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大野明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大野 明
おおの あきら
生年月日 1928年11月13日
出生地 日本の旗 岐阜県山県郡(現山県市
没年月日 (1996-02-05) 1996年2月5日(67歳没)
出身校 慶應義塾大学法学部政治学科
前職 衆議院議員議員秘書
所属政党 自由民主党(無派閥)
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
衆議院永年在職議員
配偶者 妻・大野つや子(参議院議員)
子女 次男・大野泰正(参議院議員)
親族 父・大野伴睦(衆議院議長)

日本の旗 第63代 運輸大臣
内閣 第2次海部内閣
在任期間 1990年2月28日 - 1990年12月29日

日本の旗 第45代 労働大臣
内閣 第1次中曽根内閣
在任期間 1982年11月27日 - 1983年12月27日

選挙区 岐阜県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1995年7月 - 1996年2月5日

選挙区 旧岐阜1区
当選回数 9回
在任期間 1964年6月 - 1983年11月28日
1986年7月6日 - 1993年6月18日
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大野 明(おおの あきら、1928年11月13日 - 1996年2月5日)は、日本政治家位階正三位勲等は勲一等。

衆議院議員(9期)。参議院議員(1期)。労働大臣(第45代)。運輸大臣(第63代)。

衆議院議長自由民主党副総裁を務めた大野伴睦の四男。

来歴・人物

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岐阜県山県郡美山町生まれ。慶應義塾幼稚舎慶應義塾普通部慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、父の秘書を務める[1]1956年11月、大野つや子と結婚。

1964年、父の死去に伴い、後継者として第30回衆議院議員総選挙岐阜1区補欠選挙に自由民主党から立候補し初当選。

1982年第1次中曽根内閣労働大臣として初入閣。1983年第37回衆議院議員総選挙では現職閣僚でありながら落選。

1986年第38回衆議院議員総選挙で当選。1990年第2次海部内閣運輸大臣を務める。1992年、衆議院議員在職25年を迎え、衆議院より院議をもって表彰された[2]1993年第40回衆議院議員総選挙では新党ブームと野田聖子の初当選もあり落選する。

1995年第17回参議院議員通常選挙岐阜県選挙区に立候補し当選。

議員在職中の1996年2月4日夜、家族や知人とドライブや食事をした後、帰宅の途中に急に息苦しくなり病院に搬送されたが、翌5日、急性心筋梗塞のため、死去した[1]。67歳没。死没日をもって正三位に叙され、勲一等旭日大綬章を追贈された[3]哀悼演説は同月23日の参議院本会議で、平井卓志により行われた。

同年3月、死去に伴う参議院岐阜県選挙区補欠選挙で妻のつや子が後継として立候補し当選、参議院議員として通算2期務めた。

家族

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関連項目

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脚注

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公職
先代
江藤隆美
日本の旗 運輸大臣
第63代:1990年
次代
村岡兼造
先代
初村滝一郎
日本の旗 労働大臣
第45代:1982年 - 1983年
次代
坂本三十次
議会
先代
奥田敬和
日本の旗 衆議院予算委員長
1988年 - 1989年
次代
中尾栄一
先代
中川一郎
日本の旗 衆議院運輸委員長
1976年 - 1978年
次代
増岡博之
先代
野原正勝
日本の旗 衆議院社会労働委員長
1975年 - 1976年
次代
熊谷義雄