コンテンツにスキップ

レーゲンスブルク市電

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レーゲンスブルク市電
レーゲンスブルク市電の車両 (左:MAN製、右:ラートゲーバー製) (1964年撮影)
レーゲンスブルク市電の車両
(左:MAN製、右:ラートゲーバー製)
1964年撮影)
基本情報
西ドイツの旗 西ドイツ(廃止時)
所在地 レーゲンスブルク
種類 路面電車[1]
路線網 4系統(最大)[1]
開業 1903年路面電車[1]
廃止 1964年[1]
路線諸元
軌間 1,000 mm[1]
電化区間 全区間
電化方式 直流550 V
架空電車線方式[1]
路線図
破線:路面電車
一転鎖線:トロリーバス
テンプレートを表示

レーゲンスブルク市電(レーゲンスブルクしでん、ドイツ語: Straßenbahn Regensburg)は、かつてドイツ(旧:西ドイツ)の都市であるレーゲンスブルクに存在した路面電車1903年に開通し、1964年まで営業運転が行われた。2022年現在、新規の路面電車(シュタットバーン)を建設する計画がレーゲンスブルク市主導で進められている[1][2][3]

歴史

[編集]

レーゲンスブルクにおける最初の公共交通機関1837年に運航を開始したウンターラー・ヴェールトドイツ語版との間を結ぶ蒸気船であり、1850年代以降は他都市を結ぶ鉄道が開通した。その一方、レーゲンスブルク市内の公共交通機関は短期間で廃止された乗合馬車のみであり、発展に伴う都市の拡大が続く中で利便性の高い公共交通機関が求められるようになっていた[1]

そこで、道路の舗装を始めとする都市整備に合わせて市内に路面電車を建設するプロジェクトが始動し、1899年にニュルンベルク電力会社(Nürnberger Elektrizitätsgesellschaft)に建設認可が降りた後、最初の路線となる2つの系統の建設が開始された。道路の経路変更、沿線の家屋の改造などを経て、試運転が成功裏に終わった後、1903年4月21日に営業運転が始まった[1]

その後、延伸は同年8月から始まり、以降は1911年1915年1927年1933年1936年にかけて拡張が実施され、線路長17 km・4系統(1 - 4号線)の路線網となった。また、1909年には路線の運営権がレーゲンスブルク市へと移管されている[1][4]

だが、その後の第二次世界大戦時の戦闘により経由する橋梁が破壊され、その影響で一部区間が復旧する事無く廃止された。それ以外の路線については戦後も営業運転を続けたが、モータリーゼーションの進展による交通量の増大やトロリーバスレーゲンスブルク・トロリーバスドイツ語版)の建設などに伴い1950年代以降順次撤去されていき、最後まで残された営業キロ7.5 kmの区間は1964年8月1日に実施されたさよなら運転をもって廃止された[1]

車両

[編集]

レーゲンスブルク市電の開業時から1920年代まで導入が続いた車両は、全てニュルンベルクに工場を有していたMAN製の車両であった。開業時に導入されたのは16両(1 - 16)の2軸電動車で、利用客の増加に伴い借用を経て譲渡された元:ヴュルツブルク市電ヴュルツブルク)の付随車5両(52 - 56)を牽引する運用にも就いた[1]

続いて1910年に車体の大型化を図った3両(17 - 19)の電動車が地方博覧会に向けた輸送力増強のために導入され、翌1911年にも4両(57 - 60)の付随車が製造された。その後、1919年に3両(20 - 22)の電動車が増備されたのに続き、1920年代から1930年代にかけても路線網の拡張に合わせて電動車(23 - 44)、付随車(61 - 76)の大量導入が実施された[1]

これらの車両のうち、1910年代までに導入された車両は第二次世界大戦後は新造車両への置き換えや路線廃止に伴い運用から離脱し、一部は事業用車両に改造された一方、1920年代以降の増備車両については集電装置の交換、方向指示灯、電磁吸着ブレーキ、ブレーキ灯などの安全対策の向上などの近代化工事が施工され、レーゲンスブルク市電の廃止まで営業運転に使われた[1]

一方、戦後に導入されたのはミュンヘンに工場を構えていたラートゲーバードイツ語版製の2軸車であった。これはレーゲンスブルク市電を含めた当時の西ドイツ各地の路面電車との同時発注品であり、1955年に電動車(45 - 48)および付随車(77 - 80)が4両ずつ導入された。これらの車両は廃止後に全車ともダルムシュタット市電ダルムシュタット)へ譲渡され、そのうち電動車1両(47)および付随車1両(79)については1990年にレーゲンスブルクへ里帰りを果たし、2022年現在はレーゲンスブルク歴史的路面電車協会(IG Historische Straßenbahn Regensburg e.V.)による修繕や保存活動が実施されている。また、付随車2両が同年時点でダルムシュタット市電に現存しており、うち1両は団体用車両として使用されている[5][6][7]

シュタットバーン建設計画

[編集]
シュタットバーンの計画路線図

1964年に路面電車が廃止されて以降、レーゲンスブルク市内における交通機関の主力は自動車となったが、長年に渡る交通量の増加やそれに伴う道路の混雑が大きな課題となっていた。それを解消するため、1990年代後半から新規の路面電車(シュタットバーンライトレール)の建設が選挙や議会において話題に挙がるようになり、2000年代以降実施された実現可能性の調査を経て2018年に市議会において将来的な導入が可決された[2][3][8]

第一段階として市内を走る営業キロ14.5 km・2系統(A号線、B号線)の建設が決定されており、開通は早くても2020年代以降を予定している[2][3]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n Günther Schieferl; Axel Schild. Die Regensburger Straßenbahn 1903 - 1964 (PDF) (Report). RSWE e.V. 2022年10月26日閲覧
  2. ^ a b c Planung zur Einführung einer Stadtbahn”. Stadt Regensburg. 2022年10月26日閲覧。
  3. ^ a b c Bettina Dostal (2018年6月19日). “Stadtbahn einstimmig beschlossen”. idowa. 2022年10月26日閲覧。
  4. ^ Dieter Albrecht (1984-1-1). Regensburg im Wandel, Studien zur Geschichte der Stadt im 19. und 20. Jahrhundert. 2. Regensburg: Mittelbayerische Verlags-Gesellschaft mbH. pp. 189, 190. ISBN 3-921114-11-X. 
  5. ^ Holger Kötting. “Die Darmstädter Nahverkehrsgeschichte im Überblick”. Eisenbahnmuseum Darmstadt-Kranichstein e. V.. 2022年10月26日閲覧。
  6. ^ Studienfahrt nach Darmstadt”. Verein Verkehrsamateure und Museumbahn e. V. (2017年4月29日). 2022年10月26日閲覧。
  7. ^ INTERESSENGEMEINSCHAFT HISTORISCHE STRASSENBAHN REGENSBURG E.V.”. Stadtmarketing Regensburg. 2022年10月26日閲覧。
  8. ^ Regensburg bekommt wieder Straßenbahnen”. Süddeutsche Zeitung (2018年4月20日). 2022年10月26日閲覧。

外部リンク

[編集]