コンテンツにスキップ

赤色エレジー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

赤色エレジー」(せきしょくエレジー)は、林静一が漫画雑誌『ガロ』に1970年1月号から1971年1月号まで連載した劇画。また、同劇画をモチーフとして1972年4月25日に発売されたあがた森魚シングル曲。

劇画

[編集]

漫画家を目指すアニメーターの青年・一郎と、その恋人・幸子の同棲生活を描く。

書籍

[編集]

日本以外に海外でも翻訳出版されている。

  • 『赤色エレジー 現代漫画家自選シリーズ1』青林堂 1971年3月(オリジナル版)
  • 『赤色エレジー』主婦の友社 1978年7月
  • 『赤色エレジー』小学館 1992年3月 ISBN 4091973019
  • 『赤色エレジー』小学館文庫 2000年7月 ISBN 4091924719(表題作他、短編6作品収録)
  • 『赤色エレジー シリーズ昭和の名作マンガ』朝日新聞出版 2008年12月(表題作他、短編6作品収録、絵コンテ併録)

シングル

[編集]
「赤色エレジー」
あがた森魚シングル
初出アルバム『乙女の儚夢(ろまん)』
B面 ハートのクィーン
リリース
規格 シングル
ジャンル J-POP
時間
レーベル ベルウッド
作詞・作曲 あがた森魚、八洲秀章
チャート最高順位
  • 週間7位(オリコン
  • 1972年度年間37位(オリコン)
あがた森魚 シングル 年表
赤色エレジー
1972年
清怨夜曲
(1972年)
テンプレートを表示

解説

[編集]

四畳半フォークの代表曲の一つ[1]。林静一の同名劇画に、あがたが感銘を受けたことにより作られた。そのため、林がシングル盤のジャケットイラストを描いている。

作曲者が八洲秀章となっている理由は、曲が八洲の作曲した『あざみの歌』に似ていることからレコード会社側の判断で八洲の作曲と表記したのであって、実際は作曲もあがたが手掛けている。あがたは直接八洲と会っており、その際に八洲から譜面を出されて「一緒じゃないか」と指摘されるも、あがたは「別にあなたの曲を聴いてこの曲を作ったわけじゃない」と反論、押し問答をしてそのままになった。後日「作曲者は八洲先生になりました」と報告を受け、解せないまま終わりになったという[2]。 なお、蜂蜜ぱいがバック演奏を担当していることから、シングル盤のレーベルでのアーティスト表記は「あがた森魚+蜂蜜ぱい」となっている。

ベルウッドレーベル最初のシングル盤として発売され、60万枚[3]を売り上げ、大ヒットした。

収録曲

[編集]
  • A面 赤色エレジー(作詞・編曲:あがた森魚 / 作曲:八洲秀章) - 映画『赤色エレジー』主題歌
  • B面 ハートのクィーン(作詞・作曲・編曲:あがた森魚)

うた絵本

[編集]

ベルウッドからシングル盤を出すメジャーデビュー前の1971年12月25日に、自主制作で「うた絵本 赤色エレジー」(幻燈社)として林静一の書き下ろしによる絵本付きで同曲のシングル盤[4]を出しており、1972年2月25日に再版されている。その時のカップリング曲はメジャー盤の次作シングル曲として『清怨夜曲』に改題し発売。「うた絵本」版『赤色エレジー』は、2011年2月23日に絵本付きCDとして復刻された。幻燈社の「うた絵本」版シングルのクレジットは以下の通りで、この時点ではまだ作曲者が八洲秀章とはなっていない。

  • 散面 赤色エレジー(詞曲唄:あがた森魚 / 演奏:南部菜食バンド)
  • 華面 清怨夜楽(詞曲唄:あがた森魚 / 演奏:池田屋六重奏団)

参考文献

[編集]
  • あがた森魚、今村守之『愛は愛とて何になる』小学館、2022年。ISBN 978-4-09-388880-6 

脚注

[編集]
  1. ^ 鈴木琢磨 (2011年8月26日). “人生は夕方から楽しくなる:四畳半フォークから新境地へ あがた森魚さん”. 毎日新聞夕刊 (毎日新聞社): p. 3 
  2. ^ 「ワイドインタビュー問答無用 No.849「ギターを背負って歩く あがた森魚」」『週刊エコノミスト』、毎日新聞社、2021年7月13日号。 
  3. ^ あがた森魚 2022, p. 100.
  4. ^ 制作はインディーズの芽璃懺堂レコード

関連項目

[編集]
  • 赤灯えれじい - 『赤色エレジー』の題名をもじった、きらたかしの漫画作品。一途な純愛と同棲がテーマ。
  • 僕は天使ぢゃないよ - 本作を原作に、あがた森魚が製作・ 脚本・監督・主演・音楽を務めた自主制作映画(1974年公開)。