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ダイアナ妃 / Princess Diana

1961年7月1日、スペンサー伯爵家の嫡男、オールトラップ子爵エドワード・ジョン・スペンサーと子爵夫人フランセスとの間に生まれた「ウェールズ公妃ダイアナ(Diana, Princess of Wales)」。全名、ダイアナ・フランセス。イギリス王室第1位王位継承権者ウェールズ公チャールズの最初の妃。 1969年、ダイアナが6歳の時に両親が離婚。母はピーター・シャンド・カイッドと再婚し、ダイアナ妃は2人の姉と弟とともに父に引き取られた。8歳の時にノーフォーク州にある全寮制の学校、リドルズワース・ホールに入学。その後転校を繰り返し、イギリスのイングランドにある寄宿学校に編入し、当時姉のセーラと交際していたチャールズ皇太子と出会った。 1975年、祖父が他界したことで父がスペンサー伯爵位を継承。ダイアナは妃の称号を得た。1977年にはスイスにあるフィニッシング・スクール、アルパン・ヴィデマネット学院に入学するも、中退。その後ロンドンに移住。1979年、王室のサンドリンガム邸で開催されたパーティーに招待され、チャールズ皇太子と再会。それがきっかけとなり、2人の距離が縮まり1980年に交際がスタート。1981年に婚約を発表し、同年の7月29日、セント・ポール大聖堂で結婚式が執り行われた。式の様子はテレビ中継され、世界70カ国、約7億5,000人もの人々が2人の結婚を祝福した。 ファッションアイコンとして注目の的だったダイアナ妃。ロイヤルウエディングではダイアナ妃のドレスやジュエリーにも世界中の関心が寄せられていた。ダイアナ妃は製作に100日以上を要したと言われている1万個ものパールがあしらわれた英国製シルクのウエディングドレスを纏って登場。ロイヤルウェディングとして史上最高となる7.6メートルもヴェールからも品格の高さが伺えた。スペンサー家に代々伝わる家宝のスペンサー・ティアラが清楚な輝きを添えた。 1982年5月よりチャールズ皇太子とともにケンジントン宮殿で暮らしはじめ、ウィリアム王子ヘンリー王子と2人の男児に恵まれるも、価値観の不一致により夫婦間に危機が訪れた。 1992年12月に別居生活に入り、1996年に離婚が成立。離婚後は自身の名声を最大限に活かすことができる慈善活動への本格的な取り組みを開始。HIVやガン患者に関するチャリティーに参加するほか、地雷廃絶問題では地雷原の視察や被害者に対面し励ましの言葉をかけるなど、世界各地が抱える問題への認知度を高めた。 1997年、8月31日、ダイアナ妃は交際相手のドディ・アルファドとともにパリのトンネル内で起きた衝突事故で他界した。 ◼︎ダイアナ妃の注目記事:

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