パウル・キルヒホフ (地理学・人類学)
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人物情報 | |
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生誕 |
1900年8月17日 ドイツ ヴェストファーレン州ヘルステ |
死没 |
1972年12月9日(72歳没) メキシコ メキシコシティ |
市民権 | メキシコ(1941年) |
出身校 |
ベルリン大学 フライブルク大学 ライプツィヒ大学 |
学問 | |
研究分野 | メキシコと中央アメリカの原民族 |
研究機関 |
メキシコ国立歴史人類学学院 メキシコ国立自治大学 |
指導教員 | エドワード・サピア |
学位 | 博士 |
特筆すべき概念 | メソアメリカ |
パウル・キルヒホフ(ドイツ語: Paul Kirchhoff、1900年8月17日 - 1972年12月9日[1])は、ドイツ生まれの人類学者で地理学者。
経歴
[編集]ベルリン大学でメキシコの民族学について学んだ後、1938年にメキシコ国立人類学歴史学学校の共同創立者となった。彼は、メキシコ国立自治大学の研究者となった。1972年にメキシコシティで亡くなった。
共産主義者であったことでも知られる。メキシコのGrupo de Trabajadoresと呼ばれる組織に属していた。KAPDのメンバーでもあった。
研究内容・業績
[編集]彼の業績として知られるのは、メキシコと中央アメリカの民族誌、民族、民俗習慣に関しての研究を行って、高度な農耕文化に支えられた文明が発展した地域について「メソアメリカ」という概念を提唱したことである。彼は1972年にメキシコシティで亡くなったが、メソアメリカの概念は、それを提唱した彼の名前とともに記憶され、メキシコからパナマまでの地域の人類学、考古学を研究する上で重要な概念として用いられている。
脚注
[編集]- ^ Short Portrait: Paul Kirchhoff - ウェイバックマシン(2023年1月6日アーカイブ分)