ZENDAMAN(ゼンダマン)──ジャマイカ移住4年で掴んだオリジナルスタイル

無名のレゲエアーティストが、高校卒業後にジャマイカへと移住。ひとつずつスキルを積み上げ、ついに凱旋帰国ライブを行った。いまやジャマイカでもバズっているゼンダマン。その生い立ちから、現在、未来までを語った。
ZENDAMAN(ゼンダマン)──ジャマイカ移住4年で掴んだオリジナルスタイル

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ICHISEI HIRAMATSU

──ジャマイカに旅立ってから、今回が初帰国ですか?

ゼンダマン 18歳(2018年)でジャマイカに行って、1年後に半年くらい日本に戻ってきたことがあります。そこからまた行って、今回は約4年ぶりの帰国です。

──YouTubeチャンネル「ゼンダミゼンダ」のファンは、ついに日本で観られる!という思いが強いと思います。ジャマイカでの奮闘を我が子のように応援している人も多そうですね。

そうなんですよ。知らない人からもよく「大きくなったな」って言われるんです(笑)。

ZENDAMANのジャマイカでの生活や音楽活動を映したYouTubeチャンネル「ゼンダミゼンダ」がレゲエファンを中心に人気だ。

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父親の影響でレゲエを聴くようになった

──今日は改めて、ルーツから訊きたいと思います。レゲエを好きになったきっかけはお父さんの影響ですか?

そうなんです。父親はジャパレゲがすごく好きで、車では必ず流れていました。PUSHIMさんやFIRE BALLさん、RYO the SKYWALKERさん、Spinna B-ILLさんとか。でも、最初はとく何も思わず……。

──レゲエにピンときた瞬間はいつ頃だったのでしょう。

5歳くらいときだと思うんですけど、KeycoさんとCHOZEN LEEさんの楽曲「SPIRAL SQUALL(DANCEHALL MIX)」を聴いたとき、自分のなかで何かが始まったんです。「もう1回最初からかけて!」と、生まれて初めてのコマゲン(註)をしました(笑)。そこからは、同じ曲ばかりずっと聴いていて、好きな曲は何度聴いても飽きないことを知ったんです。

~註:パトワ語(ジャマイカ英語)でカムアゲインの意味。「もう1回楽曲をリピートして!」とセレクター(DJ)に使う言葉。~

その3年後、両親が毎年行っていた「東北レゲエ祭」という地元の音楽フェスに連れていってもらって、そこからは夏の家族行事みたいになりました。小学校の高学年くらいからは率先してステージ前に行くようになり、YouTubeでレゲエミュージックを掘るようになりました。

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中学3年生でジャマイカ行きを決意

──レゲエ成分がじわじわと浸透していったのですね。

ですね。中学3年生のとき、「東北レゲエ祭」にジャマイカからジェシー・ロイヤルが来たんですよ。翌年はビーニ・マンが来て。そのふたりを観たとき、なぜかよくわからないけど「絶対にジャマイカに行こう!」と思ったんです。カッコよすぎたし、このヴァイブスを現地で味わいたくて。

──すごい目覚め方ですね。マイクをもつようになったのはいつからですか?

高校1年生のときです。友だちに誘われて、ロックバンドのベースとして一度だけライブに出たことがあるんですけど、そのときに、すごいパフォーマンスをするためには、伝えたいメッセージがないといけないと気づいたんです。ベースでは自分の思いは表現できなかった。そこからリリックを書き始めて、YouTubeでリディム(インスト曲)を探して、地元のライブハウスで歌うようになりました。

──ライブハウスでレゲエをやっている人は、ほかにもいたのですか?

いなかったです。地元のクラブにはレゲエのイベントもありましたけど、年齢的に行けなかった。同世代にメッセージを伝えたいという思いが強かったので、ライブハウスに出ていたんです。

──当時、伝えたかったメッセージというのは?

誰かが決めた正しさではなく、それぞれの個性を大事にして「自分で判断しよう」ということです。

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何のアテもなく高校を卒業してすぐジャマイカへ

──そのメッセージを体現するかのように、高校を卒業してすぐにジャマイカへ行くわけですね。

そうですね、卒業式の1~2週間後に行きました。というのも、自分はレゲエのことをあまりにも知らないと思ったから。それなら、ジャマイカに行って本場のレゲエを吸収して、スキルも、ヴァイブスも、レゲエ愛も増やすのがいちばんの近道だと感じたんです。

──ジャマイカには何かアテがあったのでしょうか。多少は英語ができたとか。

いえ、宿を予約した以外のアテはなかったです。みんなが受験勉強をしているときにパトワ語(ジャマイカ英語)学習本みたいなものを読んでいましたけど、それはまったく役に立たなかったです(笑)。

──そうなると、現地で大活躍している音楽プロデューサーのGACHA MEDZ(以下ガチャ)さんとはジャマイカで知り合ったわけですか。

そうです。泊まっていた宿に、たまたま同い年くらいの日本人がいて。彼がガチャさんに音楽を教わっていたんですよ。その縁でガチャさんが宿まで会いに来てくれたんです。いまも覚えているのですが、「お前はスターになりたいのか?」と訊かれて、「僕のなかでもう僕はスターなので、あとはどれだけの人に知ってもらえるかだと思っています」と答えたんです。最初は呆れた顔をしていましたけど、「俺が出会ってきたスターたちも同じようなこと言ってたな」って。そこから、とにかく一緒に音楽をやってみようと。

──映画みたいな話ですね(笑)。

次の日にはガチャさんのスタジオで録音していました。

──それが2018年6月にリリースされた「気持ちいいぜBABY」ですか?

そうです。でも、僕が知っていたレコードレーベル「ガチャパン・レコード」(註)と、目の前のガチャさんが最初はつながらなくて。あとで「ガチャパン・レコード」のガチャさんだとわかって驚きました。

~註:2009年から2015年までジャマイカを拠点に活動していた音楽レーベル。メンバーはトラックメイカーのGACHAとプロデューサーのPANCHOという日本人ふたり。日本人アーティストのみならず、ジャマイカ国内のアーティストも起用し、ヒット曲を生んだ。~

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最初の1カ月はジャマイカの生活に喰らいました

──そんなジャマイカでの生活は、やはり衝撃的でしたか?

最初の1カ月くらいは喰らいましたね。水が止まったり、寝ていると上からネズミが落ちてきたり。自分の想像していたジャマイカは、ルーツレゲエのような、のんびりした南国のイメージだったんです。でも、実際に街で流れているのはダンスホールトラックだし、治安が悪いエリアも多いし……。だけど生活するうちに、ヒップホップやクラブミュージックのようなサウンドの、いま流行っているダンスホールトラックも好きになったんです。そこにもやっぱりレゲエっぽさがあるんですよ。

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──そのレゲエらしさは、どういうところに感じますか?

精神の部分というか、嘘偽りなく、リアルな感情を音楽に反映させるところですね。

──最近はパトワ語でも歌っていますが、日本語で歌うときとはどう使い分けているのでしょう。

ずっと日本人向けに日本語でやってきたのですが、長く住んでいるうちにジャマイカの言葉でも歌えるようになってきて。現地でも歌いたいですし、それがやっとできるようになったのが大きいです。同時に、「日本人がパトワ語でやったらバズるだろうな」とも思っていて、実際にちょっとバズりました。

でも、いまのところは「こいつ日本人なのに、ジャマイカ人みたいなことを言ってる」みたいな状態なんです。さらなる盛り上がりをつくるには、本当の意味で「こいつの音楽はやばい」と思わせないと。次に目指すのはそこですね。

──2022年12月には、ジャマイカの大型音楽フェス「スティング」にも出演しましたが、いかがでしたか。

盛り上がりましたね。向こうは、思いっきりいったもん勝ち、みたいなところがあるんです。だから、ステージングを意識するというより、そのときのノリとヴァイブスで、日本人がおもいっきりやったら盛り上がることがわかっていたんです。「スティング」のほかにも、「ゲットースプラッシュ」という3000~5000人集まるフェスにも出ました。

若いジャマイカ人アーティストの多くは、クラシックなリディムで歌えない

──毎回、ライブでは古典的なリディム(楽曲/トラック)である、プナニーリディムで登場しています。それはなぜなのでしょう。

クラシックなリディムで日本人が出てくるのが面白いからですね。そのギャップを狙っています。あと、いまの世代のジャマイカ人アーティストは、世代が違いすぎてオールドスクールなリディムに乗れないんですよ。いきなり「演歌を歌え」っていうようなものなんです。

──そうなんですか!

自分は昔からレゲエが好きだったし、クラシックも学びたくて、YouTubeでもそういうアーティストを掘ってきました。そういう部分は、いまの若いジャマイカ人より絶対知っているし、乗ることもできると思います。

──2019年9月から始まったYouTubeは、どういうきっかけがあったのですか?

一度日本に帰って、戻るタイミングで、ガチャさんが「YouTubeやるのはどうだろう」と言ってくれたのが始まりです。最初は悩んだのですが、面白いかもしれないなと思って。カッコいい部分だけじゃなくて、悔しい部分や、何も知らなくて困惑したり、ダサかったり、そういうのを全部さらけ出して見せていくことが大事なのかなと。実際、全部さらけ出したから、もっと歌えるようになりました。リアルを出していくことは、ジャマイカから学んだことのひとつです。

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ICHISEI HIRAMATSU

ジャマイカで盛り上げてからでないと帰国できなかった

──今回の日本でのライブは、どういった経緯で決まったのですか。

ずっと日本でライブをやりたいとは思っていたんです。そのためには、一回ジャマイカで盛り上げないと帰りたくないという思いがありました。それが「スティング」や「ゲットースプラッシュ」にも出演できて、一応は実現できたのかなと。それでやっと、日本でのライブの準備ができた気がしました。

──久しぶりの日本はどうですか。

ライブはめちゃくちゃよかったです。お客さんも新しい世代が来てくれたし、またレゲエが始まってきたなと感じました。強い思いをもった同世代のアーティストもたくさん出てきているし、今後も面白くなっていくと思います。

──今後、どういうアーティストになっていきたいですか。

メッセージを伝えていきたいのはもちろんですけど、曲調としては、レゲエだけでなく、ダンスホールにもチャレンジしていきたい。「自分の世代の音楽」をやっていきたいと思っているんです。新しいこともできるし、オールドスクールもいけるという究極系を目指しています(笑)。

ICHISEI HIRAMATSU

目立つなら、もっとポジティブに! もっとピースに!

──いま、自分がジャマイカに旅立ったときと同じ、18歳の若者にメッセージを送るとすればどんなことでしょう。

「こうすることが正しくて、それ以外はよくない」って風潮があります。けれど、自分がもっている個性を潰さないように生きたほうがいい。もし、いまの環境が自分を潰してしまうように感じたら、そこを抜け出したほうがいいです。

──日本の若い人は抑圧されているように見えますか。

ゼンダマン そうですね。日本に戻ってきて感じるのは、自分で考える前に「これをやったらダメだ」と思い込んでしまう感覚がこびりついているというか……。特別になりたい、目立ちたいという気持ちをもっているがゆえに、回転寿司で炎上している子たちとかは、そういう抑圧から抜け出そうとしているのでしょうが、やり方が間違っていると思います。人に迷惑をかけるんじゃなくて、もっとポジティブなヴァイブスで、そして、もっとピースなカタチで目立ったほうがいい。もっと自分のオリジナルな道を進んでほしいなと思います。

ZENDAMAN

レゲエアーティスト

2000年生まれ、岩手県出身。ジャマイカでの日々をリアルに届けるYouTubeチャンネル 「Zenda Mi Zenda」で話題をあつめる。クラシックから最新リディムまで幅広い曲調を得意とする。パトワ(ジャマイカ英語)で歌った楽曲「ChopShop」で現地ジャマイカでも知られる存在となった。

STAFF

写真・平松市聖、文・富山英三郎、スタイリングと編集・篠原泰之@GQ
ヘアメイク・MIKIO

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