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カラカスFC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カラカスFC
原語表記 Caracas Fútbol Club
愛称 Los Rojos del Ávila[1], Los Demonios Rojos, El Rojo, El Avileño
クラブカラー 赤と白と黒
創設年 1967年
所属リーグ プリメーラ・ディビシオン
所属ディビジョン 1部
ホームタウン カラカス
ホームスタジアム エスタディオ・オリンピコ・デ・ラUCV
収容人数 23,940
代表者 ベネズエラの旗 ロスティン・ゴンサレス
監督 ベネズエラの旗 レオナルド・ゴンサレス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

カラカス・フトボル・クルブスペイン語: Caracas Fútbol Club)は、ベネズエラの首都カラカスを本拠地とするサッカークラブチーム。プリメーラ・ディビシオンでは史上最多の12度の優勝回数を誇る[2]

歴史

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1967年、ホセ・ベラスカーサやホルヘ・クベドゥなどのグループがヤマハFC(Yamaha FC)という名前で現在のカラカスFCとなるクラブを創立した。アマチュアチームとしてミランダ州のサッカー協会に登録し、当初は自由時間の有効活用する程度のクラブであったが、アマチュアリーグで成功を収め、1984年にはカラカス=ヤマハFCに名称を変更すると、セグンダ・ディビシオン(2部)への参加を認められた。

プロとしての初年度にリーグ戦を制し、プリメーラ・ディビシオン(1部)昇格の権利を得た。トップリーグ1年目は降格をなんとか回避し、1986年シーズンは降格の不安もなく、まずまずのシーズンを過ごした。RCTVがクラブの所有権を得てヤマハとの共同所有となり、現行のカラカスFCに改名した。

マヌエル・プラセンシア監督とルイス・メンドーサ監督の指揮下で1987年シーズンは過去最高の成績を残した。前後期終了後には上位8クラブによるセリエ・スダメリカーナに出場し、そこで上位2クラブに残ればコパ・リベルタドーレス予選出場権を獲得できたが、最終節でライバルのデポルティーボ・タチラに敗れ、惜しくも国際大会出場権を逃した。リーガ・ベネゾラーナは1988年にリーグ戦方式の改革が行われ、それまでの春秋制からヨーロッパの主要リーグと同じ秋春制に移行した。1988-89シーズンは順調な滑り出しを見せ、コパ・デ・ベネスエラでも勝ち上がったが、シーズン後半戦には出場停止者や負傷者が続出し、ほとんどチーム崩壊の状態に陥った。しかし、クラブの所有者であるギジェルモ・バレンティネルを中心としたCocodrilos Sports Organizationがクラブを救った。

1989-90シーズンはリーグ戦で4位となった。2年後の1991-92シーズンはプラセンシア監督の下でクラブ史上初のリーグ優勝を果たした。1993-94シーズンはペドロ・フェブレス監督の下で2度目のリーグ優勝を遂げ、不成功に終わった1994-95シーズンを経て、プラセンシア監督が復帰した1995-96シーズンには再びリーグ王者に返り咲いた。歴史的にコパ・デ・ベネスエラは不安定で魅力に乏しい大会であったが、1994年と1995年には同大会で2連覇を飾った。また、1995年にはコパ・リベルタドーレスで初めて決勝トーナメントに進出した。その後は4年連続で無冠に終わったが、カルロス・モレノ監督の下で5度目のリーグタイトルを獲得した。

1999年のコパ・メルコノルテでは準決勝に到達し、国際大会での最高成績を記録した。2000年には37歳のノエル・サンビセンテ監督が就任し、彼の下で2002-03シーズン、2003-04シーズン、2005-06シーズン、2006-07シーズン、2008-09シーズンと5度のリーグ優勝を果たした。2007年のコパ・リベルタドーレスではグループリーグを2位で突破したが、決勝トーナメント1回戦でブラジルのサントスFCに敗れた。2009年の同大会では過去最高のベスト8となった。2010年にはサンビセンテが退任してセフェリーノ・ベンコーモ監督が就任し、優勝決定戦(2試合制)でライバルのデポルティーボ・タチラを破って11度目のリーグ優勝を飾った。

ユニフォーム

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クラブカラ―は赤と白と黒である。ホームユニフォームは、黒色のラインが入った赤色のシャツ、黒色のパンツ、黒色のソックスである。アウェーユニフォームは、赤色のラインが入った白色のシャツ、赤色のラインが入った白色のパンツ、白色のソックスである。サードユニフォームは、赤色のラインが入った黒色のシャツ、赤色のラインが入った黒色のパンツ、黒色のソックスである。

スタジアム

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エスタディオ・オリンピコ・デ・ラUCV(2008-09シーズン)

2006-07シーズン以来、通常のホームゲームはココドリロス・スポーツパークで開催する。ココドリロスは最大で3,500人を収容できるが、将来的には6,000人収容に、さらに遠い未来には15,000人収容に拡張する計画がある。フィールドには人工芝が張られている。多くの観客を期待できる国内リーグ戦や国際試合などは、エスタディオ・ブリヒド・イリアルテで開催する。ブリヒド・イリアルテは同じくカラカスに本拠地を置くデポルティーボ・イタリアも使用している。公式には12,000人収容と発表されているが、ライバルのデポルティーボ・タチラ戦やサンパウロFC戦などで20,000人の観客を集めたことがある。近年は30,000人収容のエスタディオ・オリンピコ・デ・ラUCVでも試合を開催する。コパ・リベルタドーレスの試合は優先してオリンピコ・デ・ラUCVを使用し、重要な国内リーグ戦も同様である。ココドリロスの拡張・再設計工事の関係で、2007-08シーズン以来、オリンピコ・デ・ラUCVは暫定的なホームグラウンドとして使用されている。

タイトル

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国内タイトル

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1991-92, 1993-94, 1994-95, 1996-97, 2000-01, 2002-03, 2003-04, 2005-06, 2006-07, 2008-09, 2009-10, 2019
  • セグンダ・ディビシオン:1回
1984
  • コパ・デ・ベネスエラ:6回
1988, 1994, 1995, 2000, 2009, 2013

過去の成績

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シーズン 試合数 得点 失点 勝ち点 順位
1985 18 2 7 9 11 23 11 9位
1986 20 5 5 10 21 23 15 6位
1986-87 38 11 16 11 29 31 38 4位
1987-88 40 20 8 12 56 42 48 3位
1988-89 30 11 10 9 51 39 32 8位
1989-90 30 13 10 7 38 33 36 5位
1990-91 30 11 11 8 36 34 33 6位
1991-92 30 17 9 4 59 25 43 1位
1992-93 30 18 4 8 52 35 43 3位
1993-94 30 15 11 4 43 24 41 1位
1994-95 34 21 6 7 51 29 61 1位
1995-96 20 9 6 5 37 28 33 3位
1996-97 42 24 8 10 72 39 78 1位
1997-98 44 20 9 15 68 57 69 5位
1998-99 40 14 13 13 50 46 55 5位
1999-2000 50 21 18 11 84 60 81 4位
2000-01 18 10 5 3 34 15 35 1位
2001-02 36 13 11 12 67 41 50 5位
2002-03 36 16 13 7 55 32 61 1位
2003-04 36 23 9 4 70 25 78 1位
2004-05 36 18 11 7 51 33 65 2位
2005-06 38 18 10 10 61 40 64 1位
2006-07 38 19 15 4 53 28 72 1位
2007-08 36 20 15 1 66 30 75 2位
2008-09 36 21 8 7 67 36 71 1位
2009-10 36 23 7 6 71 31 76 1位
2010-11 34 23 4 7 56 27 73 3位
2011-12 34 19 7 8 50 33 64 2位
2012-13 34 19 11 4 48 25 68 3位
2013-14 34 16 14 4 55 33 62 4位
2014-15 34 21 7 6 56 27 70 3位
2015 19 7 10 2 23 10 31 7位
2016 38 15 16 7 59 34 61 4位
2017 34 15 8 11 48 39 53 7位
2018 34 17 7 10 44 32 58 2位
2019 37 18 12 7 56 30 26 1位
2020 14 9 3 2 25 9 30 4位
2021 35 19 10 6 70 33 67 2位
2022 36 11 14 11 32 36 36 11位

カップ戦

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1993: グループステージ敗退
1995: ベスト16
1996: グループステージ敗退
1998: 予選敗退
2001: 予選敗退
2002: 予選敗退
2004: グループステージ敗退
2005: グループステージ敗退
2006: グループステージ敗退
2007: ベスト16
2008: グループステージ敗退
2009: ベスト8
2010: グループステージ敗退
2011: グループステージ敗退
2012: 1回戦敗退
2013: グループステージ敗退
2010: 2回戦敗退
1998: グループリーグ敗退
1999: ベスト4
1993: ベスト8

現所属メンバー

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2022年3月6日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ベネズエラ アライン・バロハ
2 DF ベネズエラ エドゥアルド・フェレイラ
3 DF ベネズエラ ロスメル・ビジャヌエバ
4 DF ベネズエラ ディエゴ・オシオ
6 DF ベネズエラ ルベルト・キハダ
7 FW ベネズエラ ミゲル・セリス
8 MF ベネズエラ エドソン・カスティージョ
9 FW ベナン サムソン・アキニョーラ
10 FW ベネズエラ アルベルト・サンブラーノ
11 MF ベネズエラ ルイス・ラミレス
12 GK ベネズエラ クリスティアン・フローレス
13 DF ベネズエラ カルロス・リベロ
14 DF ベネズエラ サンドロ・ノタロベルト
No. Pos. 選手名
15 MF ナイジェリア アデ・オグンス
16 FW ベネズエラ サウール・グアリラパ
17 MF ベネズエラ カルロス・スアレス
18 FW エクアドル デニルソン・オバンド
19 FW ベネズエラ フェルナンド・アリステギエタ
21 MF ベネズエラ ビセンテ・ロドリゲス
22 MF ベネズエラ マヌエル・スルバラン
23 GK ベネズエラ ウィルベルト・エルナンデス
26 DF ベネズエラ マイケル・リバス
27 DF ベネズエラ フリオ・ダ・シルバ
28 FW ベネズエラ エンマヌエル・モレノ
29 DF ベネズエラ レネ・リバス
88 DF ベネズエラ ダニエル・リビージョ

歴代監督

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歴代所属選手

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GK

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DF

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MF

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FW

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脚注

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  1. ^ カラカス近郊のアビラ山が赤く見えることに由来する
  2. ^ Homewood, Brian (2009年6月1日). “S.America roundup-Five-goal Caracas win Venezuela title”. Reuters. 2009年8月31日閲覧。

外部リンク

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