総費用は950億円超え。インド一の大富豪カップルの豪華絢爛な結婚式に潜入
総額費用は950億円とも噂される、アナント・アンバニとラディカ・マーチャントの結婚式にUS版『VOGUE』が独占密着。贅の限りを尽くしたオートクチュールピースやハイジュエリーのほか、世界各国から駆けつけた政治家やセレブたちのゲストルックなど、豪華絢爛なウエディングの全貌をここでしか見られないエクスクルーシブな写真とともにお届けする。
7月12日(以下、現地時間)からインドのムンバイで開かれた、大富豪カップルのアナント・アンバニとラディカ・マーチャントのウエディングセレモニー。『ニューヨーク・タイムズ』紙や『BBC』といったメディアは現地へリポーターを派遣し、その全容を大々的に報じていることからも、世界中が注目した結婚式だったと言っても過言ではない。
石油化学品および繊維メーカーのリライアンス・インダストリーズ会長のムケシュ・アンバニと妻のニタ・アンバニは今年3月初旬、息子と婚約者のために3日間にわたるハスタクシャールことプレウエディングセレモニーを開いており、リアーナがパフォーマンスを披露したことでも話題に。5月にはロンドンと地中海を航行するクルーズを企画するなど、その桁違いの豪華さが度々取り上げられた。結婚前のイベントがこんなに盛大だったら、実際の結婚式はどんなものになるのだろうと、疑問に思った人も多いだろう。
結婚式の日取りは、緻密に計画されたものだとラディカは明かす。「日程は、私たち家族のプジャリ(祭司)のアドバイスで、7月の12日、13日、14日と戦略的に決められました。プジャリは私とアナントのチャートの吉兆な占星術の配置に基づいて、私たちのお祝いのための日時を特定したのです。それはとても入念なプロセスでした」
結婚式全体のプランニングはニタ・アンバニと娘のイーシャ・アンバニ、そして義理の娘のシュローカ・アンバニが立てたそうで、「義母は結婚式のCEOのようでした」とラディカ。アンバニ家のスタッフに加え、イベントプランナーからなる複数のチームが編成されたという。「ニタの献身とヴィジョンのおかげで、私たちの祝典はすべて実現したのです」
結婚式前のイベントでは、ジャスティン・ビーバーがパフォーマンスを披露
結婚式の一週間前の7月5日には、新郎新婦とその家族がダンスを踊り、二人の門出を祝う「サンゲート」と呼ばれるイベントも開かれた。この日、ラディカとアナントが纏ったのはアブ・ジャニ・サンディープ・コスラ(ABU JANI SANDEEP KHOSLA)による衣装。アナントのボタンには、カンティラル・チョータラル(KHANTILAL CHHOTALAL)のルビーダイヤモンドがあしらわれていた。胸もとにはチーターのブローチがつけられていたが、これは彼がグジャラート州に保有する3000エーカーの動物保護保護区、ヴァンタラに着想を得たものだ。一方のイーシャが選んだのは、スキャパレリ(SCHIAPARELLI)によるカスタムサリー。フランスのオートクチュールメゾンがサリーをデザインしたのは、これが初となる。
宴もたけなわとなり、ジャスティン・ビーバーがプライベートコンサートのステージに立つと、ラディカはマニッシュ マルホトラ(MANISH MALHOTRA)のメタルメッシュのサリーに着替えた。この一着について彼女は、「モダンなひねりを加えたコルセットが特徴でした」と説明する。「非常に重たかったのですが、それでも着る価値がありました」
その後数日間はプージャと呼ばれる祈りの儀式と、花嫁とゲストが手足にヘナを描くメヘンディの儀式が行われ、7月11日には結婚を控えたカップルが繁栄を祈願してターメリックを顔や手に塗る伝統行事のハルディが続いた。ラディカはこの日、アナミカ カンナ(ANAMIKA KHANNA)のシャララパンツを穿き、花で作られたドゥパッタというストールを羽織った。「その雰囲気は喜びに満ちていて、ちょっとカオスのようでもありましたね。ハルディは、私にとって最も大切なものでした」と彼女は振り返る。
色鮮やかに彩られた、インドの伝統的な儀式の数々
翌7月12日はバラートと呼ばれる新郎のパレードの日。ジオ・ワールド・コンベンションにアナントが馬に乗って登場するなか、何百人ものダンサーによるパフォーマンスが展開された。トニー・ブレア、ニック・ジョナス、プリヤンカー・チョープラーらとともに出席した2,000人以上のゲストの一人であるデザイナーのプラバル・グルンは、このバラートについて「この世のものとは思えないものでした。こんな祝賀は見たことがありません」と話す。「会場全体が花の装飾とバリウッドスターたちで埋め尽くされていました。そこでダンスと歌がひっきりなしに繰り広げられたのです」
色鮮やかなフラワーアレンジは、イベントプラナーのプレストン・ベイリーによるもの。サルやゾウ、トラといった60以上の動物をインドの花々で作るため、彼は3週間前から準備を始めたそうだ。ひとつの作品を制作するのに要した花は、10万本以上。彼が寝る間を惜しんで制作したインスタレーションを写真に収めようと、ゲストたちが列をなしていた。
短い休憩を挟むと、ようやく結婚式の時間に。ヒンドゥー教の伝統であるジャイマラで始まり、アナントとラディカはお互いを受け入れることを象徴する花輪を交換した。その後はラディカの両親がアナントに娘との結婚を祝福するカンヤダーンが続き、新郎新婦が火を囲んで回礼する実際の式が執り行われた。ラディカはその儀式を「厳かでありながら魅惑的なもの」だと表現する。
「それぞれの誓いには、愛、貞節、繁栄、相互尊重の約束が含まれ、私たちの結婚生活の基盤を作るのです」と彼女は言う。シンドゥール・ダーンとマンガルスートラの儀式では、アナントがラディカの髪に朱を入れ、神聖な首飾りであるネックレスを首に巻いた。ラディカ曰く、これは西洋の結婚式における指輪の交換に似ている。セレモニーは、アーシルワッドという年長者から祝福を受ける儀式で締め括られた。
この神聖な瞬間のために、ラディカはアブ・ジャニ・サンディープ・コスラ(ABU JANI SANDEEP KHOSLA)による、グジャラートの伝統であるパネタールサリーに敬意を表した赤と白のオートクチュールルックをセレクト。ガグラはストーンやスパンコールとともに複雑な花のモチーフで飾られていた。頭には、繊細な模様とカットワークが施されたヴェールが。その長さは2メートルにも及び、彼女はそのデザインを「(ペルシャからインドに伝わった金の刺繍)ザリ・ザルドジの傑作」と絶賛する。
ラディカの首もとにあしらわれたブライダルネックレスは、家族に代々伝わるもの。「姉や叔母たちが結婚式で身に着けたネックレスは、私に特別な力と祝福を与えてくれたと心から信じています」と彼女は話す。
新婦家との別れの儀式であるビダイについては、「妻としての新しい人生の始まりと、娘としての役割の終わりを告げる、ほろ苦くセンチメンタルな瞬間」だとラディカ。ビダイで彼女が纏ったマニッシュ マルホトラ(MANISH MALHOTRA)のカスタムメイドによるレッドとゴールドのレヘンガには、100年以上前に仕立てられたブラウスが用いられた。ドレスやジュエリーはすべて彼女が小さい頃から母や姉と一緒に考えてきたもので、「トレンドにはあまり関心がなかった」そうだ。
二人は土曜日、サラスヴァティー女神に祈りを捧げた。「この日、私はセレモニーのなかで一番好きなガグラを着用しました。私のお気に入りのアーティストの一人、ジェイシュリー・バーマンがアブ・ジャニとサンディープ・コスラとコラボレーションしたものです。バーマンはこのガグラの上に、ヴィシュヌ神とラクシュミー女神を中心とした世界を精巧に描いてくれました」 。宗教的な儀式にはインドのナレンドラ・モディ首相も出席し、国際的なメディアの注目を集めたことは言うまでもない。
続く日曜日に開かれた結婚披露宴には、14,000人以上が出席。ラディカは、ドルチェ&ガッバーナ(DOLCE&GABBANA)のゴールドのコルセットとアナミカ カンナ(ANAMIKA KHANNA)のサリーを纏い、結婚式の週末最後のイベントを締め括った。
すべての祝賀を終えた今、「言葉にできないほどの達成感」を味わっているというラディカ。「私たちは本当に長い間、とても親しい友人関係にありました。そして今、ようやく正式な夫婦として、人生の旅をともにしていくのです。これからどんなことが待ち受けているのか、楽しみで仕方ありません」と、この上ない幸せに満ちた様子で語った。