝江の6県と夷陵州に属する長陽宜都遠安の3県と帰州に属する興山巴東の2県、合わせて2州11県を管轄した[8]

のとき、荊州府は湖北省に属し、江陵・公安・石首・監利・松滋・枝江・宜都の7県を管轄した[9]

1913年中華民国により荊州府は廃止された。

脚注

[編集]
  1. ^ 漢書』地理志上
  2. ^ 後漢書』郡国志四
  3. ^ a b 中林史朗 (1998年). “襄陽サロンと荊州人士”. www.ic.daito.ac.jp. 2021年3月18日閲覧。
  4. ^ 隋書』地理志下
  5. ^ 旧唐書』地理志二
  6. ^ 宋史』地理志四
  7. ^ 元史』地理志二
  8. ^ 明史』地理志五
  9. ^ 清史稿』地理志十四