7月1日は、亡きダイアナ元妃の誕生日。伝説のリベンジドレスから、今も生き続ける地雷根絶のレガシーまで、象徴的な瞬間を捉えた写真を通して彼女の人生を振り返る。 ダイアナ元妃は1990年代に最も写真を撮られた女性の一人だ。亡くなって25年がたった今もなお、インターネット上で彼女の写真や記事を目にしない日はない。 ダイアナ元妃がロンドンでHIVの患者と握手している写真がエイズに対する社会的な偏見が根強かった時代に与えた影響力は大きい。アンゴラで地雷原を歩いている写真も、人権問題に対する世界的な関心を高めるのに一役買った。そして、チャールズ皇太子がテレビで不倫を認めた際にダイアナが着ていた小さな黒いフロックは、「リベンジドレス」としてポップカルチャーに定着した。 故ウェールズ公妃を撮影した最も有名なスナップの数々を紹介する。 チャールズ皇太子との交際が始まって間もない頃に撮影されたダイアナ・スペンサー。当時19歳だった。 1980年、チャールズ皇太子との交際が明るみになり2カ月が経った頃に撮影された。 ロンドンの自宅前で愛車の「ミニメトロ」に乗り込むダイアナ・スペンサー。この数日後、正式に婚約が発表された。 1981年2月、バッキンガム宮殿で婚約会見が開かれた。 1981年5月、ウィンザー・ポロ・クラブにてWarm and Wonderfulの羊毛のニットを着ていた。あれから40年経った今、その人気はファッション界にカムバックしている。 秘密裡に製作が進められたウェディングドレスを纏い、セント・ポール大聖堂に現れた。 1981年、公務中に居眠りをしている姿が目撃され、「眠れる森の美女」のあだ名がつけられた。その数日後、ウィリアム王子を妊娠していることを発表した。 キャロライン・チャールズのタータンチェックのドレスに黒のタモシャンター帽を被り、スコットランドの伝統的なハイランドゲームズを観戦した。1981年9月撮影。 1985年11月、オーストラリア・キャンベラで開かれたディナーに出席。 1983年撮影。 1985年、アメリカのホワイトハウスにて俳優のジョン・トラボルタとダンスをした。 ケンジントン宮殿にて。 イギリスのグロスターシャーにあるハイグローブハウスにて。1986年7月18日撮影。 1987年4月にロンドンのミドルセックス病院にてエイズ患者専門病棟を開設し、患者と握手をするダイアナ元妃。 帽子ブランド「フレデリックフォックス(Frederick Fox)」のハットを被り、イタリアのアンツィオを訪れた。 1989年、香港にて。 1988年の第一次世界大戦休戦記念日のイベントにて。 1992年、インドのタージ・マハルのベンチに座るダイアナ元妃。同年、正式にチャールズ皇太子との離婚を発表した。 1993年、ウィリアム王子とハリー王子とともに遊園地のアトラクションに乗るダイアナ元妃。 1994年の夏、チャールズ皇太子とカミラ夫人の不倫関係が報道された日にロンドンのサーペンタイン・ギャラリーで開催されたパーティーで纏った、伝説の“リベンジドレス”。クリスティーナ・スタンボリアン(CHRISTINA STAMBOLIAN)のリトルブラックドレスを完璧に着こなし話題をさらった。 1995年11月、ロンドンにあるスポーツジムを後にするダイアナ元妃。航空会社ヴァージン・アトランティックのスエットを着た彼女のジムスタイルは、ファッション信者からカルト的人気を博した。 1997年に防弾チョッキにフェイスカバーをつけ、アンゴラの地雷地帯に足を踏み入れた。兵器の製造に反対する姿勢を示し、対人地雷禁止条約(オタワ条約)締結には彼女の貢献があったと言われている。この写真は、平和を願う彼女のアイコニックなイメージとなった。 Text: Elise Taylor Photos: Getty Images From: VOGUE.COM