写真家・マンボウ・キーが父のセックスビデオから再構築する父子の関係

台湾出身の気鋭の写真家、マンボウ・キーが東京・馬喰町のparcelにて個展『父親的錄影帶 | Father’s Videotapes』を開催中だ。注目の写真家に、展覧会のコンセプト、作家としてのこだわり、そして父子の関係について訊いた。
写真家・マンボウ・キーが父のセックスビデオから再構築する父子の関係
©Packychong Song

雑誌や広告などで活躍する台湾出身の写真家、マンボウ・キー(登曼波)。台北市立美術館での個展をはじめ、近年はアーティストとしての活動にも大きな注目が集まっている。東京・馬喰町のparcelで開催中の個展を訪れた。

『父親的錄影帶 | Father’s Videotapes』という展覧会のタイトルが示すように、作品の着想は父親のビデオコレクションにあるのだという。10歳になる前に自身が同性愛者であることに気づいたというマンボウが、中学生の時に父親の部屋で偶然見つけた数々のビデオテープ。そこにはいわゆるポルノ映像が映っていた。そして、男性と交わる父親の姿も。父自らが撮影し編集したそのビデオと20年の歳月をかけて向き合い、マンボウはアーティストとして、そして息子として、父親との関係性を再構築してきたと言えるだろう。

会場で、展示と制作の背景についてマンボウに聞いた。

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──最初に、今回展示されている写真作品についてお聞きしたいと思います。お父さんが撮影したビデオテープの静止画かな? と想像させる作品もいくつかありますが、どのような場面で撮影されたものなのでしょう。

父のビデオテープから着想を得てはいますが、周囲の人々を写したり、旅先で撮影したものばかりです。今回どのように作品を展示するのがベストかと考えた時、2019年の台北市立美術館での個展を再構成して見せるのがいいのではないかと思ったんです。ちなみに現在、南青山のギャラリーAMATEUR(H BEAUTY & YOUTH内)で同時開催されている個展では、父のビデオからスチルを使って、ファイバーアートとしてテキスタイルにした大型作品も展示しています。いずれにしても父のビデオを直接的に見せることはしたくなかったので、ビジュアルイメージを“もの化”して、僕の作品として提示することが重要だと考えました。

──そのように意図的に距離を取ることで、お父さんとの関係性や自身の作品を客観的に捉えているのですね。

その距離感というのは今に生じたことではなくて、幼い頃から父との間には一定の距離がありました。僕はすごくおばあちゃんっ子で、おばあちゃんに育てられたと言ってもいいくらい。父はパーティピープルで、夜な夜な街へ出て行ってあまり家にいなかったんです。

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一方で、父は出かける先々から僕に手紙を書いて残してくれました。展覧会では、実物をアクリルケースに入れたり、額装して壁に掛けたりして展示しています。例えばこの手紙は、父が実際に書いたもの。「同志」という言葉があるのがわかると思いますが、この単語は中国語で「同性愛者」という意味なんです。「日本の同性愛者の中年カップル」という意の一文があるのですが、日本の方々が読めなかったとしても、漢字から何か感じ取れるものがあるのではないかな。父の時代の文字の書き方は、書道のようだったり、カリグラフィのようだったりするので、その精緻な筆跡も見てもらいたいと考えました。

──確かに、時代によって人々の筆跡は異なりますね。

律儀に、すごく美しく正しい筆致で書き記されている事実からは、父の世代がどのような教育を受けて育ったのか理解することができます。しかし書かれた内容は極めてセンセーショナルで、父の自由意志の奔放さを感じることもできて。そのように文字だけでも、二重三重の歴史的背景を読み取ることができるんじゃないかと思います。

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ビデオテープと、父親との対話

──他にも、8mmのビデオカセットテープも展示されていますね。

本当は父のビデオテープ実物を展示しようと準備していたのですが、日本に到着した際、税関で父のビデオテープはポルノだと見なされて持ち込むことができなかったんです。そんな想定外のトラブルが発生したので、ここで展示するのはレプリカのようなもの。でも今回、差押さえになったことで学んだこともありました。税関はビデオの内容を見たわけではないのに、テープの本数が大量だったことや、普通ではないタイトルを見て、没収しなければならないと考えたわけです。ポルノかアートかという境界は曖昧であり続けるだろうし、ダメなものという判断はどのようにできるのか? という問いはすごく重要だと改めて思いました。

──ビデオテープの背の部分に書いてあるタイトルは映像の内容ですか?

背に書かれた日本語は、僕が書いたから文字がヘンテコかもしれないけど、味がある字でしょう(笑)? 父親の字のほうがもっときれいなんですけどね。例えばこれは、「情愛こそが生活であり、その生活は芸術にもなる」といったタイトルを付けています。実際に父が付けていたタイトルをそのまま使ったものもあれば、今の状況を表現したものもあります。

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──モニターテレビが置かれていますが、どんな映像を流すのでしょう?

今回は写真作品とともに、展示空間にはブラウン管テレビ3台を設置しているのですが、僕が記録した父の日常や会話、また、母を含めて家族の話に触れる内容の映像を流します。例えばその中の一つは、2019年に台湾で同性婚が法制化された際、「同性愛者が初めて合法的に結婚できるようになったことを、お父さんは知ってる?」と僕が投げかけ、ニュースをキャッチしていなかった父は「そうなの?」と答えるところから始まる映像。僕たちはあえて同性愛者という言葉を使わずに会話を進めています。というのも、そのような専門的な用語がまだ存在していなかった時代にあって、父は性的流動性の中で自由に生きようとしました。しかしマジョリティの他者から合法的に認められることはなかったんですよね。つまり、父の青春は認められなかったということ。でも時を経て、認められたという事実を知った父の安堵した表情とともに、どこか寂しさも映像から感じられると思います。

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制作することで変化した視野

──マンボウさんがお父さんのビデオテープコレクションを見つけたのは、中学生の時だったそうですね。

やっぱりその時は、かなりショックでした。でも大人になって、作家活動をする中でそのビデオをもう一度見直した時に初めて、父はアーティスティックな作業をやっていたんだということに気づいたんです。三脚を立ててカメラを回して、脚本的なものもあれば、編集も凝っていて、音楽をつけて……と、並々ならぬ執念とセンスを感じるディレクションをしていることに改めて驚きました。ビデオテープは父の創作であり、父の作品なんだ、って。以降は、僕は“父のプライベートを覗き見している息子”ではなく、一作家として、父との関係性を切り替えなきゃいけないと思うようになりました。だからこそ、父のビデオテープをそのまま僕の作品として見せることはできない。もちろん父は自分が作家だなんて思ってもいないけれど、それは僕自身の問題であって、作家としての僕の表明でもあると思うんです。

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──マンボウさんが作品を作ることで、お父さんとの関係性を再発見し、再構築していると言えそうですね。

本当は、父の回顧展ができるなら僕は喜んで手伝いたいと思っているくらいなのですが、残念ながら最近、父は大病をして少し記憶障害が出てきています。でも今回、僕が初めて日本で展覧会のチャンスをいただいたことを伝えると、「何も恐れることはない。自分の自由と意志を信じてやればいいよ」と喜んでくれました。そして、「私のビデオは好きに使っていいよ」とも。

──今回展示を構成するうえで、大変だったことはありますか?

parcelはコンパクトな空間ということもあって、入り口から入った瞬時に強いメッセージをどんと伝えることに焦点を絞る必要がありました。それを実現させるためには、膨大な写真の中から取捨選択することが鍵になったと思います。大きな美術館でゆっくりと物語を紡ぎながら見せることとは違い、ここではよりシンプルでより簡潔であることが重要です。美術館で発表したものをギャラリースケールで再構築することは、僕にとってとてもチャレンジングなことでした。

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鮮やかな色と、込められたメッセージ

──マンボウさんは雑誌や広告でファッション写真家としても活躍されていますが、見る人をまず惹きつけるビジュアルづくりとして心がけていることはありますか?

コマーシャル写真にしても、アーティストとしての制作にしても、色にすごくこだわりを持っています。それは、子供の頃の生活環境に大きく影響を受けていて、父を撮影した写真を見るとわかりやすいですが、父はバラが大好きで、鮮やかな色彩のものが周囲にあふれていました。撮影はセッティングしたわけではなく、すべて彼の私物です。そしてまた、僕は台湾という南の島国で生まれ育っていて、燦々と降り注ぐ太陽を浴びる環境にはやはり色彩が豊かなものが多いですね。そういった環境は、自分のアイデンティティと深く関わっているので、コマーシャルとアートを分けずに一貫してカラフルであることが僕の写真の特徴だと思います。

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──このギャラリーに一歩足を踏み入れた時にも、色彩がまず目に飛び込んできました。

写真の中のモチーフの関係性というよりも、この空間に入ってきた時にはまず色を感じられるように、色の関係性を見ながら作品の配置を決めていきました。そしてもう一つの軸となったのは、写真が持つビジュアル言語としてのメッセージ性について。叙述的なストーリーをどのように読み解いてもらえるかということを意識しながら、写真を配置してもいます。しかし一方で、ビジュアル言語だけでは掬いきれないメッセージやストーリーもあるので、映像の中の会話や手紙の中の文字といった言葉を持ち込むことで、写真に強度を持たせ、また、見る人とのインタラクティブな対話を生み出したいと考えました。

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──直接的ではないものの、写真にはヌードや性的なシーンもあるので、ともすればグロテスクに感じたり、嫌悪感を感じたりする人もいるかもしれません。一方で、月や自然風景を切り取った普遍的なモチーフの作品が、抽象的に併置されていますね。そのあたりのバランスは意識されていますか?

抽象と具象のバランスは、偶然的なものもあれば意図的なものもあり、ないまぜになっていると思います。今回は、前述した2019年の台北市立美術館での個展の再構成ということに軸足を置いていますが、2019年は台湾で同性婚が合法化された年ではあったものの、公共の美術館で僕のような作家が大々的に個展をするのは前代未聞のことでした。もちろん美術館側から表現について制限はありませんでした。しかし、僕自身が自分を検閲するような感覚に陥ってしまったんです。プライベートでセクシャルな写真を展示して本当に大丈夫なのか?って。そういった不安の中では、やはり理知的な判断に依拠する部分があるのも事実。今回も、日本の皆さんは果たして受け入れてくれるのだろうかという一抹の不安がありますが、いい展示にしたいという気持ちで、「美しいな、面白いな」と感性に届くようなアプローチをしたいと思っています。

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──他にも、今回の展示を通じて伝えたいメッセージがあればお願いします。

同性愛者のコミュニティにいる人ではなくても、親子や家族の関係性というものは誰しもが持っていますよね。そのような普遍的なテーマは多くの人に届くはず。特定のコミュニティやグループという見方を超えたところで、皆さんと作品を通じた対話ができたらいいなと思います。

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登曼波(Manbo Key)

マンボウ・キー/1986年、台中(台湾)生まれ。台北を拠点にする写真家・アーティスト。大葉大学グラフィックデザイン学科卒業。映画美術に携わりながら写真を撮り始める。『Vogue Taiwan』『GQ Taiwan』『marie claire』などのファッション、広告、多数のセレブリティのプロジェクトに携わる。アーティストとしては、2019 年に台北市立美術館で開催された個展『父親的錄影帶 | Father’s Videotapes』をはじめ、香港、ベルリン、東京など海外でも幅広く活動を展開。
IG:@manbo_key

『父親的錄影帶|Father’s Videotapes』

期間:6月8日〜7月7日
場所:parcel
住所:東京都中央区日本橋馬喰町2-2-14 まるかビル 2階

parcelは、東京・馬喰町のDDD HOTELの一角にあるアートギャラリー、PARCELが、2022年に2 拠点目として、裏側に位置するビル2階にオープン。PARCEL/parcel は両スペースを通して、時代に対して多角的なメッセージを発信している。PARCELのディレクター佐藤拓が監修する南青山のAMATEUR(H BEAUTY & YOUTH内)でも、マンボウ・キーの個展が同時開催中(〜8月29日)。
https://parceltokyo.jp

ギャラリー:写真家・マンボウ・キーが父のセックスビデオから再構築する父子の関係
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写真・Packychong Song
文・中村志保
編集・高田景太(GQ)
通訳・池田リリィ茜藍